レティシアの一件から数日後、拘束した傭兵たちの尋問記録が、作戦本部に届いた。
オルコットは《薄明》の任務の合間を縫って、ハイド・ステーションの作戦本部へ呼び出された。呼び出しの通信を受けた時、彼はちょうど艦の定期整備報告に目を通していたところで、機関長から上がってきた冷却系統の摩耗率の数字を頭の片隅に残したまま、シャトルに乗り込むことになった。会議室の空気は、これまでの会議とは違う緊張を帯びていた。誰もが、報告の中身をすでにある程度察しているような、重苦しい沈黙が支配していた。
会議室に入ると、ドーベル少将はすでに着席しており、ラスクもまた、いつも通りの淡々とした顔つきで資料に目を通していた。オルコットは末席近くに腰を下ろしながら、部屋の空気の重さに、これから語られる内容の深刻さを直感した。
「――雇い主の特定に至りました」
情報担当の士官が、緊張した面持ちで報告する。彼の手元の端末には、金融取引の流れを示す図表が幾重にも重なって表示されていた。
「資金の流れを追った結果、連邦保安局の特別予算枠から、傭兵組織への不自然な送金記録が見つかりました。承認者の欄には、マルコ・ヴィスの名が」
会議室に、重い沈黙が落ちた。オルコットは、その名前が画面に映し出された瞬間、自分の背筋がわずかに強張るのを感じた。抗議声明の一件でラスクが口にした「私怨」という言葉が、改めて重みを持って蘇ってきた。
「――確証は」
ラスクが尋ねると、士官は頷いた。彼の指先は、資料の端をわずかに震わせていた。長時間の解析作業の疲労だけではなく、この結論を報告することの重圧が、その手つきに滲んでいるように、オルコットには見えた。
「送金経路は巧妙に偽装されていましたが、完全には消しきれていません。複数のペーパーカンパニーを経由していますが、最終的な着金先の口座名義人が、傭兵組織の幹部と一致しています。これは、彼個人の判断による非正規作戦の可能性が高いです」
ドーベル少将が腕を組んだ。彼の表情には、疲労と苛立ちが混じり合っていた。
「連邦政府の正式な承認を得ていない、独断専行というわけか」
「その可能性が高いです。だとすれば、まだ交渉の余地はあります。連邦政府自体が、ヴィスの暴走を望んでいるとは限らない」
情報担当の士官は、そう続けながらも、自分の言葉にどこか確信の薄さを滲ませていた。オルコットは、その微妙な語尾の揺らぎを聞き逃さなかった。
「甘い見方だな」
少将は首を振った。
「独断であれ、正式であれ、彼が実行した以上、連邦は結果に対して責任を負う。これで手打ちにはならない」
会議室は再び沈黙した。誰もが、この報告の先にある展開を、それぞれの立場で思い描いているようだった。オルコットは、じっと報告書を見つめていた。マルコ・ヴィスという名前が、これから先の展開の中心に居座り続けることを、彼は予感していた。それは根拠のある確信というよりも、これまで見てきた戦場の空気から来る、ある種の勘のようなものだった。
「経歴は洗ってあるのか」
オルコットが尋ねると、情報担当の士官は資料をめくった。
「連邦軍保安局に配属される以前は、辺境警備隊の中堅将校でした。国境紛争時の従軍記録があります。功績評価は高く、複数回の表彰を受けています。ただ、その紛争の最中に、家族を亡くしているという記録が見つかりました」
「家族、というと」
「妻と、幼い息子が一人。国境地帯への攻撃に巻き込まれた、とだけ記されています。加害側の特定については、記録が曖昧です」
オルコットは、その一文に目を落としたまま、しばらく黙り込んだ。人間の憎しみの根が、こうして淡々とした記録の一行に押し込められていることに、奇妙な居心地の悪さを感じていた。
「艦長は、何か発言はありますか」
ドーベル少将に問われ、オルコットは少し考えてから口を開いた。
「――一つだけ。彼の狙いが、単に同盟への報復だけなら、これほど手の込んだ工作はしないはずです。傭兵組織を使い、資金の流れを偽装してまで、非正規作戦を継続する。そこには、何か別の意図が隠れているように思います」
「別の意図とは」
「わかりません。ですが、彼にとってこの一連の行動は、単なる私怨の発散以上の意味を持っているのではないかと」
会議室の何人かが、オルコットの発言に頷いた。だが、それ以上の議論には発展しなかった。今はまだ、材料が足りない。誰もがそれを理解していた。
会議の後、セシルがオルコットに歩み寄った。彼女の表情には、いつもの落ち着きの奥に、微かな緊張が滲んでいた。
「――ヴィスのことなら、少しは知っています」
「教えてくれ」
二人は、会議室から少し離れた廊下の窓際に移動した。窓の外には、ハイド・ステーションの外壁に反射する星々の光が、静かに揺れていた。行き交う士官たちの足音が遠ざかると、廊下には二人の声だけが残された。
