第048話 減額の理由
査定は二日かかった。
保安機構の検証班は《揺り籠》の残骸に検証艇を出し、船体の大破、主管制の貫通破壊、副中枢区画の「焼損現場」を順に記録していった。ハルは検証班の作業中、分署の待合で書類仕事をしながら待った。待つ顔にも技術が要る。心配しすぎる男は疑われ、心配しなさすぎる男はもっと疑われる。減額を心配する賞金稼ぎの顔——それが正解で、幸い、演技の必要はなかった。減額は本物だったからだ。
検証は通った。貫通角は矛盾せず、焼損の向きは矛盾せず、破片の分布は退屈なまでに整合していた。嘘は退屈であるほど強い。ハルが三時間かけて作った退屈さは、専門家の目に耐えた。
救出した機関士の供述聴取も済んでいた。男は「黒い艦に助けられた」とだけ繰り返し、それ以上のことは何も見ていなかった。四ヶ月の立て籠もりは、人間から観察の余力を奪う。それが今回ばかりは、幸いだった。
三日目、ハルは分署の精算窓口に呼ばれた。
「撃破認定、第二星系航路帯の大型還らず艦一隻。船体大破の証跡により成立」
窓口の職員は書式を読み上げた。感情のない声だったが、ツクモの平坦さとは別種のものだ。一日に何十件も読み上げるうちに磨り減った、人間の平坦さだった。
「ただし撃破証明の中核たるコアタグの提出なし。規定第十一項の三、証明能力の等級低下により、賞金は基準額の三割。五千二百万に対し、千五百六十万crとなります」
三千六百四十万が、その一行で消えた。
「異議申し立ての権利がありますが」
「ない。署名する」
「……皆さん、もう少し粘るんですけどね」
「粘って増えるなら粘る。増えるのか」
「増えません」
「なら署名する」
ギルド経由の起案だったため、手数料一割五分——二百三十四万——がさらに引かれ、口座に振り込まれたのは千三百二十六万crだった。
◇
艦に戻り、ハルは帳簿の数字を順に並べた。
出航前の残高百五十万。入金千三百二十六万。帰港後の補給と入渠整備、保険と港湾使用料の月額、ナナオの部品代、機関士の救命に使った医療消耗品、合わせて約二百万。残高、約千二百七十万cr。
六週間。クルー三人とAI一基が命を賭け、杭を一本撃ち、十二隻の墓を確かめ、一人を生きて連れ帰った大仕事の純利は、数字の上では数百万に届くかどうかだった。満額なら、艦の一年分の維持費が出ていた。杭の在庫も三本に戻せた。来期の猟の選択肢も広がった。「なら」の話は、いくらでも続けられた。
選択には値札がつく。ツクモの試算は、一crの単位まで正確だった。
帳簿の最後の行で、ハルはペンを止めた。支出の項目に、分類のない一行がある。被服、子供用。食料、一名分追加。医療消耗品、継続。合計は月にせいぜい数万crで、この帳簿の中では誤差のような数字だった。誤差のような数字が、三千六百万の減額よりも重い意味を持っている。帳簿というものは、時々そういう書き方をする。
ハルはペンを置き、帳簿を閉じた。後悔はしていなかった。ただ、後悔していないことと、数字が痛くないこととは、別の話だった。
◇
カンプは執務室で、査定報告書を長いあいだ眺めていた。
頁をめくる。貫通経路の図。焼損現場の写真。コアタグ回収不能の検証所見。また最初の頁に戻る。沈黙は煙草一本分続いた。ハルは立ったまま待った。座れと言われていない椅子に座らないのも、軍で覚えた技術の一つだ。
「……杭というのは、すごいものだな」
やがて、分署長は言った。
「装甲を三枚抜いて、主管制を砕いて、隔壁で都合よく曲がって、副中枢まで届いて、認識票一枚残さず蒸発させる。物理というのは、時々都合よくできている」
「検証班の所見のとおりだ」
「ああ、所見のとおりだ。所見に文句をつける予算は、うちにはない。再検証には検証艇の二度目の出航費がかかる。四十万だ。三割に減額済みの案件に、四十万の追い銭を切る決裁は、誰も書かん」
