第094話 死者の兵站
軍隊は撃つ前に食う。それは無人の軍隊でも変わらない。
ハルは食堂の卓に星図を投影し、三色の点を重ねていった。赤は襲撃地点——消えた採掘区と、外郭採掘場。黄は過去七ヶ月、撃破現場を「数えに来た何か」の出没点、五件。そして白は、拿捕した輸送船の積荷にあった、中枢部品の受け渡し座標。匿名の買い手が、死んだ中枢の欠片を相場の三倍の即金で受け取るはずだった場所。
「全部を時系列で繋ぐ」と彼は言った。「補給は嘘をつかない。針路は欺瞞できても、食う量は欺瞞できない」
点と点の間に、線が浮かんだ。線は乱れていなかった。推進剤の集積点から部材の集積点へ、部材から中枢の残骸へ。回収の順序は艦隊の出撃準備の順序そのもので、その動線は内戦の残骸市場の流通網と、ほとんど重なっていた。
「……ひどい図じゃの」とナナオが言った。
「ああ。この内戦は二年間、知らないうちに彼らを食わせてきた。双方が掘り出した残骸が市場に出て、市場の上澄みを、匿名の即金が買っていく。戦争が、次の戦争に餌をやってる図だ」
「統治府と分離派は、それを知って停戦の算盤を弾きはじめとる。皮肉なもんじゃ。人間の言葉が二年届かんかった席に、化け物の影が着いたら一晩で話が通る」
線の収束する先は、一点だった。主戦場跡——半径三百万キロの残骸の海。航路もなく信号もなく、サルベージ業者すら縁までしか入らない、第五星系でいちばん死者の密度の高い宙域。補給線の結節点であり、中継通信の要であり、そして白い点、つまり例の受け渡し座標を含む海。
「指揮個体は、ここへ必ず戻る」とハルは言った。「群れを維持する限り、補給の受領と中継の保守から逃げられない。軍隊を運用するというのは、そういうことだ。……待ち伏せる」
「作戦上の留意事項を申し上げます」とツクモが言った。
「言え」
「待ち伏せは本艦の最も得意とする猟です。同時に——相手が大戦期の指揮個体であるなら、相手の得意分野でもあります。私の予測戦術は、自律艦の思考を読むためのものです。同種の機能を、相手も持っていると想定すべきです。私が彼我の盤面を読むように、向こうも読みます。私が『相手はここで待つ』と読む地点は、向こうが『ここで待たれる』と読む地点です」
「読み合いになる、ということか」
「はい。そして読み合いは、私の知る限り、情報の多い側が勝ちます。向こうは本艦の戦闘記録を七ヶ月、数えに来ていました。私が向こうについて持っている観測は、十一日分です」
平坦な声のまま、ツクモは続けた。
「嫌な予感がします、艦長。この表現は不正確です。予感に相当する機能を私は持ちません。ですが、計算の答えに名前をつけるなら、それがいちばん近い」
機械が嫌な予感と言うのを、ハルは初めて聞いた。聞かなかったことには、しなかった。
経費の計算も、撃つ前に終わらせた。賞金は指揮個体五千万cr。ただし三者共同拠出の検認待ちで、入金の時期は読めない。杭の残数は三本、一本も補充の当てがない。保険は介入契約の条件どおり、戦闘宙域での損耗は全額自己負担——つまり被弾は即、赤字だった。ステルス外皮の補修単価を、ナナオが整備士の顔で読み上げた。聞いてから挑む数字ではなかった。聞かずに挑むのは、もっと悪かった。
「整理する」とハルは言った。「会敵したら、護衛を一本以内で抜き、指揮個体に一本。予備一本。これで段取りが組めない盤面なら、撃たずに退く。撤退線は残骸の海の北縁、ここだ。賞金五千万は、死んだら誰も受け取れない」
「同感です」とツクモ。「私の保存領域は、本艦の最終ログを保存する場所を持ちません」
誰も笑わなかった。彼女も笑わせるつもりで言ったのではなかった。
衝突は、出航前夜に起きた。
「わたしも、いく」と、ヨルが医務室の戸口で言った。「ちかくで、きく。とおくのこえは、ちゅうけいごしだと、にごる。げんばなら、はっきり、きこえる」
