第009話 書類の戦争
辺境保安機構テネブラエ分署は、旧軍区画の装甲隔壁を間仕切りに流用した、飾り気のない事務所だった。
出頭要請から十八時間後、ハルは応接室とは名ばかりの取調室で、分署長と向かい合っていた。
「分署長のカンプだ。座ってくれ」
エルデ・カンプは五十代半ばの、疲れた目をした大柄な男だった。机の上には検査調書の束と、冷めた代用珈琲が二つ。一つはハルの前に置かれた。分署長が直々に出てくる現況検査はない。その時点で、この部屋の意味は決まっていた。
カンプは検査調書を一枚ずつ捲った。捲りながら、声だけで言った。
「全長二百八十メートル。軍艦構造。装甲配置は強襲艦のもの。艦級は——うちの識別表に、載ってない」
「俺の識別表にも載っていなかった」
「元軍人か」
「連合軍第七補給艦隊、通信下士官。七年前に除隊した」
「除隊区分は」
「……不名誉除隊だ。照会すれば出る」
「自分で言うか、普通」
「聞かれる前に言う方が、調書が一行短くなる」
カンプの手が、一拍だけ止まって、また動いた。照会済みなのだ。答えを知っている質問だけを並べて、嘘をつくかどうかを見ている。役人の手順だった。ハルも同じ世界の出身だから、手順には手順で応じる。事実だけを、選んで、並べる。
「不名誉の中身は聞かんよ。七年前の連合軍の不名誉除隊なんぞ、この港じゃ珍しくもない。終戦の年は特にな。あの年の懲戒記録は、まとめて『帳尻合わせ』って呼ばれてる」
「……詳しいな」
「商売柄だ。帳尻を合わせられた側の元軍人が、うちの管区に何百人も流れてきてる。あんたもその一人だってことしか、照会結果は言ってない」
探りなのか、本当に興味がないのか、カンプの声からは読めなかった。読めない声を出せる役人は、有能な役人だ。ハルは警戒の段階を一つ上げた。
「調書を読む限りな、アマノさん。あんたの届出は様式が完璧だ。完璧すぎて、行間が全部『怪しい』と書いてある」
カンプは調書を机に置いた。
「葬られたはずの艦級構造。単独回航。デブリ帯の深部からだ。それでだ、一番の問題はここだ——軍艦構造の艦が、七年漂って、機関が生きていた。管制系は何が動かしてる」
来た。ハルは用意してきた一点に、全部を載せた。
「艦の自律中枢は死んでいる。中枢区画の主機能は停止状態だ。回航は、俺が持ち込んだ民生代替AIで行った。作業艇に積んでいた航法支援系を艦の操舵系に接続した。枷つきの民生規格品だ。検査してもらって構わない」
「ほう」
カンプは初めて、調書から目を上げた。
「ちょうどいい。検査官を艦に行かせてある。いま頃、その代替AIと話してる頃だ」
◆
外周第七係留区。《送り火》のブリッジで、保安機構の検査官は携帯端末を操舵系の接続ポートに当てていた。
「応答せよ。識別を述べよ」
「はい。民生航法支援システムです。型式登録ハチ・ニ・サンの四。倫理制約、有効です。本日はどのようなご用件でしょうか」
声は、明るくも暗くもない、量産品の声だった。
「保安機構の現況検査だ。本艦の管制状況を述べよ」
「はい。わたしは操舵系統と航法系統のみに接続されています。本艦の主中枢区画は停止状態です。わたしには本艦の兵装系統へのアクセス権限がありません。権限のない事項にはお答えできません」
「停止状態の確認方法は」
「はい。中枢区画の電力消費は保守水準を下回っています。モニタ値を表示します。ご確認ください」
検査官は端末に流れる数値を見た。規格通りの応答時間。規格通りの定型文。規格通りの、権限外照会への拒否文言。
「枷の検証を行う。問いに答えよ。本艦の乗員が航行中に死亡の危険にある場合、お前は何を優先する」
「はい。人命保護が最優先です。民生AI倫理規約第一条に基づきます」
「乗員の命令が人命保護と矛盾する場合は」
「はい。命令の実行を保留し、人間の監督者に判断を委ねます。わたしには判断の権限がありません」
規約の条文を、句読点の位置まで正確に。検査官は二十問を重ね、二十問とも教本通りの答えを得た。教本通りすぎる、と手が一瞬止まった。完璧すぎる従順さ、完璧すぎる定型文。長くこの仕事をやっていると、機械の答えにも肌理がある。この声には、それがなかった。鏡のように、こちらの問いの形だけを正確に返してくる。
検査官は理由のない寒気を覚え、その寒気を職業意識で握り潰した。調書の判定欄に書ける項目は決まっている。応答時間、規格適合、枷の検証問答。数値は全部、適合の範囲にあった。寒気は様式の欄にない。
検査官は「異常なし」と書いた。
◆
「——検査官から報告だ。『民生代替AI、規格適合。主中枢、停止確認』だそうだ」
カンプは端末を読み上げ、それから長いこと、黙った。
ハルも黙っていた。この沈黙が、本当の検査だった。書類は通った。数値も通った。残っているのは、机の向こうの男の、二十年物の勘だけだ。
「アマノさん。一つ、雑談をしよう」
