第108話 野辺送り・一
第三二七日。作戦〈野辺送り〉、第一段階、発動。
餌は計画通りに吊るされた。解体場行きの廃棄艦材二千四百トンを曳く徴用輸送艦二隻。護衛は駆逐艦四隻と電子戦フリゲート一隻——ただし、その機関波形は全艦、ツクモの手で老朽民間船のそれに編曲されている。遠くから聴けば、戦後を細々と生きる貧相な輸送隊の音だ。実体は、廃艦材の檻を囲む網だった。
「六隻分の嘘を同時に歌うのは、初めてです」と、編曲を終えたツクモは言った。「一隻分の嘘より、六隻分の嘘の方が信じられやすい。人間の世界の知見ですが、自律中枢にも適用可能と推定します」
輸送艦の乗員は、九日間の交渉で各艦九名まで減らした。本当は無人にしたかった。だが艦材の曳航索は古く、固定の緩みを直す人手だけは機械で置き換えられなかった。九名と九名、それに待機線の補給輸送艦に十八名。三十六人の名前を、ハルは出撃前に名簿で全部読んだ。読んだことは誰にも言わなかった。名前を先に読んでおくのは、験担ぎではない。逆だ。読まずに済ませた名前は、あとで必ず別の書類で読むことになる。七年が教えた、それだけのことだった。
《送り火》は網の外、残骸帯の影にいた。網にかかった獲物を仕留める位置。猟で言えば、待ち場だ。
会敵予測は、ヨルの聴音とツクモの解析で三日前から絞り込んであった。群れの規模、七隻。回収行動の周期から逆算した接触時刻は、基準時〇二〇〇前後。
待機の最後の一時間、艦橋では誰も無駄口を叩かなかった。混成部隊の指揮回線だけが、正規軍人たちの点呼で規則正しく埋まっていく。各艦、配置よし。偽装波形、維持。その整然とした声の連なりを聞きながら、ハルは奇妙な感覚の中にいた。七年前、彼はこういう回線の末端で声を出す側だった。今夜は、回線の全部が彼の立てた計画の上で動いている。末端から上座まで、七年と、墓が十六。
「嘱託どの」と指揮回線で誰かが言った。網の駆逐艦の一隻、若い艦長の声だった。「警戒個体が接近中です。本当に、素通りさせるのですか」
「させてください。警戒個体は撃たれた経験を群れに持ち帰る係です。手ぶらで帰すのが、網を信じさせる唯一の方法です」
「……了解」
納得の薄い了解だったが、命令は守られた。守られることが、今夜はまだ信用の代わりだった。
〇二一七、接触。
「来た」と聴音席のヨルが言った。ナナオが計時を始める。「ななつ。……はらへった、みたいな、いそぎかた」
群れは予測通りに二手に割れた。四隻が艦材へ、三隻が周辺警戒。教範にはない、しかし観測記録の通りの分業だった。警戒の三隻が網の艦を順に「聴いて」回る。老朽民間船の歌。ツクモの嘘が、六隻分、検査を通っていく。
「警戒個体、通過。回収個体群、艦材集積に取り付きます」
四隻の先頭——旧連合の汎用駆逐艦が、艦材の檻の中心に入った。曳航索を切り、艦材の塊を自分の腹に抱え込む。回収の手順だった。七年間、誰かの命令の続きとして。
「杭一番、照準よし」
「艦長、ご決断を」
「撃て」
第一射が駆逐艦の中枢を貫いた。撃破十七。檻の中で死んだ獲物に、残る三隻が反応するより先に、網が閉じた。護衛駆逐艦四隻が偽装を破棄し、本来の機関出力で射界を組む。図上で詰めた通りの、追い込みの陣形——
そのとき、一隻が予測線を外れた。
回収個体群の最後尾にいた旧同盟の強襲艇が、艦材にも網にも向かわず、突然、戦域外縁へ針路を切った。その先にいたのは、餌の補給に来て待機線まで下がっていた、実在の徴用輸送艦だった。人の乗った艦。退避誘導の軍要員三名と、民間乗組九名。
「強襲艇、増速。目標、待機線の輸送艦」
「理由は」
「不明です。偽装の癖を読んだのか、単なる劣化か。判定不能」ツクモの声は平坦なままだった。「会敵まで、輸送艦の退避は間に合いません。網の駆逐艦も、射界が通りません。届くのは、私たちだけです」
「ヴェイン!」
「もらってる」
