第067話 敷設艦は待っている

 観測に七十二時間。ヴェインの記憶とツクモの計測が突き合わされ、LM-313の七年間が方眼紙の上に再現されていった。狂った艦の生活は、健全な艦より遥かに規則正しかった。

 起床に当たる機関出力の上昇が、艦内時間の毎朝同時刻。敷設架の点検、回収作業、敷設作業、そして哨戒。一日の終わりには、外殻層の全機雷へ向けて点呼信号を打つ。応答のない機雷——寿命の尽きた機雷——には、翌日の回収予定が組まれる。六百基の墓守が、六百基の墓の手入れを欠かさない。

 二日目の夜、観測室にヨルが来た。彼女は表示の中の敷設艦をしばらく見て、それから言った。

「……きこえる、よ。あのふね。きく?」

「いや」ハルは首を振った。「今回は要らない。教範が教えてくれる」

「きょうはん」

「手順書だ。あの艦は手順書のとおりにしか動けない。なら、聞かなくても分かる」

 ヨルは少しの間ハルを見ていた。能力を使えば彼女は熱を出す。使わせない判断の理由を、彼女がどこまで分かっているのかは知れなかったが、彼女は頷いて、観測室の隅の席に黙って座った。座って、聴かないまま、ただ表示の艦を見ていた。

「敷設サイクル、確定しました」三日目の朝、ツクモが図を更新した。「百十四時間周期。外殻層の老朽機雷を回収後、再敷設までの間隙は六時間十二分。その間、回収済み区画に幅およそ八百メートルの無機雷回廊が発生します」

「八百メートル」ハルは復唱した。《送り火》の全幅は六十二メートル。数字の上では余裕があり、実際には針の穴だった。誤差の許容は左右に四百メートルもない。機雷の検知範囲を考えれば、実質は三百を切る。

「教範では、間隙の発生中は敷設艦が当該区画へ艦首を向け、自衛火器で覆うことになっとる」ヴェインが言った。「だが八百メートルの幅を六時間、機銃で塞ぎきれる道理がない。形だけの哨戒だ。——形だけでも、七年続けとるがな」

「ルールを最後にまとめる」ハルはクルーに向き直った。「LM-313の自衛火器は近接機銃と短距離ミサイル。撃ち合いなら勝てる相手だが、機雷原の中で砲戦をやれば、流れ弾と爆発の連鎖で双方とも死ぬ。だから撃ち合いもしない。回廊を渡り、懐に入り、杭を一本。それで終わらせる。終わらせ損ねたら——」

「再敷設が始まり、帰り道が閉じます」ツクモが平坦に補った。「その場合の生存確率は計算済みです。読み上げますか」

「いい」

 進入は次の間隙、三十一時間後と決まった。

 ◇

 八時間、かけた。

 八百メートルの回廊を、《送り火》は機関を最微速に絞り、熱と電波と灯火のすべてを殺して這った。速度を出せば航跡が乱れ、乱れた航跡は敷設艦のセンサーに「漂流物ではないもの」として映る。だから漂流物の速度で行くしかない。デブリ帯を漂う艦の骨と、同じ速さで。

 三時間目、回廊の前方を、係留の切れた古い機雷が一基、ゆっくりと横切った。信管が生きているかは外からは分からない。ヴェインは舵に触れず、機関にも触れず、ただ艦の慣性だけで間合いを測り、四十分かけてそれをやり過ごした。四十分の間、ブリッジでは誰も口を開かなかった。機雷が観測の縁から消えたとき、ナナオが医務室の回線で一言だけ呟いた。「……心拍の記録、全員ぶん、ええ運動になっとるのう」

 ブリッジは八時間、ほとんど無言だった。ヴェインは舵に指を置いたまま微動も荷重もかけず、姿勢制御の噴射は累計でも数秒ぶんしか使わなかった。ハルは受動センサーの帰投予測線を見続けた。回廊の左右で、六百基の機雷が黙って浮いている。そのどれか一基の信管が、七年の劣化でどう壊れているかは、誰にも分からない。

 七時間五十分が過ぎたとき、LM-313の艦影が光学に入った。全長三百十メートル。艦体のあちこちに微小デブリの傷が白く走り、それでも作業灯だけは律儀に点いて、艦尾の敷設架で次の機雷列の準備が進んでいた。

