第175話 査問
中央寄りの軍港は、外縁の港と匂いが違った。
第五九五日、《送り火》は指定の隔離桟橋に着けた。執行停止中の手配対象が、証人旅費の支給対象になる。書式は矛盾を気にしない。旅費の支給伝票に捺された経理印が、七年前の処分通知の経理印と同じ判型であることを、ハルは受け取った瞬間に見分けた。見分けたくて見分けたのではない。七年、書類で生きてきた目が、勝手にそうした。
桟橋には報道の艇が三つ張り付き、庁舎の前には中継の機材が並んでいた。記者の群れの端に、ソフィ・ラングがいた。彼女は群れに混ざらず、近寄っても来ず、すれ違いざまに一言だけ寄越した。
「組織は逃げ切るわよ。賭けてもいい」
「知ってる」
「知ってて来たなら、上等」と彼女は言った。「証言席の言葉は、全部記録される。七年前と違ってね」
査問委員会は、軍港の庁舎の三階で開かれた。
委員は七名。報道と議会に追われて設置された委員会が何を欲しがっているかは、最初の一時間で分かった。欲しいのは真実ではなく、出口だった。
初日、ホークの聴取を、ハルは隣室の控えで記録越しに聞いた。
驚いたのは、男が何一つ争わなかったことだ。停波指令の決裁、認める。三系統の偽装、認める。処分者の選定、認める。鹵獲艦隊の前倒し、認める。委員が「組織の関与」に踏み込みかけると、男は先回りして言った。——全て、私の発案であり、私の決裁であり、私の責任である。部下は命令に従ったに過ぎず、上官は報告を受けていない。
完璧な供述だった。完璧すぎた。組織が彼一人に罪を折り畳むのではない。彼が自分から、折り畳まれにいっていた。組織を守って沈むことまで含めて、あの男の「備え」なのだ。委員会は出口を欲しがり、被告が出口そのものを差し出している。査問は、初日から葬列の速度で進んだ。
ハルの証言は、二日目に組まれていた。
軍の聴取様式。氏名、所属、七年前の夜の勤務記録。彼は全て即答した。四十秒の再送信規定超過も、二回の調査委員会聴取も、議事録に載らなかった要求のことも。
「証人は当時、停波が指令によるものだと認識していましたか」
「していない。事故だと信じていた。七年、信じていた」
「証人は、本件決裁官とされる人物から、後年、便宜の供与を受けていますね。特務嘱託への推薦。月給八百万。これは利益相反では」
「受けた」とハルは言った。「推薦された理由を、当時は恩義だと解釈した。今は、監視と運用だと解釈している。解釈はどちらも記録に残せ。判断は委員会の仕事だ」
質問は、欲しい答えの形に掘られた溝を流れていった。停波指令が組織の決定であった証拠はあるか——署名は一つしかない。では個人の決定と矛盾しないか——矛盾はしない、ただし三系統の偽装保守指令の経費は後年、特務局の費目で精算されている——その経費処理を承認した者の特定は——本委員会の付託事項の外である。研究施設の予算系統は——外である。摘出された中枢の最終的な搬入先は——外である。
外である、という一言が、二日間で十一回使われた。ハルは数えていた。数える癖だけは、誰にも止められなかった。十一回の「外」を繋ぐと、地図が一枚描ける。委員会が決して照らさない領域の、正確な地図だ。彼はそれを帳簿の頁に写した。いつか誰かが——おそらくあの記者が——必要とする日のために。
傍聴席には、遺族の区画があった。
還らず艦の被害者の遺族が、抽選で十二人。質疑のあいだ、誰も声を上げなかった。声を上げれば退席させられる規則を、全員が事前に読んでいる側の人間だった。書類に殺された者の身内は、書類の読み方だけは上手くなる。二日目の終わり、年配の男が一人だけ、退出の列で立ち止まり、証言席のハルに向かって短く頭を下げた。誰の遺族で、何に対する礼かは、分からなかった。分からないまま、ハルも頭を下げた。それが、この査問で交わされた言葉のうち、議事録に載らない唯一のものだった。
三日目、彼は発言の最後に、持参した一覧を提出した。帰還命令の届かなかった艦の推定一覧と、七年間の民間被害の集計。七年前、二度要求して二度議事録から消された、あの一覧の完成形だった。
