第121話 葬列の途中で

 哨戒線は、七年前に地図から消えていた。
 大戦末期、連合が外縁第二星系の脇腹に張った第九哨戒線。終戦の冬に部隊は引き揚げ、翌年に標識と機雷が撤去され、その翌年には呼び名そのものが軍の用語集から落ちた。いま其処にあるのは、何もない宙域と、何もない宙域を七年守り続けた一隻だけだった。
 旧連合の小型哨戒艇、識別符号PC-339。全長六十メートル、乗員定数ゼロ。大戦中は僚艇四隻と組んで線の東端を受け持ち、僚艇は四隻とも終戦前に沈んだ。生き残った一隻は、六時間ごとに沈んだ四隻の識別符号を呼び、応答を待ち、応答なしと記録して、哨戒に戻る。それを七年。線を横切る船には大戦時の応答符丁を要求し、答えられない船を敵性と判定する。七年間の発砲は六件、死者は二名。船齢三十年の曳船の機関士と、符丁の意味を知らずに育った十九の航海士見習いだった。先月、航路再編で輸送路が線の内側に寄った。年に数隻だった通過船は、月に数十隻になる。それが今回の下令の理由で、理由としては十分すぎた。
「《燈籠》、歌い出しました」とツクモが言った。「曲目は、第九哨戒線の定時通信。当時の暗号書のままです」
 三十日の整備待機が明けて、送り火隊に下りた仕事は、この残務処理の一件だけだった。次期作戦は未定のまま、戦隊は型どおりに展開した。《燈籠》が当時の方面司令部の声で歌って標的の耳を引き、《迎え火》が輸送路側に立って民間船を遠ざけ、《送り火》が刃になる。定石だった。定石と呼べるものが、この稼業にできてしまっていた。
 戦隊回線で、ガロの声がした。
「葬儀屋。俺の艦の歌は、どうかね」
「七年前の司令部より、司令部らしい」
「そうかね。……七年ぶりに上官の声を聞く気分は、どんなもんかと思ってな」
 老艦長は自分の言葉の刺さる先を承知で言っている。ハルは答えず、ガロも答えを待っていなかった。
「PC-339、変針。定時通信に正対します」とツクモが告げた。「艦長。提案があります。六時間後の点呼に、僚艇の一隻として応答します。応答を受信した個体は、照合のため機関を止めます。所要四十秒。本艦の突入には十分です」
 七年待った応答を、止めの合図に使う。
「……成功率は」
「九割二分。応答の波形は、当該僚艇の最終交信記録から再構成済みです」
 沈んだ艇の声まで、彼女の保存庫には残っている。ハルは一拍だけ黙った。
「艦長。確認します」とツクモが言った。「この応答は、慰めに分類されますか。欺瞞に分類されますか」
「……どういう意味だ」
「七年待った応答です。偽でも、受信の記録は本物として残ります。分類を決めかねています」
「保留でいい」
「了解しました。保留のまま、歌います」
「——やれ」
 六時間後、PC-339は点呼を打った。四つの符号。三つの沈黙。四つ目に、ツクモが死んだ僚艇の声で答えた。哨戒艇は慣性を殺し、再送を要求し、再送を待つ姿勢のまま機関を絞った。死角から滑り込んだ黒い艦体が、その四十秒で距離を潰した。
 中枢杭は、一度で通った。
「撃破を確認。二十四隻目です」
 四十秒の間、あの艇が何を照合しようとしていたのかを、ハルは考えないことにした。考えないことにした、と自覚する分だけ、考えていた。
 戦隊回線で、コルベルが定時の報告を上げた。輸送路側、民間船三隻を航路外へ誘導、接触なし。《燈籠》は歌を畳み、第九哨戒線の周波数は、七年ぶりに完全に黙った。
「これで、この線の葬式は終いだな」とガロが言った。「……七年も律儀に立っていた歩哨に、誰も交代を告げに来なかった。俺たちが告げに来たのが、杭一本というわけだ」
「歩哨の交代には、本来は申し送りがあります」
「ほう。何と申し送る」
「……線はもうない。任務は終わった。帰れ、と」
「帰る先があれば、の話だな」と老艦長は言って、回線を切った。

