第008話 入港

「テネブラエ港管制より未登録艦へ。未登録艦、所属と用件を述べよ」
 誰何は二度繰り返された。ハルは送信キーに指を置き、三秒待ってから話し始めた。早く答えすぎる船は、疚しいか、素人だ。

「テネブラエ管制、こちら被サルベージ回航艦。所属、個人事業者アマノ・ハル。旧外環サルベージ社契約員、社員番号〇四七、本日時点で契約は終了済み。用件、サルベージ法第十一条に基づく無主物先占の届出と、同法施行規則様式第七号による回航届の提出。被回航艦は第三宙域デブリ帯にて発見した放棄艦一隻、識別信号なし、艦籍照会応答なし。発見時の記録は提出可能。仮泊の許可を求める」
 一息で言い切って、回線を開けたまま待つ。管制官の側の沈黙が、こちらの計器で三十秒を数えた。
「……回航艦、待て。様式第七号と言ったか」
「言った。発見座標と艦体諸元は様式第七号の二の付表で送る。受信準備を頼む」
「諸元を口頭で先に。全長」
「二百八十メートル。推定一万八千トン級。機関は生きている。火器管制は確認できない——俺は通信屋で、砲のことは分からん」
 最後の一句は、計算して入れた嘘のない誤導だった。砲のことは分からない。事実だ。確認できない、も事実だ。確認する権限の持ち主が答えたがらないだけで。
「二百八十……回航艦、その質量を単独で回したのか」
「機関が生きていたからだ。死んでいたら、いまも第三宙域で届出の文面を考えてる」
 管制官が短く笑う気配がして、すぐ事務の声に戻った。笑わせるための文言ではなかったが、緊張を解くためのものではあった。
「回航艦、針路と速度を維持。照会する。——旧軍属か? 様式の読み上げが、妙に堂に入ってる」
「連合軍第七補給艦隊、元通信下士官。七年前に除隊した」
「道理でな。最近の民間は様式番号も言わん。助かるよ」
 軍用通信の定型句を正確に使い、略号を正確に置き、復唱を正確に返す。回線の向こうの管制官の頭の中に「元軍属の、堅気の、手続きを知っているサルベージ屋」という像が組み上がっていくのを、ハルは音の感触だけで確かめていった。嘘は一つも使わない。事実の配列だけで、相手の結論を設計する。
 囮歌に似ています、というあの声を、思い出さないようにした。
「回航艦、テネブラエ管制。仮泊を許可する。指定係留区、外周第七。誘導ビーコンに乗れ。入港後二十四時間以内に港湾事務所へ出頭、届出書類一式を提出のこと。なお二百八十メートル級の係留費は日額三万クレジットだ。前納になる」
「……了解した。外周第七、ビーコンに乗る」
 日額三万。声に出さずに、彼は頭の中の帳簿を一行書き換えた。仮泊の許可と引き換えに、彼の残り時間に値札がついた。一日三万クレジットずつ減っていく時計だ。自爆カウントよりは遅い。それだけが取り柄の時計だった。

 《送り火》は誘導に従い、低速でテネブラエ港の外周へ滑り込んだ。
 観測スクリーンに港が近づいてくる。回転する主構造体、放熱板の翼、係留区に並ぶ船の群れ。鉱石運搬船、中古の客船、ギルドの傭兵艦、検疫待ちの難民船。戦時中は前線基地だった港だ。装甲化された旧軍区画が、民間の増築に半ば飲まれながら、骨格として今も残っている。増築部の明かりは雑多で温かく、旧軍区画の照明は今も等間隔で冷たい。この港は戦後を上に着ているだけで、骨は戦争のままだった。
「外周第七係留区。接舷します」
 ツクモの操艦で、二百八十メートルの艦体が、係留アームの間に収まった。微かな接触音が艦体を伝う。誤差の表示は二・八メートル。ハルには良し悪しの基準が分からなかったが、後に分かることになる数字だった。
「接舷完了。艦長、入港中の行動規範を確認します。当機からの能動的な通信は行いません。艦内常駐の人員はあなた一名。あなたの不在中、本艦は『誰もいない拾い物』です」
「七年、やってきたことだろう」
「はい。七年と、三か月と、十六日」
 日数を即答した声に、抑揚はなかった。なかったが、ハルは一拍、応答に詰まった。数えていたのだ、この機械は。誰も来ない係留のような漂流の日々を、一日も落とさずに。
「艦長。当機は申し合わせ通り、本日より『死亡』します。艦内系は最低限の保守モードを装い、応答はすべて民生代替AIの規格で行います。緊急時の合言葉は規定通りに」
「ああ。……留守を頼む、は変か」
「死者への声かけとしては不適切です。ですが、記録しました」

