第073話 番人

 番人の正体は、四十時間目の観測で割れた。
 デブリの切れ目を、警戒航行の艦影が一度だけ横切ったのだ。全長百二十メートル。同盟の護衛駆逐艦。識別コードの塗装は剥げかけて、それでも読めた。DE-09。

 台帳の被害記録の欄は、骨市の評判の裏付けだった。
 終戦の翌年からこのかた、骨市に入って消息を絶った回収船、確認できるだけで六隻。乗員合計十九名。残骸は一隻分も回収されていない——回収しに行く者が、いなくなったからだ。賞金一千万は七年間、誰にも請求されずに台帳の上で埃をかぶっていた。賞金の額は墓石の値段。十九人ぶんの石の値段が、千万だった。
 ハルは十九の数字を、自分の帳簿に書き写した。書き写しながら、この十九も、七年前のあの夜の下流にあることを、いつものように確かめた。確かめる作業は、もう祈りに似た反復になっていた。

 保安機構の台帳と、ヴェインの記憶が、それぞれの半分を埋めた。
「賞金台帳に載っています。中型還らず艦、DE-09。推定任務、施設防衛。賞金一千万cr」とツクモ。
「D級の派生で、船団護衛と泊地警備の兼用艦だ」とヴェイン。「撤退戦の頃、補給廠の警備に一隻ずつ貼り付けとった。……貼り付けたまま、忘れられたか」
「最後の命令は『補給廠を防衛せよ』。七年間、その一行を遂行し続けています。骨市に入った回収船が還らない理由です。施設への接近者は、防衛対象への脅威として排除される」
 そこまでは、いつもの還らず艦だった。
 いつもと違うのは、その防衛網を、海賊が素通りしている事実だった。
「緋蓮団の補給船の航跡を解析しました。骨市への進入時、彼らは旧同盟軍の敵味方識別——IFF符号を発信しています。DE-09の識別系は劣化していますが、『同盟識別票を持つ者を通す』という根の部分だけは生きている。緋蓮団は元同盟兵です。古い符号の現物を、人数分持っています」
「……つまり」とナナオが言った。「海賊どもは、死んだ戦友に、ただで燃料庫を守らせとるわけか」
 誰も答えなかった。
 ヴェインは観測図を長く見ていた。七年間、誰も褒めず、誰も交代に来ず、給料も補給もなく、骨の市場で泊地を守り続けた艦。それを「番犬」として使い、餌もやらずに通り抜ける、かつての戦友たち。どちらに腹を立てるべきかの整理がつかない顔を、彼は隠さなかった。隠す体力を、この数週間の彼はもう使い果たしていた。

「ルールを提示する」
 ハルは戦術図に切り替えた。
「DE-09の火力は中型として標準。うちの正面火力では撃ち合えば負ける——いつも通りだ。問題は接近だ。《送り火》の船体は連合系。識別票なしで近づけば、即時交戦になる。囮歌で同盟の民間符号を歌っても、防衛艦は民間船を『通さない』。通すのは、軍の識別票だけだ」
「最適解を提示します」とツクモが言った。「商会の輸送船一隻を、緋蓮団の補給船に偽装して進入させます。DE-09の注意が囮に向いた交戦の隙に、本艦が背後を——」
「却下だ。民間船を盾にはしない」
「記録します。では次善案を」
 ツクモは、一拍置いた。置いてから、言った。
「同盟軍の正規IFF符号を、本艦が偽装発信します。符号の生成には、実在した艦の識別票の現物が必要です。——艦内に、一名分あります」
 食堂が、静かになった。
 全員の目が、見ないようにしながら、一点に集まった。ヴェインの胸元。七年間、徽章を全部むしり取った外套の下で、それだけは捨てられなかったもの。
 ヴェインは誰の顔も見なかった。
 ゆっくりと、首から鎖を抜いた。古い金属の識別票——艦名、所属、階級、認証チップ。《グロム》。同盟軍第十一駆逐隊。中佐、ヴェイン・コルサク。死んだ艦の、死んでいない符号。
 彼はそれを、卓の上に置いた。
「使え」
「……いいのか」
「符号ってのはな、艦長」ヴェインは立ち上がりながら言った。「使われてるうちが、生きてるんだ。七年、俺の胸で死んどった。……働かせてやってくれ」
 卓の上の小さな金属を、ハルは両手で受け取った。受け取り方に、他の形が思いつかなかった。
 その夜、ツクモが識別票の認証チップを読み取り、符号の生成試験を回した。作業の合間、彼女がハルにだけ聞こえる音量で言った。
「艦長。確認です。本作戦の構図を、正確に記述します。——同盟の艦長の符号で、同盟の防衛艦の信頼を取得し、懐に入って撃つ。本艦のこれまでの猟で、最も欺瞞の深度が深い作戦です」
「……分かってる」
「彼は、それを分かった上で差し出しました。記録します。それから、もう一件」
 一拍。
「中枢杭、残弾一です。本作戦で使用すれば、ゼロになります。市場の在庫は枯れたままです。次の調達の目処は、ありません」
 最後の牙で、最後の番人を撃つ。その後のことは、その後で考えるしかなかった。考えるしかない、という状態を帳簿に載せると「無計画」と書かれることも、ハルは知っていた。知っていて、進めた。テッサの時計が、待ってくれなかった。