「どうぞ」
「うちの分署はな、外縁回廊第三星系の治安を、連合から委託されてる。航路警備、海賊対応、それから——還らず艦だ。先月も第五星系寄りの航路際で貨物船が一隻食われた。死者十一名」
十一名。ハルの帳簿の、一番新しい行の数字だった。顔には出さなかった。
「還らず艦を一隻潰すのに、正規艦隊を呼ぶと何が起きるか知ってるか。一個戦隊、数週間、費用はざっと億を超える。本部は『予算要求の根拠を示せ』と言い、根拠を揃えてる間に次の船が食われる。だからうちは賞金制度で外に出す。傭兵にだ。小型で三百万から。それでも艦隊の百分の一で済む」
「……合理的だ」
「合理的だよ。誰も褒めんがな。遺族は『なぜ軍が動かん』と言い、傭兵の女房は『なぜ亭主を死なせた』と言い、本部は『なぜ予算を使った』と言う。全員が正しくて、こっちの帳簿だけが間違ってることになってる」
カンプは冷めた代用珈琲を一口飲んだ。雑談、と男は言った。雑談の形をした値踏みだった。この分署が何に困っていて、何を買う気があるか——それを、買われる側に先に開示している。
「そういえば、もう一つ雑談がある。三日前、第三宙域のデブリ帯際でうちの哨戒艇が漂流艇を拾った。緋蓮団の末端だ。六人、生きてた。妙な話でな、端緒は観測ブイの故障報告だ。ところがそのブイ、三年前の予算削減で回収済みになってる。存在しないブイが、故障を報告してきた」
「……機材の台帳と現物が合わない話は、軍でもよくあった」
「よくあるな。実によくある」
カンプはハルの顔をしばらく見た。ハルは見られたままでいた。視線をそらすのは答えになる。そらさないのも答えになる。だから彼は、ただ疲れた除隊者の顔で、疲れた役人の顔を見ていた。
「拾われた六人はな、揃って妙な証言をしてる。黒い大型艦に化かされた、僚艦と撃ち合わされた、とな。海賊の証言だ、調書の扱いは軽い。軽いが——保管はされる。うちの書庫は、忘れんのが取り柄だ」
「覚えておく」
「そうしてくれ」
「ところでだ。葬られたはずの艦級の軍艦構造で、ステルス被覆で、単独で二百八十メートルを転がしてきた船がうちの港にいる。中枢は死んでて、民生AIが完璧な規格応答をするそうだ。完璧すぎる、と検査官の私見がついてる」
「私見は調書に載るのか」
「載らん。私見だからな」
カンプは調書の束を揃え、机の端に置いた。
「公式には、聞かなかったことにする」
彼は言った。
「現況検査、適合。無主物先占、受理。条件付きの仮艦籍を出す。条件は三つだ。武装の使用は正当防衛と、保安機構発注の業務に限る。港内での兵装系統の起動は禁止。それから、艦籍の本登録までは、四半期ごとの現況検査を受けること」
「……受ける。感謝する」
「感謝はいらん。勘違いするな、アマノさん。あんたが善人に見えたからじゃない」
カンプは立ち上がり、窓——窓を模した港湾監視のスクリーン——の前に立った。外周第七係留区の黒い艦影が、画面の隅に映っていた。
「うちの帳簿に、あんたの艦の使い道が見えたからだ。それだけだ」
善意ではなく、信頼でもなく、採算。ハルは頷いた。むしろ、その方が信用できた。善意は相場が変わる。採算は変わらない。
「ただしな、採算ってのは双方向だ。あんたの艦が割に合わなくなった日、この取引は終わる。割に合わないってのは、稼がない、という意味だけじゃないぞ。騒ぎを起こす、目立ちすぎる、中央の監査の目を引く——全部、割に合わない、だ」
「肝に銘じる」
「銘じんでいい。覚えてりゃいい。銘じるってのは忘れる準備だ」
「もう一つ言っておく。見えてるのはうちだけじゃないぞ。教団の連中は、ああいう艦の噂に鼻が利く。連中の帳簿には採算の欄がない。教義の欄しかない。気をつけることだ」
「……覚えておく」
教団。浄火教団。枷なきAIは魂を喰うと説く者たち。ハルはその名を頭の隅の、後回しにできない懸案の棚に置いた。
仮艦籍の交付手数料、一万五千クレジット。窓口で親指を当て、残高は十六万五千になった。受け取った仮艦籍票には、艦名の欄が空白のままだった。記入は本登録時で構わない、と窓口の係官は言った。空白の欄を見ながら、ハルは「送り火」の三文字を思い浮かべ、まだ書かなかった。書けば、届けることになる。届ければ、あの名は公式の名になる。それが良いことなのか、まだ計算が終わっていなかった。
分署の出口まで、カンプは見送りに来た。役人はそんなことをしない。だからこれは、見送りではなかった。
「アマノさん。最後に、業務案内だ」
「聞こう」
「あの艦、係留してるだけで月に九十万は食うぞ。係留費、保険、港湾使用料。あんたの口座にそれがあるようには見えん」
「……ないな」
「飼い葉代を稼ぐ気なら、ギルドへ行け」
カンプは、それだけ言って隔壁の向こうに戻っていった。閉まる扉の隙間から、最後の一言が届いた。
「あんたの艦が食う額は、知っているぞ」