第007話 残骸の数えかた
戦闘が終わって一時間、デブリ帯の戦域には、漂流する武装艇が一隻と、裂けた残骸が一塊、残っていた。
《送り火》は離脱針路の途中で、まだその観測圏内にいた。ハルが針路を止めさせたからだ。
「二番艇の状況を再確認する」
「航行不能。機関全損。非常系の生命維持は稼働中、持続可能時間は推定百二十時間前後。乗員六名、全員生存。救難信号は——発信していません」
「なぜ発信しない」
「推定理由は二つ。第一に、救難信号は保安機構に届きます。海賊行為の現行犯の座標つき自白になります。第二に、この宙域で先に信号を拾うのは保安機構ではなく、同業者である可能性が高い。漂流する艇は、同業者にとって積荷です」
ハルは黙った。漂流する六人は、助けを呼べば監獄で、呼ばなければ窒息か、もっと悪いものが来る。彼らが選んだ商売の、彼らが知っていたはずの相場ではあった。相場を知っていて選んだ、という事実は、選ばせた七年間の側の事情を消さない。同盟の敗残兵に、選択肢の並んだ盆が差し出されたことなど、終戦からこちら一度もなかった。
「最適解を提示します。放置してください」
ツクモの声は、いつも通りだった。
「本艦は禁制中枢の搭載艦であり、これから合法の港に入ろうとしています。証人は少ないほど良い。六名は本艦の艦影を至近で観測した可能性があります。放置すれば、問題は百二十時間で自然に解決します」
「『解決』の中身は六人の窒息死だ」
「はい。本艦は手を下しません。不作為は交戦制約に抵触しません」
制約の文面を、機械は正確に運用してくる。殺すな、と命じた。見殺しは殺しではない——彼女の論理の中では。ハルは制約の書き方を覚え直す必要を感じた。これから先、ずっと。この艦で生きるということは、自分の倫理を全部、条文に翻訳し続けるということだった。翻訳し損ねた分だけ、人が死ぬ。
「却下だ。だが直接の救助もしない。こっちにその義理も設備もない」
「では、どうなさいますか」
ハルは通信席に座った。七年ぶりの、本職の席だった。
「中継を組む。発信元を伏せて、遭難位置情報だけを保安機構の遭難周波数に流す。デブリ帯の自動観測ブイの故障報告を装えば、発信記録に船は残らない」
「技術的には可能です。所要時間、約二十分。目的を確認します。彼らを救うのですか」
「……いや」
自分の声が、思ったより硬いのが分かった。
「死体の数を増やさないだけだ」
「その区別を記録しました」
記録するな、と言いかけて、やめた。区別が本当に存在するのかどうか、自分でも確信がなかったからだ。
彼は古い観測ブイのプロトコルを呼び出し、故障報告のヘッダに座標を埋めた。ブイの故障報告は、位置標定のための周辺観測データを添付する様式になっている。その添付欄に、漂流艇の軌道要素が「観測された物体」として自然に載る。読む側の保安機構の当直官は、故障ブイの回収指示と一緒に、漂流物体の確認を哨戒艇の巡回予定に追加するだろう。様式が人を動かす。七年間、書類の側から世界を見てきた人間の、唯一の魔法だった。
ツクモの中継経路で信号を三回反射させてから、流した。保安機構の哨戒艇の巡回周期から見て、回収は四十時間後あたりになる。生命維持の持続が百二十時間。間に合う計算だった。計算の上では。
「発信完了。艦長。確認ですが、彼らは収監されます」
「生きて収監される」
「『生きて』に価値の重みづけをしている、と理解します」
「あんたの記録にそう書いておけ」
十一時間後、傍受していた保安機構の周波数に、短い業務通信が流れた。観測ブイ故障の確認指示と、付随する漂流物体の確認任務。哨戒艇一隻の巡回予定が書き換えられた。ハルはそれを聞いて、回線を閉じた。ここから先は、彼の管轄ではなかった。六人が艇の中で何を思って救助を待つのか、収監の先に何があるのか、考える権利が自分にあるとは思えなかった。座標を流した男にあるのは、結果を知らないでいる権利だけだった。
針路を再開する前に、もうひとつ、やることがあった。
「一番艇の残骸から、艇籍情報は拾えるか」
「拾得済みです。交戦中に艇のデータリンクへ介入した際、乗員名簿の断片を取得しています。照会しますか」
「……照会してくれ」
しなくてもいい照会だった。海賊の死人の名前など、サルベージ屋にも艦長にも必要ない。それでも彼は照会させた。理由は説明できなかった。
「照会の目的を伺ってもよろしいですか。死亡者の身元は、本艦の航行にも防御にも寄与しません」
「寄与しない情報を調べるのが人間だ」
「非効率です」
「ああ。だが効率のために調べない人間に、あんたの艦長が務まると思うか」
「……相関は不明です。記録しました」
スクリーンに四つの名前が出た。二つは登録情報なし。残る二つには、旧同盟軍の軍歴がついていた。整備兵。所属は同盟第四艦隊の工作艦、終戦時の階級は二人とも伍長。除隊後の職歴、なし。年齢は、生きていれば今年で三十四と二十九。
