第074話 予定表
囮歌が、《グロム》の声で歌った。
同盟軍第十一駆逐隊所属、駆逐艦《グロム》。識別票の認証チップから生成された正規のIFF符号が、七年ぶりに宇宙へ流れる。死んだ艦の、死んでいない符号。ヴェインは通信席の脇に立ち、自分の艦の名が骨市の闇へ呼びかけられるのを、身じろぎもせずに聞いていた。
DE-09の応答は、十一秒後に来た。
「識別照会——通過。続いて、応答信号が来ます」とツクモが言った。「……定型の入港誘導です。『当泊地は補給能力を維持している。補給枠を照会されたし』」
補給能力を維持している。七年間、誰の補給も受けず、自分の燃料を削りながら、艦は泊地の機能を維持し続けていた。来る者のために。
「進入針路、指定されました。——防衛艦の誘導どおりに進めば、懐に入れます」
「……入る」
ハルは言った。騙し討ちだ、という言葉を、誰も口にしなかった。口にしなかったことが、口にしたのと同じ重さで艦内に残った。
進入の航走は、三時間だった。
骨市のデブリは、赤標域より密度が薄く、その分、視界が通る。視界が通るということは、見られている、ということだ。誘導針路の左右に、七年分の回収船の残骸が漂っていた。識別票を持たずに入った船たちの、最後の姿勢のままの骨。DE-09の仕事の、正確さの証明だった。
「……ふるい、こえ」と、医務室の回線でヨルの声がした。聞くな、とは今回、誰も言えなかった。彼女の聴音は、この宙域では唯一の保険だった。「つかれてる。でも、うれしそう。……だれか、きた、って」
誰か、来た。
七年ぶりの入港予定に、防衛艦の管制波が、わずかに音を変えている——彼女の語彙では「うれしそう」としか言えない変化を。ブリッジの誰も、その報告に返事をしなかった。返事をする声を、誰も持っていなかった。
《送り火》は、迎え入れられた。
DE-09は誘導針路の脇に位置取り、七年ぶりの「僚艦」を護衛の隊形で迎えた。敵ではないものを守る位置。教範どおりの、誠実な位置。その誠実さが、そのまま死角になった。
距離六百。
「中枢杭、照準固定。——艦長、ご決断を」
一拍。
いつもの一拍より、長かった。
「……撃て」
杭が、護衛位置の艦の中枢を貫いた。
DE-09は誘導通信の途中で沈黙した。最後に発信していたのは、入港予定の確認だった。撃ち合いにすらならなかった。なるはずがなかった。七年待った「味方」を、艦は最後まで疑わなかった。
撃破、九隻目。
「……仕様通り、とは言いません」
ツクモが、静かに言った。
「本件の戦術評価は完了しています。評価とは別に、記録します。本艦の全撃破記録の中で、本件は——最も抵抗の少ない撃破でした」
誰も返事をしなかった。勝利の形をしたものが、ブリッジの温度を下げていった。
撃破の後。
移乗してコアタグを回収し、戦時ログを吸い上げた。ツクモは全件を保存した。百二十三件目。
ログの中に、予定表があった。
入港予定表。七年間、毎日更新され続けた、補給を待つ艦のリストだった。艦名が並んでいる。第六星系方面軍の駆逐艦、輸送艦、工作艦——撤退戦を戦った艦たちの名が、予定日と補給枠の割り当てとともに、几帳面に並んでいる。
そのどれもが、とうに沈んだ艦だった。
DE-09は知らなかった。知る手段がなかった。だから艦は、毎日予定表を繰り上げ、来ない艦の補給枠を取り置き、九千トンの燃料を、最後の一日まで「みんなの分」として守っていた。
予定表の末尾に、今日の日付があった。
最新の一行。受付済み、入港予定——《グロム》。
ヴェインは、その一行を長く見ていた。それから音もなく敬礼し、識別票を受け取って、首に掛け直した。働かせてやってくれ、と言った符号は、仕事を終えて戻ってきた。どんな仕事だったかを、誰も言葉にしなかった。
医務室では、ヨルが熱を出して眠っていた。
断末魔を、また聴いたのだ。誰も頼んでいない。それでも聞こえてしまう耳を、彼女は艦から持って降りてきてしまった。ナナオは点滴の速度を直し、眠る額の汗を拭いて、誰にともなく言った。
「……この稼業はの、艦長。墓を開ける仕事じゃと、あんたは言うた。今日のは違うぞ。今日のは——」
老人はそこで言葉を探し、見つからず、結局こう締めた。
「今日のは、看取りに近い。呼ばれて、行って、手を握って、終わらせた。……寝覚めの悪さの種類が、違うはずじゃ」
発射筐の表示が、ゼロを示していた。
最後の杭は、仕事を終えた。次の一本の当てはない。葬送艦は、当面、葬送の道具を持たない艦になった。ツクモは残弾ゼロの報告を、今回は一度しか言わなかった。一度で足りる重さだった。
事務は事務として進んだ。
賞金一千万cr。ギルド起案の案件のため手数料を引かれ、手取り八百五十万。そして賞金に付帯する補給廠のサルベージ権——帳簿の上で「存在しない」九千トンの燃料が、合法的にハルのものになった。
ハルはそれを、ロー商会へ六百万crで売却した。
相場なら三倍の値がつく。つけなかったのは、速度のためだ。商会は即日、武装した回収船団を骨市へ送り、貯蔵タンクに商会の封印を打った。封鎖艦隊の燃料庫は、その日から、合法的に商会の資産になった。
「緋蓮団の各艦の残燃料を試算します」
ツクモが、時計の音のような声で言った。
「直近の機動記録と補給周期から逆算——推定、三週間ぶんです」
時計が、動き出した。