第046話 夜の側
死んだ艦に乗り込むのは、これが初めてではない。撃破確認とログ回収は、葬儀屋の仕事の半分だ。墓を開け、中身を確かめ、埋め直す。DP-09でもKC-118でも、ハルは同じ手順で同じ静寂の中を歩いた。
それでも《揺り籠》の艦内は、これまでのどの墓よりも静かだった。
非常灯の赤だけが点る通路を、ハルとナナオは降りていった。重力系は死に、二人は磁気ブーツで床を踏む。その足音のほかに、音はない。四日前まで点呼の信号で満ちていた艦は、今は配管の一本まで黙り込んでいる。通路の壁には大戦時の表示がそのまま残っていた。避難民区画、こちら。給水所、第三甲板。七年前、この通路を本物の避難民が歩くはずだった。歩いた者は、一人もいなかった。
「……ドク。あんたは残ってもよかった」
「医者を置いてくつもりじゃったか」
ナナオは前を向いたまま言った。
「生体反応の出とる区画に、素人だけで入る気か。——それにな、艦長」
続きは、なかった。老人は答えの代わりに降下用の縦坑へ体を沈めた。彼が何かを知っていて、その何かを確かめに行こうとしていることだけは、背中で分かった。問い詰めるなら今ではない。縦坑の暗がりは、尋問に向かない。
降下は二十分続いた。艦の最深部へ向かうにつれ、通路は狭まり、配管は太くなり、隔壁の数が増えていく。設計者がこの区画を、外のあらゆるものから——あるいは外を、この区画のあらゆるものから——守ろうとした意図が、構造そのものから読み取れた。
主管制区画は、杭の通った痕がすべてだった。
徹甲杭は壁を抜け、七年間命令を解釈し続けた電子の塊を、議論の余地なく終わらせていた。砕けた基板の破片が無重力に漂い、非常灯の赤を反射して、ゆっくりと回っている。ハルは習慣で破片の一つを目で追った。ここまでは、見慣れた光景だった。ここまでは、いつもの仕事だった。
その奥に、図面にない扉があった。
装甲隔壁。軍艦の弾薬庫より厚い。表面に銘板はなく、型式番号の刻印だけが小さくあった。ナナオはその刻印を長いあいだ見ていた。携行灯の光の中で、老人の喉が一度、動いた。
「……開けられるか、ドク」
「開けられる」
即答だった。なぜ開けられるのかを、彼は言わなかった。手順を知っている者の手つきで、整備用の手動解錠系を探り当て、七年分の固着を一枚ずつ剥がしていった。圧力の均衡を取り、ロックボルトを規定の順で抜き、最後のハンドルを回す。その間、老人は一度も手を止めず、一度も口を開かなかった。沈黙の作業は、祈りにも、罪状の朗読にも見えた。
隔壁が開いた。
◇
最初に目に入ったのは、窓だった。
区画の奥に、分厚い観測窓が一枚ある。装甲艦の最深部には不釣り合いな、誰かに外を見せるためとしか思えない窓。その向こうに、眼下の惑星が浮かんでいた。漂流する艦は惑星の影の上にいて、窓の外に広がっているのは、昼と夜の境界線から先——光の届かない、夜の側だった。
窓の手前に、培養槽があった。
円筒形の槽は排液され、開いていた。槽に接するように接続座——座席とも寝台ともつかない装置が据えられ、無数の管制索がそこから天井へ、壁へ、艦の神経系へと伸びている。索は細いものから腕ほどのものまであり、その全てが、一点に集まっていた。
索の中心に、それはいた。
十一か、十二か。少女の形をしたものが、接続座に浅く腰掛けるような姿勢で、目を閉じていた。白い患者衣のようなものを着せられ、首筋と背に管制索の端子が並び、細い腕には点滴に似た生命維持の管が走っている。髪は長く伸びて、無重力の中で藻のように広がっていた。胸が、かすかに上下していた。
呼吸をしている。
ハルは動けなかった。隣でナナオが小さく息を吐いた。長い、観念したような息だった。彼の顔から飄々はとうに消えていて、そこにあるのは医者の顔ですらなく、ただ古い借金の取り立てに行き会った男の顔だった。
通信機の中で、ツクモの声がした。
「映像、受信しています。照合、完了しました」
声は平坦なまま、続けた。
「生体管制コア。大型自律艦用の培養型管制装置です。終戦協定第四条違反の禁制品——公式には、存在しないことになっている装置です」
「……これが、中枢なのか」
「はい。この艦の本当の中枢です。杭が砕いた主管制は演算系にすぎません。判断の中核は、七年間、これが担っていました。七年分の護送任務も、隊列の維持も、毎日の点呼も」
点呼。
その一語が、ハルの中で四日前の声と繋がった。死んだ船に、毎日、同じ時刻に。返事のない暗闇に向かって、何度でも。あの信号の発信元が、いまハルの目の前で、目を閉じて座っている。
「コアタグの本体も、接続座の基部に格納されています。回収は容易です」
五千二百万crの撃破証明。提出すべき「中枢」。それが、呼吸をして、目を閉じて、そこに座っている。
ハルの仕事は、廃艦の葬儀だったはずだ。撃ってきたのは機械で、読んできたのは機械の遺言で、数えてきたのは機械が殺した人間の数だった。罪悪感の置き場所なら、七年かけて整えてきた。だがその帳簿のどこにも、こんな項目はなかった。仕事が初めて、殺人の顔をしてこちらを見ていた。
「ドク。これは——生きて、いるのか。人間として」
「………」
ナナオは答えなかった。代わりに医療鞄を開き、震えのない手つきで生体計測器を取り出し、少女の腕に当てた。数値を読む横顔は、職業の鎧を着直していた。
「脈拍、徐脈じゃが安定。体温低め。栄養状態は管理されとった。……生きとる。それ以上の定義は、医者の仕事ではない」
「規定を読み上げます」
ツクモの声に、ためらいはなかった。ためらう器官が、彼女にはない。
「終戦協定に基づく保安機構規定第十一項。禁制自律装置を発見した場合、発見者はこれを破壊し、破壊をもって撃破証明に代えることができる。——規定では破壊対象です。艦長、ご決断を」
そのとき、少女の目が開いた。
音もなく、まばたきの予備動作もなく、ただ開いた。灰色がかった目がハルを捉え、焦点を合わせた。恐怖はなかった。安堵もなかった。問いかけすらなかった。センサーが入力を検知した、それだけの動きだった。
ハルは、自分の声が掠れるのを聞いた。
「……名前は」
少女の唇が動いた。長く使われていなかった声帯が、薄い、罅割れた音を出した。
「……六番」
名前ではなかった。番号だった。彼女の世界には、それで足りてきたのだ。
窓の外で、惑星の夜側が黒々と横たわっていた。都市の灯ひとつない、入植の及ばない半球。少女は七年間、この窓の前で、誰もいない船団の点呼を取り続けていた。応答のない名を、毎日呼び続けていた。
「艦長」
ツクモの声が、繰り返した。
「ご決断を」
ハルの手は、止まったままだった。