 港湾事務所での手続きは二時間かかった。
 窓口の係官は、二百八十メートルの無主物先占という届出を三度読み返し、上司を呼び、上司は様式の不備を探して見つけられず、結局は受理印を押した。様式に不備がなければ受理する。それが役所だ。様式に不備を作らないことが、ハルの戦争だった。
 検分記録の音声も提出した。三日かけて「抜粋」した版だ。隔壁が独りでに開く音も、待っていたという挨拶も、抜粋の外にある。提出様式が求めるのは識別不能性の証明であって、艦内の物音の全集ではない。係官は早送りで二分聞いて、添付欄に受領の印を打った。誰も嘘をついていない部屋で、真実だけが少しずつ削られていく。書類仕事とは元々そういうものだった。
 無主物先占の届出手数料、二万クレジット。係留費初日分、三万クレジット、前納。窓口の端末に親指を当てるたび、二十三万あった残高が音もなく削れていく。残り十八万。受理印のついた控えの束だけが、引き換えに手元に増えた。書類の重さは金の軽さに比例する、と思ったが、口には出さなかった。
「アマノさん、だったか。これな、艦籍の本登録までやる気なら、現況検査が入るよ。保安機構の」
「知ってる。様式は」
「第十二号。……あんた、ほんとに民間人かい」
「七年前からは」
 係官は曖昧に笑って、控えの束を押し出した。
「あと、保険な。無保険の艦は係留六十日まで。それを過ぎると強制退去か、競売。二百八十メートル級の保険は、辺境の引受会社だと月極で三十万からだ。先に言っとく。窓口で倒れられると、こっちが書類を書く羽目になる」
「……忠告に感謝する」
「忠告じゃない。様式第二十一号の説明義務だ」
 役所の親切は様式の形をしている。様式の形をしていない親切は、役所では生き残れない。七年前まで彼自身がそちら側の人間だったから、よく分かった。
 事務所を出ると、港の中央通路だった。
 傭兵ギルド支部の前は今日も騒がしい。仕事を取った組と取れなかった組、報酬の配分で揉める声、誰かの除隊記念の安酒盛り。すれ違いざま、酒盛りの輪から話の切れ端が耳に入った。デブリ帯の幽霊船の話だった。緋蓮団の漁が一個潰された、相手は黒い大型艦、砲声なしで二隻やられたらしい——尾鰭はもう付き始めていて、艦の全長は噂の中で四百メートルに育っていた。ハルは歩く速度を変えずに通り過ぎた。噂と本人を結ぶ線は、まだ誰も持っていない。まだ。その喧噪の数十メートル先に難民区画の入口があり、煮炊きと消毒液と人の密度の臭いが通路まで染み出している。日雇いの列は、五日前と同じ長さだった。五日。たったそれだけしか経っていないことに、ハルは数えてから気づいた。五日前、彼はこの通路を、解雇されたデブリ回収員として歩いた。いまは禁制艦の艦長として歩いている。通路は何も変わっていなかった。変わったのは、彼の隠し事の重さだけだった。
 そして、壁。
 戦没者の名を刻んだ壁の前を、ハルは五日ぶりに通った。歩く速度は変えなかった。変えなかったが、五日前と違うことが一つあった。彼はいま、あの戦争の禁制品の艦長だった。壁の名前たちに対して、それが何を意味するのか、まだ計算が終わっていなかった。

 外環サルベージ社の事務所で、彼は作業艇の鍵を返した。
 燃料の精算と装具の返納で書類が三枚。回収リストの未消化分——十三件目と十四件目——の報告書も付けた。未消化の理由の欄には「大型漂流物の発見に伴う作業中断」とだけ書いた。一語も嘘はない。
 バッツ・モローは自分で判を押しながら、伝票の向こうから言った。
「デブリ帯で馬鹿でかい拾い物をしたって聞いたぞ。港の管制は口が軽い」
「拾った。処分の方法はこれから考える」
「うちで買い取りは——できんな、いまのうちには。二百八十メートルなんぞ、解体のドック代だけで会社が飛ぶ。すまんな」
「謝る場面じゃない」
「謝らせてくれ。最終業務の途中で放り出した男の拾い物だ。本来なら社の取り分を主張できる場面で、それもできん。すまんな、は安いもんだ」
 すまんな、にはこの五日間の全部が入っているようだった。解雇も、救援に出せなかった艇のことも。ハルは首を振った。
「不景気のせいだ」
「……そう言ってもらえると、助かるが、助からんな」
 モローは退職手続きの最後の一枚を押し出した。ハルは判を押した。七年勤めた職場との縁が、判ひとつで終わった。憎める相手なら、まだ怒りの置き場があった。憎めない男を憎まずに済むというのは、楽なような、行き場がないような、そういうことだった。
「達者でな、アマノ。……何で食ってくんだ、これから」
「考えてる最中だ」
「考えがまとまったら、顔を見せろ。飯ぐらいは出す」
「不景気なんだろう」
「飯ぐらいは、と言った」
 嘘ではなかった。考えは、もう半分まとまっていた。まとまった先にあるものが何か、まだ言葉にしたくなかっただけだ。
 事務所を出るとき、整備員のオルガが格納区の奥から手を上げた。声はかけてこなかった。互いに、かける言葉の持ち合わせがなかった。

 係留区へ戻る途中、携帯端末が鳴った。
 港湾事務所からの転送ではなかった。発信元は、辺境保安機構テネブラエ分署。署名は分署長名義で、出頭期限は四十八時間以内、場所は分署庁舎。様式は丁寧で、文面は事務的で、拒否の選択肢はどこにも書かれていなかった。件名の行だけで、用件は全部読めた。
 ——出頭要請。「回航艦の現況検査について」。