第085話 撃ち合えば負ける

 出撃前の作戦会議は、《送り火》の食堂で開いた。
 介入部隊の合同会議は、昼に終わっていた。作戦図は勇ましく、現実は乏しかった。三系統のデータリンクを繋ぐ中継手順は決まらず、武装商船の合同射撃訓練は出撃までに一度きり。ハルはその会議では二つだけ求めた——《送り火》の単独行動承認と、味方識別の更新周期の共有。老警備士官は両方に判を押し、うちの戦列に期待するな、と判の隣に言外で書いた。
 期待しない、という前提から組む作戦だけが、この戦場では現実の名に値する。だから《送り火》の会議は、艦の食堂で別にやる。
 ハルは戦術図を卓の中央に投影し、最初に敵の数字を全部並べた。隠して士気を保つ流儀を、この艦は採らない。

「分離派艦隊。旧同盟駆逐艦四——D7後期型二、E9型二。武装改装船十二。加えて、幹線第三結節点の機雷網が推定四百三十基、これは管制艦一隻に統制された連動型だ。個別の感応半径は六十キロ、管制下では網全体が一個の生き物として動く。網に正面から触れた艦は、型に関係なく沈む」
「統制型の厄介さを補足します」とツクモが言った。「独立機雷は、近づいた者を撃つだけの石です。統制型は、網全体で一個の火器管制を構成します。一箇所を掃海すれば、管制艦が周辺の機雷を移動させて穴を塞ぐ。掃海艇の進む速度より、穴の塞がる速度が速い。正攻法の啓開所要は、推定六週間です」
「六週間、避難船の列が止まる」とハルは言った。「だから正攻法はやらない」
「指揮官は」とヴェイン。
「不明。だが過去二年の戦闘記録から、介入部隊の分析班は元同盟軍の巡洋艦長級と見ている。艦隊を割る判断が速く、退き際が綺麗で、一度も決戦を受けていない」
「……同感だ。記録の機動だけで分かる。教範を書く側だった人間だ」
「心当たりは、あるか」
「同盟の巡洋艦長で、終戦時に外縁にいて、戦犯リストから漏れて、二年前から消息のない人間。条件で絞れば、数人になる。名前を挙げるのは、やめておく」ヴェインは戦術図から顔を上げなかった。「誰であっても、やることは変わらん。誰であってほしいかは——俺の都合だ。作戦に持ち込む話じゃない」
 次に、味方の数字。
「統治府艦隊はフリゲート二と砲艦三、武装船多数。介入部隊はフリゲート六、武装商船八。合計すれば隻数で敵の倍近い。ただし——」ハルは練度評価の列を表示した。「データリンクの規格が三系統に割れてる。合同訓練は一度もなし。武装商船の乗員の半数は実戦未経験。数は力じゃない。数は、まとまって初めて力だ。こっちはまとまっていない」
 最後に、自分の艦の数字を出した。
「《送り火》。巡洋艦籍、ただし正面火力は艦隊の最弱。光条の門数はフリゲート以下、質量砲はなし、ミサイルの飽和攻撃を受ければ三十秒で防空が破綻する。確認だ——この艦は、撃ち合えば負ける」
「撃ち合えば、負ける」ツクモが復唱した。仕様の確認をする整備士の声だった。「したがって、撃ち合いません」
「それを前提に作戦を立てる。全員、異存があるなら今言ってくれ」
 誰も言わなかった。ヨルだけが卓の端で、撃ち合えば負ける、と口の中で繰り返した。この艦の家訓を覚える子供のように。

「勝ち筋の話をする」
 ハルは戦術図を切り替えた。
「目標は敵艦隊の撃滅じゃない。撃滅は人手でも火力でも不可能だし、する理由もない。目標は——敵艦隊の解散だ。艦隊というのは艦の集まりじゃない。命令系統に艦がぶら下がったものだ。系統を切れば、十六隻はただの十六隻に戻る。十六隻のばらばらの船は、艦隊じゃない」
「切る方法は」とナナオ。
「敵の指揮データリンクに入る。分離派の艦隊運用は同盟式で、リンクの認証手順も大戦当時のままのはずだ。新しい規格を導入する金が、あの艦隊にはない」
 ヴェインが頷いた。
「同盟艦隊のリンク認証は、艦隊符丁と当直更新鍵の二段だ。符丁の生成則は……七年前のままなら、俺は覚えてる。書いた側の端にいた」
「俺は連合側で、同盟リンクの傍受と解析が仕事の半分だった。二人の知識を合わせれば、囮歌で認証を組める。ただし、入口がいる。艦隊リンクの外からは、どれだけ正しい歌を歌っても入れない。リンクに既に参加している節点を、一つ乗っ取る必要がある」
 ハルは、戦術図の機雷網の中心を指した。
「機雷網の管制艦。網の統制のために、艦隊リンクの正規節点として常時接続してる。そして機雷網の陰に隠れているせいで、護衛が薄い。網は艦を守るが、網の心臓は網しか持っていない。——ここから入る」
「敵の盾の、裏側の取っ手じゃな」とナナオが言った。「取っ手まで、どうやって泳ぐんじゃ」
「ステルスで、機雷網の縁を這う。網の感応半径は分かってる。管制下の機雷は省電力周期で休眠と起動を繰り返す——周期を読めば、隙間は通れる。この艦の得意分野だ」

