灰域の外縁、どの国家の管轄にも属さない小惑星帯に、「残り火隊」の根城があった。航行灯を落とした小惑星の群れは、レーダーに映る影すらまばらで、正規の航路図には存在しないはずの座標だった。オルコットが《薄明》で単艦赴くと、レフが航法席から低く呟いた。

「艦長、こんな場所によく艦隊の根城を構えられますね。補給はどうしてるんだか」

「密輸業者と持ちつ持たれつなんだろう。詮索するな」

灰域特有の、星の少ない黒が窓の外に広がっていた。恒星の光がほとんど届かないこの領域では、航行灯を頼りに進むしかない。《薄明》の外部センサーが拾う反応も、通常の航路上とは比較にならないほど乏しく、レフはたびたび計器を叩いて反応の鈍さを確かめていた。

「艦長、あの小惑星の陰、三つほど不自然な熱源反応があります。おそらく偽装されたドッキング施設かと」

「予定通りだ。慌てるな」

小惑星の陰に隠れるように接続された旧型のドッキングリングへ、《薄明》は速度を落としながら進入した。金属同士が擦れる甲高い音が船体を通じて響き、乗員の何人かが顔をしかめた。減圧弁の作動音がしばらく鳴り続け、ようやくハッチが開いた先には、古びた金属の匂いと、微かな油の臭気が漂っていた。出迎えたのは、日焼けした顔に古傷を刻んだ壮年の女――隊長のマグダ・ソーレンだった。左頬から顎にかけて走る白い傷跡が、彼女の来歴を無言のうちに物語っていた。

「同盟軍の現役艦長様が、わざわざ足を運ぶとはね」

「あなたの艦隊の力を借りたい」

「金次第だよ、艦長さん」

マグダは笑いながら、オルコットを根城の司令室へ案内した。通路は狭く、天井の配管が剥き出しのままで、あちこちに補修痕が残っていた。すれ違う乗員たちは一様に無駄口を叩かず、しかし敬礼の代わりに小さく頷くだけの、独特の礼儀を持っていた。正規軍のような硬さはないが、かといって規律がないわけでもない――長年連れ添った者同士だけが持つ、独自の秩序だった。

司令室の壁には、退役軍人たちが持ち寄ったのだろう、様々な部隊の記章が雑然と貼られていた。オルコットはその一つ一つに見覚えのある紋章を見つけては、胸の奥が微かに疼くのを感じた。かつて自分の部下だった誰かの、あるいは戦友の誰かの記章かもしれない。壁の隅には、色褪せた集合写真も何枚か留められている。写っている顔の何人が、今もこの根城で息をしているのか、オルコットには知りようがなかった。

「懐かしいものでも見つけたかい」

「――いや。ただ、ここに集まった連中の来歴を、少し想像していた」

「みんな似たようなもんさ。行き場をなくして、それでも戦うことしか知らない連中の吹き溜まり。悪く言えばそうだが、良く言えば――」

「良く言えば?」

「腕は確かだ、ってことさ」

マグダは椅子に深く腰かけ、卓上に足を乗せた。行儀の悪さを気にする様子はまるでなかった。

「残り火隊」は正式には36隻、実働可能な戦力は23隻ほどだという。艦種は雑多で、旧式の駆逐艦から改造された輸送艦まで様々だが、乗員の多くは元同盟軍の熟練兵で、正規軍以上の実戦経験を持つ者も少なくなかった。司令室の壁面モニタには、それらの艦の配置図が表示されていたが、艦名の欄には正規艦籍ではあり得ない、退役時の愛称のようなものが並んでいた。

「立ち話もなんだ。座りなよ」

マグダは古びた椅子を勧めた。座面は擦り切れ、金具の一部が剥き出しになっていたが、座り心地は意外にも悪くなかった。

「単刀直入に言う。仕事の依頼だ」

「わかってるよ。同盟軍の現役艦長がわざわざ灰域の外れまで来る理由なんて、そう多くない」

マグダは端末を操作し、周辺星域の簡易図を投影した。

「連邦辺境惑星デルフォスの地下要塞、制圧任務。詳細はここでは話せないが、正規軍とは名乗れない仕事だ」

「――穏やかじゃないねえ」

マグダは目を細めた。値踏みするような視線が、オルコットの顔から胸の階級章、そして手元まで、ゆっくりと往復した。

「対価は」

「装備更新費用一式、それと乗員家族への保障金。金額は交渉に応じる」

「乗員の命の値段、って話だね」

マグダはしばらくオルコットを値踏みするように見つめた後、ふっと表情を緩めた。

「艦長さん、あんたの目、嘘をついてる人間の目じゃない。何か、金じゃない理由があるんだろう」

「――ある」

「話す気は?」

「今はまだ」

「まあいいさ。金は嘘をつかない。それだけ確かめられれば十分だ」

マグダは部下を呼び、条件のすり合わせを始めた。呼ばれた副官は、片眼に旧式の義眼を嵌めた初老の男だった。彼が持ち込んだ端末には、艦隊の稼働状況と、乗員一人ひとりの家族構成までが克明に記録されていた。金の話をしているはずなのに、その資料の細かさに、オルコットはこの部隊が単なる荒くれ者の寄せ集めではないことを悟った。