「彼は、国境紛争で家族を失っています。同盟側の攻撃によって、と本人は語っていました。真偽のほどはわかりませんが、彼の中には、同盟そのものへの強い憎しみがあるように見えました」
「私怨か」
「私怨だけとは言い切れません。彼は、自分の行動を『国家のため』と正当化する人間です。だからこそ、始末に負えない」
セシルは、そこで一度言葉を切り、遠くを見るような目をした。
「連邦にいた頃、彼と一度だけ、技術交流会議の場で言葉を交わしたことがあります。表向きは礼儀正しく、理知的な人でした。ですが、話の端々に、同盟という存在そのものへの、根深い不信のようなものが滲んでいました。あれは、単なる仕事上の警戒心とは違う種類のものだったと思います」
オルコットは頷いた。国家の大義と、個人の憎しみが分かちがたく結びついた人間ほど、厄介なものはない。彼はこれまでの人生で、そういう類の人間を何人か見てきた。彼らは往々にして、自分の憎しみを正義の言葉で覆い隠すことに長けていた。そして、その正義の仮面が本人にとってもすでに本物として機能してしまっている場合、対話による説得はほとんど意味を成さなくなる。
「――俺自身も、似たようなものかもしれない」
オルコットは、ふとそう漏らした。セシルが怪訝な顔をする。
「どういうことですか」
「三年前に見た光景が、今の俺を動かしている。あれを、正義感と呼ぶ人間もいれば、私怨だと言う人間もいるだろう。ヴィスと俺の違いは、案外、紙一重なのかもしれない」
「――違います」
セシルは、はっきりとした口調で否定した。
「あなたは、誰かを傷つけるためではなく、これ以上誰も傷つけさせないために動いている。その違いは、紙一重なんかじゃありません」
オルコットは、その言葉に救われるような思いを覚えながらも、完全には納得しきれない自分がいることも自覚していた。
「――彼が今後も動き続けるなら、いずれ我々のどこかを、正面から突いてくるだろう」
オルコットは、窓の外の暗闇に目を向けながら呟いた。
「私も、そう思います」
セシルは静かに同意した。彼女の声は落ち着いていたが、両手はいつの間にか、自分の腕を軽く抱くように組まれていた。灰域を渡る冷えた空気のせいだけではないことを、オルコットは察していた。廊下の照明が、彼女の横顔にわずかな陰影を落としていた。
「彼のような人間は、迂遠なやり方をいつまでも続けはしません。傭兵という間接的な手段に、いずれ飽き足らなくなるはずです」
「あなたが心配なのは」
「――ええ。彼が本気で牙を剥く時、標的が私たちのどちらかになる可能性は、十分にあると思います」
セシルの声には、隠しきれない不安の色があった。オルコットは、その不安を否定する言葉を持たなかった。ただ、彼女の肩にそっと手を置き、二人でしばらく無言のまま、窓の外の暗闇を見つめ続けた。
「――もし、彼と直接向き合う機会があったら」
オルコットは、独り言のように呟いた。
「何を言うつもりですか」
セシルが尋ねる。
「わからない。ただ、彼の憎しみを止める言葉が、俺にあるとは思えない。憎しみは、対話で溶けるようなものじゃない。時間をかけて積み重ねられたものは、時間をかけてしか崩せない。だが、俺たちにはもう、その時間が残されていないのかもしれない」
セシルは何も答えなかった。ただ、彼女の視線もまた、オルコットと同じ暗闇の先を見つめていた。
セシルと別れた後、オルコットはしばらくの間、廊下の窓際に一人立ち尽くしていた。会議室から漏れ聞こえる士官たちの話し声が、次第に遠ざかっていくのを、彼はぼんやりと聞いていた。
その夜遅く、オルコットは艦へ戻る道すがら、ステーションの通路に据えられた慰霊碑の前を通りかかった。過去の小競り合いで命を落とした同盟兵たちの名が刻まれた、小さな碑だった。彼はそこで足を止め、しばらくの間、刻まれた名前の一つ一つに目を通した。いずれ、この碑にまた新しい名前が刻まれる日が来るのだろうか。そんな不吉な予感を振り払うように、彼は静かにその場を後にした。
艦へ戻る短艇の中で、オルコットは窓の外を流れる星々の光をぼんやりと眺めながら、今日聞いた話を何度も反芻していた。憎しみの根がどこにあるのかを知ったところで、それを止める手立てにはならない。だが、知らないままでいるよりは、ましなはずだと、彼は自分に言い聞かせた。
窓の外、灰域の暗闇に、緊張の色が濃く滲み始めていた。マルコ・ヴィスという一人の男の憎しみが、両国の関係をどこまで押し流していくのか、この時のオルコットには、まだ正確に見通すことができなかった。
(第44話へ続く)