第084話 旗の色

 シネレオ港への帰投は、護衛の往路より三日早かった。空の船団は身軽で、検問は出るときより入るときの方が緩い。戦争は出口にだけ厳しい。
 復路の途中、ヨルは半日だけ熱を出した。撃沈の瞬間の「声」を、彼女は今回も遮断できなかった。聴かない約束は守られ、聞こえてくるものは約束の外から来る。ナナオは解熱剤を処方し、処方箋の代わりに「これが十隻目の経費じゃ」と言った。帳簿に載らない経費が、この艦には毎回ある。
 桟橋に降りる前に、撃破の後の事務が一式あった。

 コアタグの提出は介入部隊の窓口で済み、賞金一千万crは保安機構の直接契約として、手数料なしの満額で振り込まれた。残高、約四千百万。帳簿の数字は健全で、健全な数字の下に、ハルはもう一つの手続きを差し込んだ。
 哨戒駆逐艦の臨検記録——排除された十一隻の船名と座標の写しを、保安機構の航路被害課へ正式に提出する。原因不明で綴じられた十一件の行方不明が、これで死亡として確定する。遺族には通知が行く。七年待った答えが「規定により排除」の四文字であることが救いになるのかどうか、ハルには分からなかった。分からないまま、提出の判を押した。確定しない死は、確定した死より重い。それだけは、七年間の経験で知っていた。
 航路被害課の窓口の職員は、写しを受け取ると、十一件の番号を一件ずつ照合した。七年もののままの未決番号が、七年ぶりに動いた。遺族への通知文は定型で行きます、と職員は言った。定型でいいんですか、とも。
「定型でいい。下手に温度のある文面は、温度のぶんだけ嘘になる」
 自分の帳簿には、短く書いた。撃破数、十。
 十という数字は、彼の引き算の中では、まだ序章ですらない。置き去りにした数百隻から十を引いても、残りは数百のままだ。それでも頁は進む。進めるために、この稼業を選んだのだった。隣の「還らない数字」の頁には、臨検記録の十一隻の乗員数を転記した。判明分だけで、七十四人だった。

 港には、四日分の戦争の続きが溜まっていた。
 統治府は週明けの公報で「秩序回復の最終段階」を宣言し、分離派は海賊放送の周波数で「徴税人の艦隊に星をくれてやるな」と応じた。ハルは両方を、資料として最後まで聞いた。
 統治府の言い分はこうだ。第五星系の施政権は連合の承認を受けた正統な統治府にあり、分離派は航路を人質に取る武装集団である。法的には、一字も間違っていない。
 分離派の言い分はこうだ。大戦中、この星系は同盟側の入植地として三度焼かれ、連合は防衛線を二度後退させて入植地を見捨てた。戦後、中央が寄越したのは復興資材ではなく徴税官だった。中央は税だけ取って、守らなかった——だから自分たちで守る。事実関係は、一つも間違っていない。
 正しさの欠片を双方が一つずつ握って、欠片同士では絶対に組み合わさらない。それが内戦という形式だった。
 港の壁には、双方の触れ書きが貼られては剥がされていた。統治府のものは活字で「臨時航行管制への協力は市民の義務である」と告げ、分離派のものは手刷りで「あんたの税金は、あんたを撃つ弾になった」と訊いてくる。文体まで、持てる側と持たざる側に分かれていた。剥がすのは港湾局の仕事だが、剥がした跡から先に新しいのが貼られるので、壁は触れ書きの地層になっていた。
 午前のうちに、ハルは港の市場を歩いた。情報収集は、書類だけでは済まない。
 市場の三割は、残骸由来の品で占められていた。大戦艦艇の配線束が量り売りされ、艦載糧食の缶が山積みされ、隅の露店には砲の照準器が「望遠鏡」の札で並んでいた。店主に出どころを訊くと、答えは全部同じだった——海から拾った。この星系で「海」と言えば、主戦場跡の残骸の海のことだ。
 死んだ艦が、生きている者の市場を養っている。掘る者がいて、売る者がいて、買う者がいる限り、戦争の在庫は涸れない。