今度は、受理された。資料番号が振られ、審議は後日とされた。受理と審議の間に横たわる距離を、彼はもう知っていたが、それでも番号は付いた。七年かかって、番号が付いた。
休廷の廊下で、二人になったのは、三日目の午後だった。
護送の憲兵が書類の確認で足を止めた、その数分。ホークは廊下の窓際に立っていて、ハルに気づくと、七年前と同じ角度で頷いた。
「いい証言だった。様式が正確だ。お前は昔から、書式だけは私より上手い」
「大佐」
「もう大佐ではない。今朝付でな」と男は言った。声に、自嘲はなかった。「ハル。一つだけ言っておく。詫びは、せん。私の計算は今も立っている。次の戦争は来る。三十年で終わった戦争など、休戦と呼ぶのが正確だ。来たときに、自律戦力を持たん側が、もう一度三十年払う。私は備えた。手段の帳簿が汚れることは、最初から織り込んだ」
「その帳簿に、九百人の欄はあるのか。四千人の欄は。……ヴェイン・コルサクの欄は」
「ある」とホークは言った。即答だった。「全部ある。経費の欄にだ。お前の七年も、そこにある。——有能な経費だった。惜しいと思った回数は、お前が思うより多い」
嘘ではないのだろう、とハルは思った。本物の負い目を経費処理できる男の、本物の声だった。この男の中で、救国の論理は最後まで一度も折れていない。折れていないからこそ、七年前のあの夜、迷いなく網を黙らせることができたのだ。
「あんたに、前に二度訊いた」とハルは言った。「借りというのは、誰が誰に借りたものだ」
「私の様式で答えるなら」と男は窓の外の軍港を見たまま言った。「まだ、私が貸し越しだ。国に対してな。お前個人への貸借は——」
そこで初めて、男は言葉を選ぶのに、一秒使った。
「——清算の方法が、存在せん」
「あんたは俺から七年を取った。ヴェインが死んだ戦場も、元を辿ればあんたが作った。九百人の墓もだ。……返せるのか」
「返せん」
「なら、もういい」
復讐の言葉は、最後まで出てこなかった。出てこないことを、ハルは廊下に立つ前から決めていたわけではない。ただ、目の前の男から取り立てられるものが、この宇宙に一つも残っていないという事実が、勘定の済んだ帳簿のように、そこにあるだけだった。
憲兵が戻ってきて、ホークは連れられていった。去り際に男は一度だけ振り返り、何かを言いかけて、やめた。言われなかった言葉を、ハルは推測しなかった。推測は、あの男に支払う最後の通貨だ。もう払わない。
夕刻、委員会は審理の終結を宣した。
強硬派の組織的関与、確認されず。停波指令、当該決裁官の単独の越権。結論の二行が読み上げられるあいだ、傍聴席の遺族たちは黙っていた。四千人の死者と数百隻の孤児が、一人の男の人事記録に折り畳まれていく音は、紙のめくれる音しかしなかった。
処分は、全官職の解任。予備役編入の取り消し。軍法会議への送致——罪状は越権、公文書偽造、命令系統の僭称。どの罪状の文面にも、四千人の死者の数字はなかった。帳尻は合わされていた。合っていないのは、現実の方だった。
退廷するホークの背に、誰も石を投げなかった。傍聴席の遺族も、廊下の士官も、報道の記者も、ただ黙って、姿勢のいい背中が扉の向こうへ消えるのを見ていた。
石を投げるには、的が小さすぎるのだ、とハルは思った。四千人ぶんの的は、一人の男の背中には収まらない。収まらない分は、結論の二行が言うとおり「確認されず」のまま、建物の方に残って、明日も執務を続ける。
庁舎の外で、ソフィ・ラングが手帳を閉じるところだった。
「続報の見出しは決めた」と彼女は言った。「『組織的関与、確認されず』。——括弧は付けない。読者が付ける」
「七年経ったら、また書くのか」
「数が合うまで書く。それが私の様式」と記者は言って、報道の艇の方へ歩き去った。
それが一番、戦後らしかった。誰も石を投げず、誰かが数を数え続ける。それだけが、続いていく。