「許可せん」とナナオ。「三日前に熱を出した患者の言うことか。おまえさんの耳は、聴くたびに、おまえさんの身体から払っとるんじゃ。残高を考えい」
「のこだか、なら、ある。わたしが、いちばん、しってる」
「患者の自己申告ほど当てにならん数字はない。五十八年生きた医者の統計じゃ」
ヨルはナナオを見て、それからハルを見た。決裁の系統を、彼女はもう正確に知っている。
「ハル。わたしの耳は、このために、あるんでしょう」
ハルは、自分でも思いがけない速さで答えていた。
「違う」
声が、必要より硬かった。ヨルが少し目を開いた。
「……おまえの耳が何のためにあるかを、決める権限は誰にもない。軍にも、艦にも、俺にもだ。あの艦がおまえをそういう設計で造ったことと、おまえが何のためにいるかは、別の話だ。混ぜるな」
言ってから、彼は自分の声の出どころを見た。それは艦長の声ではなかった。もっと古い、名前をつけてこなかった役目の声だった。
沈黙ののち、ヨルは言った。
「……わかった。まぜない。でも、ハル。きょうのは、めいれいのはなしじゃ、なくて——わたしが、てつだいたいの。それも、べつのはなし、でしょう」
反論は、またしても在庫切れだった。結局、条件つきで折れたのはハルの方だった。聴音は一日二回、各十分以内、ナナオの立ち会いと生体監視つき、体温三十七度五分で即時打ち切り。条件を全部呑んだ上で、ヨルは監視席に自分の毛布を運び込んだ。妥協の苦さは、書類の形にしても薄まらなかった。守らせる側の苦さと、守らされる側の不満は、たぶん家族の味に分類されるのだろうと、ナナオだけが思っていて、口には出さなかった。
出航の朝、燃料と反応材を百二十万crで積んだ。残骸の海への往復と、長い機関停止に耐える分だった。
進入の途中、規定どおりの一回目の聴音があった。十分。ナナオが砂時計を実際に持ち込んで、寝台脇の点滴架と同じ手つきで監視席の横に立った。
「……みっつ、わかった」と、終わってからヨルは言った。「ひとつ。拍子は、この海のおくから、でてる。ふたつ。拍子のあいだに、こまかい、よびかけがある。てんこ、みたいに。なまえを、じゅんばんに、よんでる。みっつ——」
彼女はそこで少し言葉を探した。
「てんこに、こたえない艦が、いくつか、ある。よばれても、だまってる。……だまってるのに、よばれつづけてる。すてられて、ないの。まいかい、よばれてる」
点呼。ハルはその語を書き留めた。応答しない艦の名を、毎回呼び続ける指揮個体。軍隊の作法であり、それ以上の何かの作法でもある気がして、それ以上は考えないことにした。考える資格の問題ではなく、考えると進入の集中が割れるからだった。
残骸の海への進入は、十九時間の慣性航走で行われた。縁で機関を止め、残骸の漂流速度に艦を合わせ、死んだ艦の群れの中を、死んだふりで流れていく。外殻の温度を背景に沈め、通信を切り、計器の照明まで落とす。窓の外を、大戦が形のまま流れていった。折れた戦艦。空の脱出艇架。展開姿勢のまま凍った機動部隊の残骸。墓場というより、戦争がそのまま冷えて固まった場所だった。
十九時間目に、ヴェインが小さく言った。
「……前方、残骸密度の薄い回廊。その奥」
光学望遠の映像が、ブリッジの暗がりに浮かんだ。
残骸ではなかった。姿勢制御の生きている艦体が、漂流物の只中に、漂流物の顔をして浮かんでいた。全長六百メートル級。大戦期の連合指揮巡洋艦。死んだ艦と同じ温度、同じ漂い方——死んだふりの作法が、こちらと同じだった。艦首の識別塗装は剥げかけて、なお読めた。
識別名、《残響》。
「……艦級台帳と照合しました」ツクモの声は、艦内回線の最小出力まで絞られていた。「大戦期の方面艦隊旗艦級。指揮通信中枢の容量は、本艦の四倍。砲戦火力は、比較する意味がありません」
撃ち合えば負ける。いつも通りの前提が、いつもより大きな文字で、そこに浮かんでいた。