「装甲車両は何両出せる」

「稼働可能なのは十二両。地上戦闘用の重装歩兵は二百八十名まで揃えられる。ただし、老朽化の激しい機体もある。整備費用は別に見積もる」

「整備費用の目安は」

「機体一両あたり、およそ二千二百クレジット。十二両で二万六千四百クレジットだ。値切ろうとしても無駄だよ、それでも赤字ぎりぎりの見積もりなんだから」

「わかった。その線で進めてくれ」

「巡洋艦は」

「うちの旗艦《エンバー》を含めて二隻、実戦仕様で出せる。どちらも旧式だが、主砲の口径だけは今の正規艦にも引けを取らない」

装甲車両、地上戦闘用の重装歩兵、そして老朽化しつつも実戦仕様の巡洋艦2隻を含む戦力提供の話がまとまるまで、三時間を要した。その間、司令室には数字と条件だけが淡々と積み重ねられていった。感情の入り込む余地のない、乾いた交渉だった。

途中、義眼の副官が一度だけ席を外し、濃い茶のような飲み物を三人分運んできた。マグダはそれを一息に飲み干し、オルコットにも勧めた。

「口に合うかわからないけどね。灰域産の豆で淹れたやつだ」

「――悪くない」

正直な感想だった。苦味の奥に、わずかな甘さが残る、見慣れない味だった。

「気に入ったなら、契約成立の祝杯代わりに一箱くれてやるよ」

「装備更新費用に上乗せしないでくれ」

「けち臭いね、艦長さん」

マグダは声を上げて笑った。その笑い声には、これまでの交渉の張り詰めた空気を一瞬だけ緩める効果があった。副官も、口元にわずかな笑みを浮かべていた。こうした小さなやり取りの積み重ねが、初対面の警戒を少しずつ解いていくのを、オルコットは感じていた。

条件のすり合わせが終わりに近づいた頃、マグダはふと壁の記章の一つに目をやった。錆びかけた真鍮の意匠に、指先で軽く触れる。

「これは、うちの前の副官のものだ。ケリー・ドラン、って名前だった。三年前、密輸業者との揉め事に巻き込まれて、流れ弾で死んだ。享年四十七。生涯独身、貯めた金は全部、姪っ子の学費に消えた」

「――そうか」

「別に、しんみりする話じゃないさ。ただ、うちの連中は、みんなこうやって誰かの名前を覚えてる。金で雇われた傭兵風情が、って笑う奴もいるだろうが、それでも名前だけは忘れない。それが、この根城の唯一の掟だ」

オルコットは黙って頷いた。その掟は、彼が艦の上で守ってきたものと、どこか似ていた。

「一つ、忠告しておくよ」

交渉の最後、マグダが真顔になって言った。それまでの軽口とは違う、低く落ち着いた声だった。

「デルフォスの地下要塞、あそこは元々旧世代の軍事施設だ。地表の採掘企業居住区を巻き込まずに制圧するのは、簡単じゃない。民間人がいる場所で戦うってことを、忘れるな」

オルコットは頷いた。

「巻き込まない。それが絶対条件だ」

「言うのは簡単さ。でも、まあ――あんたがそう言うなら、うちの連中もその線で動くよう言い聞かせる」

マグダは立ち上がり、窓の外――小惑星の隙間から覗く灰域の暗い星々を見やった。

「うちの連中の何人かは、昔、民間人を巻き込む作戦に加担させられた過去がある。正規軍の頃の話だ。今でもそれを悔いてる奴がいる。だから、あんたの『巻き込まない』って言葉、軽々しく口にしてほしくないんだよ」

「軽々しくは言っていない」

「わかってる。だから話を受けた」

別れ際、マグダはドッキングリングの出口までオルコットを見送った。

「艦長さん、一つだけ聞かせてくれ。あんた、これが終わったらどうするつもりだ」

「まだ考えていない」

「嘘だね。考えてないわけがない。ただ、口に出す気がないだけだ」

図星だった。オルコットは苦笑するしかなかった。

「――そうかもしれない」

「まあいいさ。それも、金じゃ買えないものの一つだ」

マグダはそう言って、片手を軽く上げた。それが彼女なりの別れの挨拶らしかった。副官の男も、無言のまま小さく頭を下げた。オルコットは敬礼を返し、狭いハッチをくぐって《薄明》へ戻った。

艦内に戻ると、レフが待ちかねたように尋ねた。

「艦長、首尾は」

「まとまった。装甲車両十二両、重装歩兵二百八十名、巡洋艦二隻。あとは装備更新費用と保障金の細目を詰めるだけだ」

「思ったより話が早かったですね」

「向こうも、伊達に長くこの稼業をやっていない」

レフは小さく肩をすくめ、航路の設定に戻った。オルコットは艦長席に腰を下ろし、窓の外に広がる灰域の暗闇へ、もう一度視線を向けた。

こうして、実行部隊の骨格が固まっていった。国家の旗を掲げない、しかし国家の運命を左右する部隊が。ドッキングリングを離れる《薄明》の船体に、根城の照明が一瞬だけ反射し、すぐに闇へ溶けて消えた。艦橋の窓越しに広がる灰域の暗闇を見つめながら、オルコットはマグダの問いを、しばらく胸の中で反芻していた。

(第13話へ続く)