「分離派の艦は、同盟の中古だ」
 戦術資料の艦影一覧を前に、ヴェインが低く言った。酒場ではなく艦の食堂で、手元にあるのは茶だった。
「D7の後期型が二隻、E9が二隻。武装改装船の改装手順も同盟式だ。砲をどこに増設して、どこの装甲を諦めるか——癖で分かる。教範を書いた連中の顔まで浮かぶ」
「D7は」と、茶を注ぎ足しに来たナナオが言った。「前に沈めた型じゃな」
「ああ。いい艦だ。機関が素直で、整備の手間が少ない。乗員を選ばん。だから入植地の二代目でも回せる」ヴェインの声は、艦影の説明の温度のまま続いた。「同盟が辺境の防衛用に設計した艦が、七年後に、辺境同士の戦争で使われてる。設計どおりの場所で、設計と違う相手を撃ってるわけだ」
「乗ってるのも、元同盟兵か」
「中核はな。入植世代の二代目と、流れてきた敗残兵。……俺は、あっち側の戦争を知っている」操舵手は茶を一口含んで、艦影一覧から目を逸らさなかった。「知ってる戦争と、もう一度やることになる。それだけ、先に言っておく」
 それだけ、という言葉の容積を、ハルは量らなかった。量る権利が自分にあるとも思えなかった。「分かった」とだけ答えた。

 午後、介入部隊の兵站会議で配られた資料に、ハルは職業病の目を通した。そして、違和感に行き当たった。
 双方の消耗量の推計。統治府艦隊の弾薬と推進剤の月間消費、分離派のそれ。対して、双方の備蓄と生産能力。星系内に兵器工廠はなく、正規の補給線は連合の統制下にある。計算すると、答えは明瞭だった——この内戦は、どちらの備蓄でも三ヶ月しか保たない規模で、二年間続いている。
「会計が合わない」とハルは会議で言った。「双方とも、帳簿の外から補給を受けている。出どころは一つしかない——戦場サルベージだ。大戦の残骸から武器と部品を掘り出して、双方に売っている市場がある。分離派の資金源であると同時に、統治府側にも同じ市場から横流れしている。この内戦は、残骸が燃料だ。残骸は、まだ二十年分はある」
 分析班の若い士官が、半信半疑の顔で計算を検めた。検め終わると、顔から半信が消えて、半疑だけが残った。
「……数字は、合います。ですが、双方に売るというのは。買う側も、敵に売った店から買っていると分かるでしょう」
「分かってて買う。他に店がないからだ」ハルは言った。「兵站は、潔癖を最初に捨てる部門だ。どこの軍でも」
 会議は静かになり、議長役の老警備士官が一言で締めた——「つまり、放っておけば二十年戦争か」。
 誰かが残骸を売り、誰かが買って撃ち、撃ち合いがまた残骸を作る。戦争そのものが、この星系で唯一黒字の商品だった。

 会議の帰り、廊下で連合の連絡士官に呼び止められた。介入部隊への「助言」が中央から届いている、という話だった。航路保全の優先順位において、統治府支配宙域の幹線を分離派支配宙域のそれより上位に置くこと。中立、という建前の床が、書類一枚ぶんだけ統治府の側へ傾いた。
 断る権限は、誰にもなかった。介入部隊の燃料は連合の予算で買われている。ハルは「内戦には関わらない」という自分の契約条項を思い出し、その条項が立っている床ごと傾いていく感触を、靴の裏で確かめた。戦場へ行って戦争に関わらない方法。カンプの言ったとおり、まだ誰も見つけていない。

 その夜、警報ではなく、報せの方が先に来た。
 ツクモが通信傍受の要約を読み上げた。
「分離派が、幹線航路の第三結節点に機雷封鎖を敷設しました。敷設規模、推定四百基以上。管制艦による統制型機雷網です。統治府は航路啓開を名目とした艦隊出撃を決定。——介入部隊に、共同出動命令が発令されました」
 読み上げのあと、ツクモは続けた。
「補足します。機雷四百基超の敷設能力が、分離派にまだ残っていたことになります。先の消耗の推計と、計算が合いません。敷設艦の燃料も、機雷の在庫も、帳簿の外から来ています」
「……また、帳簿の外か」
「はい。この星系は、帳簿の外が本体です」
 戦術図に、機雷網の推定範囲が赤く広がった。
 航路保全。その名目の下で、介入部隊はこれから、内戦の片側に並んで戦列を組む。ハルの条項は契約書の中で生きていて、契約書の外では、もう誰もそれを読んでいなかった。