カンプは報告書を決裁箱に落とした。
「公式には、中枢は杭で蒸発した。そういうことにしておく」
その目が一瞬だけ、書類越しにハルを見た。役人の言葉の層の下で、本音の層が何かを量っている。疑っている目だった。そして、疑いを掘ることの採算を計算している目だった。正規艦隊一個戦隊と六週間、一億二千万。葬儀屋一隻、千五百六十万。七年動かなかった航路の保険料率は、撃破認定の翌日から下がり始めている。決裁は、いつも数字が下す。
「次の起案までに艦を整備しておけ。——それと、葬儀屋」
部屋を出かけたハルの背中に、カンプは言った。
「でかい墓を掘った後は、墓荒らしが寄ってくる。戸締まりをしろ」
◇
港では、噂の方が精算より早く回っていた。
ドック脇の酒場の前を通っただけで、断片が耳に入ってくる。葬儀屋が大物を獲った。九百メートル級だとよ。単艦でか。単艦でだ。正規の戦隊でも腰が引ける的だぞ。化け物じみてやがる。あの黒い艦、いったい何を積んでる——。
最後の一言だけが、ハルの足を半歩だけ重くした。何を積んでいるか。その答えは今、艦の医務室の寝台で、毛布の上に正座をしている。
◇
少女は、与えられた寝台の隅にいた。
医療ポッドからは三日目に出た。毛布は使い方を教えればその通りに使い、食事は与えれば与えられた分だけ機械的に咀嚼し、それ以外の時間は、寝台の隅に膝を揃えて座っている。命令を待っている。それが彼女の知っている、唯一の時間の過ごし方だった。
「無理に喋らせるな」と、ナナオは言った。「七年、艦と話す以外のことをしとらん。人間の方の言葉は、倉庫の奥じゃ。出てくるのを待て」
「健康状態は」
「栄養失調と筋萎縮。それは治る。歩行訓練は明日から始める。治らんもんの方は——これから診る」
ハルは日に何度か医務室に入り、補給品の在庫を確かめるふりをして、少女の様子を見た。声はかけない。かけても返るのは沈黙か、「……命令を」のどちらかだったからだ。命令の形をしていない言葉は、彼女の受信機に周波数が合わない。合う日が来るのかどうかも、まだ誰にも分からなかった。
その日、在庫棚の前から振り返ったとき、ハルは気づいた。
少女の目が、こちらを向いていた。
命令を待つ目は、これまで虚空の一点——おそらくは、もうない艦の管制波があった方角——を見ていた。それが今は、部屋を横切るハルの動きを、追っていた。棚から棚へ。扉から寝台の脇へ。視線だけが、静かに、正確に。
目が合うと、少女は逸らしもせず、ただ見ていた。そこに感情と呼べるものはまだ何もなかった。ないはずだった。それでも、虚空ではなく人間を追跡対象に選んだという、その一点だけが、昨日までと違っていた。
ハルは何も言わずに医務室を出た。通路で、スピーカーが小さく言った。
「艦長。観測を記録しました。対象の注視先の変更。——良い兆候かどうかは、私には分類できません」
「……俺にもだ」
「では、分類保留のまま記録します。私の記録領域には、分類保留の項目が増え続けています」
それが苦情なのか報告なのか、ハルには判別がつかなかった。判別のつかないものが増えていくのも、この艦の航海だった。
◇
夜、ギルド端末の整備をしていたハルの手元に、速報が流れ込んだ。
保安機構の公示でも、ギルドの案件でもない。航路管制の航行警報だった。
——外縁回廊第二星系、航路屈曲点周辺宙域、星系連合軍の要請により当面の間、封鎖。民間船の進入を禁ず。
《揺り籠》の残骸宙域だった。
サルベージ権はハルの手の中にある。賞金の三千六百万を諦めてでも持ち帰ったものの、すぐ隣にあった残骸の山。その上に、連合軍が蓋をした。
終戦から七年、正規軍が外縁に艦を出すことなど、年に一度あるかないかだ。その一度が、よりによってこの墓の上に来る。
ハルは速報を読み返し、それから、医務室の方角へ一度だけ目をやった。