《送り火》は残骸の影を捨てて、全力で走った。撃ち合わない艦の、撃ち合うときよりも危険な全力だった。距離が削れていく。強襲艇が輸送艦の腹に取り付くのが、光学に映った。突入用の艦だ。船体を抉じ開けて、中の「資材」を回収する艦。
「杭二番、照準——」
「撃て!」
第二射は強襲艇の中枢を正確に貫いた。撃破十八。
九十秒、遅かった。
強襲艇が抉じ開けた区画は、輸送艦の居住区だった。緊急隔壁は規定通りに閉じ、規定通りに閉じたことで、隔壁の向こう側の十二人が宇宙に残された。退避誘導の軍要員三名、民間乗組九名。生存者、輸送艦十八名のうち六名。
救難と収容に四時間かかった。回収できた遺体は九つだった。
その四時間、《送り火》の艦橋は静かだった。ヴェインは操舵席から動かず、針路保持の必要もないのに両手を舵から下ろさなかった。ナナオは医務室を救難受け入れに開けて、結局、生きた患者は一人も来なかった。開けた寝台を、老医は黙って畳み直した。
ヨルは二隻分の終わりを聴いた後も、聴音席を降りなかった。
「まだ、きこえるかも、しれない。たすけて、の、こえ」
「機械の声か、人の声か」
「……どっちも」
彼女は規定の十分を二回使い切り、三回目をナナオに止められた。助けて、の声は、どちら側からも拾えなかった。
還らず艦は人を殺す。七年間ずっとそうだった。撃つ判断は正しく、配置も計算も、おおむね正しかった。おおむね、の外側で十二人死んだ。正しさは、十二の名前を一つも軽くしなかった。
戦闘後の戦域で、ハルは軍の若い士官に戦時ログの回収を命じた。
「撃破艦の中枢記録です。残存記憶域から、最終命令と通信記録を吸い出してください。手順書は渡します」
「……それも、任務ですか」と士官は訊いた。怪訝、というより、当惑だった。敵の遺品を集めろと言われた顔だ。
「仕事だ」
それ以上の説明をハルはしなかった。説明して伝わる種類のことではなかった。
吸い出された記録は、ツクモの手元に集まった。駆逐艦の最終命令は、哨戒線の維持。七年前に消えた哨戒線を、彼は今夜まで守っていた。強襲艇の最終命令は、強襲発起点まで前進し突入準備、待機せよ。発起点も、突入目標も、とうに存在しない。待機の七年の果てに、彼は今夜、最後の突入をやった。突入した先は、七年前なら敵性目標だった輸送艦だ。命令は何ひとつ間違っていなかった。間違っていないことが、これほど人を殺す。
「保存します」とツクモが言った。「百三十二件目と、百三十三件目です」
旗艦への戦果報告書を、ハルは「撃破報告」の書式で書かなかった。使ったのは、旧軍式の「戦没認定」の様式だった。艦名不詳の場合の記載要領まで、規定通りに。
受領した参謀から、即座に照会が来た。書式が違う、敵性目標の撃破は撃破だ、と。
「自軍籍だった艦です」とハルは返した。「同盟籍を含めて、もとは人間の側の艦隊の艦です。戦没認定の様式が適合します」
「七年前に除籍済みだ」
「除籍の通知は、本人たちに届いていません」
回線の向こうが黙った。報告書は、結局そのまま受理された。受理印の角度にまで、不機嫌が出ていた。構わなかった。書式は、ハルに残された数少ない弔い方のひとつだった。
帳簿には、二種類の記入をした。引き算の側に、十七、十八。足し算の側に、十二行。軍管轄案件に賞金はなく、帳簿の金額の欄は今夜、初めて空白のまま閉じた。金の動かない撃破は、引き算だけが残る撃破だった。月給の隣に書くべきものは何か、と十二日前に空けた欄には、これが入るのだろうとハルは思った。数字は安定した。安定した数字の隣に、名前が十二並んだ。
「艦長」と、消灯前にツクモが言った。「残存五隻の離脱針路を解析しました。報告します」
「聞こう」
「潰走ではありません。後衛が二隻、交互に殿を務め、本隊三隻の充填時間を稼いでいます。損害を出した群れの退き方として、教範的に完璧です。……この退却は、指揮されています」
指揮されている。誰に、とは、艦橋の誰も訊かなかった。訊かなくても、全員が同じ声を思い出していた。