境界防衛艦隊が防衛線に展開してから五日、両艦隊は灰域を挟んで睨み合いを続けていた。

五日という時間は、艦隊戦の緊張の中では途方もなく長い。オルコットは、この五日間で何度、艦橋のスクリーンに映る連邦艦隊の光点を見つめただろうか。数えることをやめてしまうほど、それは日課になっていた。乗員たちの顔にも、疲労の色が濃くなっていた。誰も持ち場を離れないが、誰の動きにも、以前ほどの張りがない。長期間の緊張は、人間を摩耗させる。それは戦闘そのものよりも、時に厄介な敵だった。

「艦長、連邦艦隊、動きなし。ただし、哨戒機の飛行頻度が上がっています」

「威嚇の度合いを、少しずつ強めているということか」

「そう見えます」

レフの報告は簡潔だったが、その裏にある緊張は隠しようがなかった。哨戒機の頻度が上がるということは、相手がこちらの防衛線の詳細をより精密に把握しようとしている証拠だ。地図の上の点として見れば些細な変化に過ぎないが、現場にいる者にとっては、じわじわと首を絞められていくような感覚だった。

《薄明》は防衛線の一角を担い、緊張した哨戒を続けていた。艦内の空気は、これまでのどの任務よりも張り詰めていた。食堂の会話は減り、当直の交代も無言で行われることが多くなった。オルコットは艦内を巡回するたびに、その静けさの重さを感じずにはいられなかった。誰も弱音を吐かない。だが、誰もが同じ不安を抱えている――それが、この五日間で彼が学んだことだった。

砲雷長が、弾薬庫の在庫を報告してきた。

「艦長、通常弾は満載。ただ、徹甲弾の予備が、規定数の八割程度です。補給要請は出していますが、灰域周辺の補給線は今、優先順位が低く見られているようで」

「本国の補給部門も、今の状況に頭を抱えているんだろう。催促だけはしておいてくれ」

「了解しました」

補給の遅れという、地味だが確実な現実が、緊張の裏側で静かに積み重なっていた。艦隊戦は華々しい砲火の応酬として語られがちだが、実際には、こうした補給と整備の積み重ねが、戦いの帰趨を左右する。オルコットはそのことを、現場叩き上げの経験から嫌というほど知っていた。

「艦長、本国から追加情報です」

ダーナが端末を確認しながら言った。彼女の表情には、これまでにない硬さがあった。

「連邦国内で、境界紛争を煽る報道が急増しているそうです。『同盟による技術士官拉致』の件が、繰り返し取り上げられ、世論の対同盟感情が急速に悪化していると」

「マルコ・ヴィスの差し金か」

「特務局が、報道機関への情報提供に関与しているという情報もあります」

オルコットは奥歯を噛みしめた。ヴィスは、単なる軍事的圧力だけでなく、世論という武器も使い始めていた。開戦への地ならしが、着実に進められている。セシルが連邦を離れた経緯――彼女自身の意志による同行であったにもかかわらず、それが「拉致」として国内で報じられているという事実は、オルコットの胸に苦いものを残した。真実がどうであれ、報道された物語の方が、時に現実よりも強い力を持つ。それを、ヴィスは熟知しているのだろう。

「セシルは、このことを」

「まだお伝えしていません」

「俺から話す」

オルコットはそう言ったものの、どう切り出せば良いのか、すぐには言葉が見つからなかった。彼女の祖国が、彼女自身の存在を利用して、対同盟感情を煽っている――その事実を、彼女はどう受け止めるだろうか。

夕刻、非番の時間にオルコットはセシルの部屋を訪ねた。狭い個室の中、彼女は端末の資料に目を通していた。技術者としての習性なのか、この状況下でも彼女は自律核関連の資料を読み込むことをやめていなかった。

「――話がある」

オルコットは、努めて平静な声で切り出した。連邦国内の報道の件を、包み隠さず伝えた。セシルは黙って聞いていたが、話が進むにつれ、その表情から徐々に色が抜けていった。