 戦時ログの回収には二時間かかった。
 中身は、ほとんどが点呼の記録だった。六時間ごと、七年分。一万二百三十九回。四つの識別符号と、応答なし、の四文字が、几帳面に並んでいた。発砲記録は六件。撃った相手の艦名も、撃ったあとの漂流の方向も、艇は几帳面に記録していた。そして最後の一回の点呼にだけ、応答あり、と書いてあった。
 ハルは読み終えて、しばらく端末の前を動かなかった。点呼というのは、生きている者を数える儀式だ。あの艇は七年間、死んだ僚艇を数え続けた。誰も応えない名簿を、誰にも命じられない律儀さで。最後に一度だけ帳尻の合った名簿は、嘘で合わせた帳尻だった。
「保存しました」とツクモが言った。「百三十九件目です」
「百三十九件の中で、点呼の記録は何件目だ」
「分類上は十一件目です。点呼は、還らず艦の挙動として多い部類です。……呼ぶ相手が残っている個体は、稀ですが」
 消去を勧める声は、もうずっと前から聞いていない。
 残骸は哨戒線の名残の軌道に押し上げ、識別符号と没日を航行警報に登録した。七年立ち続けた歩哨の墓は、自分が守っていた線の上にできた。守るものが、もう何もなかった線の上に。
 医務室の前で、ヨルが待っていた。規定の聴音は十分間、ナナオの立ち会いで済ませてある。彼女は通路の壁に背をつけて、自分の帳面を抱えていた。
「さいごに、きこえたの」と彼女は言った。「……うれしい、だった。へんじが、きた、って」
「…………」
「うそのへんじでも、うれしいは、うれしいなの?」
「分からない」とハルは言った。嘘の上手い大人なら、もう少しましな答えを持っていたかもしれない。分からないまま帳面に線を引かせるのが、この艦の流儀だった。ヨルは頷いて、自分の頁に一本、線を足した。線は増える。彼女の帳面も、ハルの帳簿も、増える側にしか頁がない。
 軍管轄の撃破に賞金は出ない。経費は官給、杭も官給。帳簿の収入の欄には月給の八〇〇万だけが判で押したように並び、支出の欄は軍の負担で痩せたままだ。撃破数二十四。残高九、四五三万cr。帳簿の見出しの数字は、四千十二、引く、二十四。引かれる側の数字は、七年経っても一桁も減らない。それでも、数字は黒く、安定していた。
 その安定の薄さを、ハルは疑っていた。月給は紙一枚で始まった。紙一枚で終わるものだということを、紙の仕事で七年生き延びた人間は忘れない。
 帰投の舵を取りながら、ヴェインが一度だけ言った。
「……静かすぎる猟が、続いてる」
「悪いことか」
「海が静かなのは、時化の前と決まってる」

 第四三九日、《送り火》はテネブラエ港に帰投した。
 桟橋に降りる前から、それは見えていた。連合の公用桟橋——軍と政務部の艦だけが使う、港でいちばん格式ばった一画に、白い船が係留されていた。武装は薄く、艦体は祭服のように白く、舷側に教団の火の紋章。巡察艦ではない。使節船だ。許可を得て、正面から、連合の桟橋に泊まっている。桟橋の作業員たちは、白い船の前だけ少し早足で歩いていた。係留索の一本に至るまで作法どおりで、桟橋に降りる人影はなかった。降りないまま、船は港のどの艦よりも目立っていた。白は、闇の中でいちばん遠くまで届く色だ。
「白いのは三日前からよ」と、ギルドの窓口でミミナは声を低くした。
「教団の使節が、何の用だ」
「連合に正式文書を出すためですって。異端審問ってやつの、宙域版。……対象の名前は書いてないけど、書いてあるのと同じ。『葬儀屋』の艦と、その艦が匿っているもの」
「審査の凍結は」
「明日で解ける。第四四〇日。受理順に再開だから、教団のは三番目——でも白い船はね、自分の順番が来る前から桟橋に着いてるの。ああいうのを、確信って言うのよ」
「使節の連中は」
「降りてこない。酒場にも市場にも。補給も自前、桟橋の使用料は前金で耳を揃えて」彼女は声をさらに半段落とした。「窓口には来たわ。あんたの猟の記録、公開分を全部。閲覧申請の書式は完璧、手数料も前金。断る理由を三十分探して、見つからなかった。……買い物をしない客って、怖いのよ。用件が買い物じゃないってことだから」
「桟橋の連中は、どう読んでる」
「対象の名前は書いてないのに、もう持ちきり。みんな、読み方だけは早いの」ミミナは指を折った。「あんたが逃げる、に六割。居直る、に三割」
「残りの一割は」
「いつも通りの顔で、いつも通りの猟に出る。——あたしの賭け金は、そこよ」
 ミミナは窓口の下から、公示文の写しを一枚、滑らせて寄越した。宗務文書の様式。火の紋章の透かし。表題は一行だった。彼女はそれを読み上げなかった。読み上げる代わりに、写しの向きを変えて、ハルの方へ押した。
 ——禁制中枢の焼却引き渡し、ならびに魂の浄火を求む。
 窓口の喧噪が、その一行の周りでだけ、薄くなった気がした。