 誰も来ない航路を封じるために、誰も補給に来ない宙域で、七年。

「距離八百」ツクモが囁くほどの音量で告げた。「中枢区画の位置、同型艦の設計図と一致。杭、装填済み。射点まで、あと二百」

「……杭の発射音で、機雷は起きるか」

「起きません。起きるとすれば、その後の本艦の離脱機動です」

 距離六百。五百。敷設艦は気づかない。七年間、近づいてくるものは機雷が殺してくれた。懐に入られる事態は、この艦の手順書のどこにも書かれていない。

「射点」

「——撃て」

 中枢杭が走った。二百五十万crの徹甲杭は、自衛機銃が旋回を始めるより早く敷設艦の舷側装甲を貫き、その奥の自律中枢を物理的に砕いた。

 戦闘は、それで終わりだった。準備に三日と八時間。戦闘に四秒。

 敷設架の作業灯が順に消え、準備中だった機雷列が架の上で止まった。七年間、休みなく続いていた敷設作業が、宇宙のどこからも惜しまれずに終わった。

 ◇

 撃破の後の仕事が始まった。ヴェインが残存火器の沈黙を確認し、ハルが移乗してコアタグを回収した。中枢区画の配線は焼け焦げていたが、記録系は生きていた。ツクモが戦時ログを吸い上げる。

 最終命令は、短かった。

『——敷設完了の後、第七泊地へ帰投せよ』

「第七泊地」ヴェインが低く言った。「……同盟の母港だ。第六星系方面軍の」

「現存するか」

「終戦の三日後に閉鎖された。設備は解体されて、もう座標しか残っとらん」

 ハルはログの作業記録を繰った。敷設、回収、再敷設。七年分の几帳面な記録が、毎日同じ書式で続いている。その中に、三件だけ書式の違う行があった。任務妨害要因の排除、と分類された行。日付は、民間船三隻が触雷した日と一致していた。二十六人の死は、この艦の帳簿では「排除」の三件だった。ハルの手が、そこで止まった。いつも止まる場所で、いつものように。

 そして記録の末尾に、未完了のまま残り続けた一行があった。任務状態、敷設継続中。完了報告、未送信。

 帰投先を失った艦は、「完了」を永遠に先送りしていた。完了すれば、帰らなければならない。帰る場所は、もうない。だから敷き続ける——機械にそんな理屈があるはずはなく、ただ手順書の循環がそういう形をしていただけだ。それだけだと、ハルは自分に二度言った。二度言わなければならない時点で、駄目だった。

「最終ログ、保存しました」

 ツクモが言った。規定にない作業を、規定の声で。誰も問わず、彼女も説明しなかった。

 離脱は進入より早かった。間隙が閉じる前に回廊を戻り、デブリ帯の縁へ抜ける。その途中、信管の劣化した機雷が一基、艦尾はるか後方で勝手に起爆した。直撃ではない。だが破片の数粒が外殻を浅く裂き、ツクモが損傷図に黄色の区画を一つ描き加えた。

「外殻第七区画、小破。航行に支障なし。修理費見積もり、百二十万crです」

「……安い方だ」

「賞金千四百万cr、ギルド手数料一割五分を差し引き、千百九十万crの入金見込み。コアタグの認証は帰港後です。撃破記録に登録します。——八隻目」

 八隻目。ハルは自分の帳簿の、数百から引かれていく側の数字を思った。引いても引いても、引かれる側の桁は変わらない。

 その夜、ヴェインは食堂に来なかった。様子を見に行ったナナオが、何も言わずに戻ってきた。操舵手は自室の表示板にLM-313の七年分の航跡図を映したまま、酒瓶にも手をつけず、ただ座っていたという。同盟の艦を、同盟の教範で読み、沈めた男の夜だった。

 ヨルは医務室の寝台で短く熱を出した。誰も能力を使えとは言っていない。それでも彼女には、聞こえてしまったのだ。「……しずかに、なった」とだけ言って、少女は眠った。

 ◇

 翌日、ツクモが啓開後の航路図を商会へ送信した。機雷原の安全経路、観測済みの残存機雷の位置、推奨針路。死んだ航路が、七年ぶりに開いた。

 最初にそこを通るのは、軍艦ではない。飢えた港行きの、穀物を満載した船団だ。