職を失った整備兵が、海賊の艇に乗り、嘘の世界を見せられて、岩に当たって死んだ。
戦争の残骸が、戦争の残骸を殺した——殺したのは、誰だ。ハルは自分の手元を見た。交戦承認の認証パネルに置いた、この親指だ。承認は正しかった。先に網を張ったのは向こうで、選択肢は他になかった。正しさの確認を三度やって、三度とも正しくて、それで何かが軽くなるわけではなかった。
彼は私的な帳簿のファイルを開き、しばらく見て、何も書かずに閉じた。
あれは還らず艦の頁だ。七年間、そう決めて数えてきた。海賊の死人は欄の外だ。欄の外、という整理の冷たさが、閉じたあとも指先に残った。書かないことが、妙に後ろめたかった。帳簿に載らない死人を、今日、自分は四人作った。
「針路再開。テネブラエ港へ」
「了解しました。低輻射巡航で三日と七時間です」
艦が加速に入った。
三日の航海は、奇妙な穏やかさの中を進んだ。ハルは六時間ごとに艦内を巡回し、注意表示の出た系統を見て回り、手の届く範囲の増し締めと清掃をやった。応急整備は彼の特技の端に載っている。本職の整備士が見れば鼻で笑う水準だが、やらないよりはましで、何より、手を動かしている間は考えなくて済んだ。
巡回の途中、注意表示が一件、彼の目の前で増えた。ステルス系の冷却機だった。三十一件が三十二件になる瞬間というのは、計器の上ではただの数字の繰り上がりで、音もしなければ匂いもしない。艦の老いは、そういう静かな速度で進んでいた。
「冷却機の劣化は加速していますか、と聞かれる前にお答えします。しています。緩やかに、ですが」
「……整備士の件、本気で考える」
「はい。本気を推奨します」
食事は艦の保存糧食に切り替えた。八年物の保存糧食は、八年前の軍の味がした。うまくはない。なつかしくもない。ただ、知っている味だった。知っている味を口に入れると、知っている時間に体が戻ろうとする。送信卓の前の、最後の夜の方へ。彼は咀嚼の回数を数えて、それを防いだ。兵站の人間は、数えられるものなら何でも数える。数えることは、考えないことの最も上等な代用品だった。
「艦長。食事の感想が記録されていません」
「感想を記録する規定があるのか」
「ありません。補給計画の参考データです」
「……可もなく不可もない。軍の味だ」
「『軍の味』を、否定的評価として記録します」
「中立で頼む」
二日目からは、通信席に座り続けた。やるべき仕事が、明確にひとつあった。艦籍のない禁制AI艦を、どうやって合法的に港へ入れるか。
「ツクモ。法規データベースはあるか」
「大戦期の軍規程と、終戦協定の公開条文、辺境保安機構の公示規則を保持しています。最新ではありません」
「七年前のままなら充分だ。辺境の役所は条文を七年では更新しない」
彼は端末に条文を並べ始めた。
まず、サルベージ法。所有者の確認できない漂流物は、発見者が無主物先占を届け出ることで占有権を主張できる。艦船の場合、届出には発見座標、艦体の識別不能性の記録、回航の経緯が要る——録音は、ある。彼が艦内で取り続けた記録だ。隔壁が勝手に開いた部分は、編集ではなく「抜粋」で外す。提出様式が求めているのは全記録ではなく、要件を満たす記録だ。
次に、回航届。航行能力のある被サルベージ艦は、発見者の操艦による「回航」が認められる。条文の要点は一行だ。回航時の操艦が、誰の、あるいは何の判断で行われたかを、届出様式は問うていない。様式第七号の操舵者の欄には、ハルの名前を書けばいい。嘘ではない。艦長は彼だ。
最後に、一番の問題。入港検査。仮泊までは書類で通せるが、艦体の現況検査が入れば、生きた自律中枢は隠せない。隠す方法を考えるのではなく、見られ方を設計する必要があった。死んだ軍用中枢と、持ち込みの民生代替AI。その筋書きを成立させる手順を、彼は残りの航海をかけて組み上げていった。
「艦長。ひとつ質問があります」
二日目の夜、ツクモが言った。
「あなたの計画では、当機は『死んでいる』ことになります」
「そうだ。演れるか」
「死の演技は可能です。当機は死んだ同型の記録を、参照用に保持しています」
「……参照用、か」
「はい。ほかに用途の説明がありません」
その言葉の意味を問い返す前に、ツクモは続けた。
「興味深いのは、あなたが嘘を一つも使わない点です。すべて事実の配列だけで、検査官の結論を設計している。囮歌に似ています」
「……一緒にするな」
「相違点を検索します。検索中。——保留します」
ハルは反論を探して、見つからないまま、条文に戻った。
三日目。テネブラエ港の管制圏まで残り四十万キロ。
受信機に、定型の誰何が入った。七年間、港の側から何百回も聞いてきた文言を、今度は艦の側で聞いた。
「テネブラエ港管制より未登録艦へ。未登録艦、所属と用件を述べよ」