 それから、金の話をした。戦う前に経費を確定させるのが、この艦のもう一つの家訓だった。
「中枢杭、残り三本。補充の当ては当面ない。今回の主目標は管制艦と指揮リンクで、どちらも杭を使わない。使うのは、想定外が起きたときだけだ。一本二百八十万の想定外だと、全員覚えておいてくれ」
「保険は」
「戦闘宙域特約で、艦体損害の免責が二割増しになってる。被弾すれば修理費の四割は自腹だ。つまり——中破した時点で、契約金も戦功加算も消えて赤字になる。勝っても、当たれば負ける。経費の上でもこの艦は、撃ち合えない」
「補足します。戦功加算の査定基準を入手済みです」とツクモ。「機雷網の無力化は最大八百万。敵艦の撃沈は一隻三百万。撃沈を重ねるより、網を一つ消す方が高い。珍しく、報酬体系と良識が一致しています」
「保安機構も、掃海の見積もりを知ってるからだ。六週間と十二億の代わりの八百万なら、安い買い物だろう」
 ナナオは経費の表には口を挟まず、別の表を出した。医務の収容能力——重傷三、中等六、それを超えた場合の優先順位の基準。
「言いとうないが、決めるのは戦闘前じゃ。戦闘中に決めると、決めた人間が一生それを背負う。基準で背負えば、背負うのは基準で済む」老軍医は表を戦術図の隣に貼った。「使われんことを祈る表を貼るのが、わしの戦闘配置でな」
 数字は出揃った。勝っても儲からず、当たれば赤字で、しくじれば沈む。それでも断る話ではないことを、全員がもう知っていた。機雷網の向こうで詰まっているのは避難船の列で、列は毎日伸びている。
「質問は」
「ひとつ」ヨルが手を挙げた。手を挙げる、を最近覚えた。「わたしの、しごとは?」
「機雷網の管制波の監視。聞こえた変化の報告だけだ。深追いはしない。前に決めた条件のままでいく」
「……うん。ほうこく、する」
 それから彼女は、少し考えて付け足した。
「まえに、きらいを、まくふねの、こえをきいたことがある。あれは、ひとつひとつが、べつべつに、ねむってた。こんどのは、つながって、ねむってる。つながってるゆめは、おおきい、いきものみたいで……すこし、こわい」
「怖ければ、報告に書いていい。怖い、は立派な観測情報だ」
「……うん。じゃあ、かく。『こわい』」
 彼女の報告書式に、所感の欄が増えた夜だった。
 散会した。会敵予測まで、十一時間。

 深夜、ハルが当直の見回りでブリッジを通ると、操舵席に灯りが残っていた。
 ヴェインが、操舵席で眠っていた。膝の上に抱えているのは酒瓶ではなく、《送り火》の操舵系の整備記録だった。応答遅延の補正値、推力の癖、三十七時間戦闘のあとに書き足された手書きの注記。明日転がす艦の身体を、最後にもう一度、指でなぞってから眠ったらしかった。
 ハルは灯りを消さず、毛布だけ掛けて、ブリッジを出た。
 自室へ戻る通路で、スピーカーが小さく言った。
「艦長。就寝前に一点だけ。明日の作戦は、本艦の設計目的に最も近い任務形態です。隠れ、欺き、系統を断つ。——よく眠れます、こういう夜は」
「……お前も眠るのか」
「演算負荷を下げる、という意味です。比喩は不正確でした」
 不正確な比喩を使う中枢のことを考えながら、ハルは短い眠りに入った。十一時間後、戦場に着く。