「――『拉致』、ですか」

「ああ」

「笑えますね」

セシルは自嘲するように、小さく笑った。だがその笑いには、刃物のような鋭さが混じっていた。

「私は自分の意志でここにいます。誰にも強制されていない。それなのに、祖国は私の名前を使って、都合の良い物語を作り上げている」

「――すまない」

「あなたが謝ることじゃありません」

セシルは首を振った。

「連邦という国家がそういう組織だということを、私は誰よりもよく知っていたはずです。ただ、それが自分自身の話になると、こんなにも腹立たしいものだとは、思っていませんでした」

彼女の声には、怒りと同時に、深い疲労が滲んでいた。オルコットは、彼女の肩にそっと手を置いた。それ以上、掛ける言葉が見つからなかった。

その夜、艦内で小さな異変が起きた。哨戒中の《薄明》の索敵装置に、微弱ながら不審な信号が捉えられたのだ。艦橋の照明を落とした深夜の当直時間、レフの端末に浮かんだ小さな光点が、静寂を破った。

「――これは」

レフが解析しながら眉をひそめた。

「連邦の偵察ドローンかもしれません。ただ、通常のパターンとは違う、より高性能な機体の反応です」

「新型か」

「おそらく。自律無人艦計画の前倒しに伴う、新技術の投入かもしれません」

オルコットの胸に、嫌な予感が走った。自律無人艦の配備計画が前倒しされたということは、無人偵察機や無人戦闘用の試作機が、すでに実戦投入され始めている可能性がある。それは、彼が長年恐れてきた未来が、想定より早く忍び寄っていることを意味していた。倫理制限の枷が、まだ十分に検証されないまま、実戦の場に投入されようとしている――セシルが所属するチームの仕事の重みを、彼は改めて思い知らされた。

自律核の判断そのものに人間が介入できなくなる未来を、オルコットは何よりも恐れていた。数年前に目撃したあの実弾試験の光景――誰の意志で引き金が引かれたのかさえ曖昧なまま失われた命の重みを、彼はまだ忘れていない。もしあの時のような判断が、人間の手を離れて自動化された装置に委ねられるとしたら。想像するだけで、背筋が冷たくなる。だからこそ、正規管制鍵という、人間の意志を介在させ続けるための仕組みを、彼は手放すわけにはいかなかった。

レフが端末の解析結果を追加で報告した。

「艦長、ドローンの反応速度、通常型の一・五倍程度です。恐らく試作段階の機体でしょう。量産にはまだ時間がかかるはずですが」

「時間がかかる、というのは、どれくらいだ」

「早くて半年、通常なら一年以上かと」

「半年か」

オルコットは、その数字を頭の中で反芻した。半年後、自分たちは、鍵をどこまで安全な場所に運べているだろうか。時間との競争は、彼が思っている以上に、切迫したものになりつつあった。

「――このドローン、破壊すべきか、それとも泳がせるべきか」

「破壊すれば、向こうに『先に手を出した』という口実を与えます」

「だが、泳がせれば、こちらの防衛線の詳細な情報を渡すことになる」

オルコットは長い沈黙の後、決断した。艦橋の誰もが、彼の判断を待っていた。時間にすればわずか数十秒だったが、彼にはそれが数分にも感じられた。

「電子妨害で無力化する。破壊はしない」

《薄明》は静かに、妨害電波でドローンの機能を停止させた。周波数を細かく変えながら、ドローンの受信系統だけを狙い撃つ、繊細な作業だった。担当した通信士官の額に、じっとりと汗が滲んでいた。

「――機能停止を確認。ドローンは漂流状態に移行しました」

「回収されるまで、放置でいい。手は出すな」

「艦長、連邦側がドローンの回収に動いた場合は」

レフが尋ねた。

「見て見ぬふりをする。回収作業自体は、攻撃行動ではない」

「了解しました」

数時間後、案の定、連邦側の小型艇が緩衝線ぎりぎりまで進出し、漂流するドローンを回収していった。《薄明》はその一部始終を静かに観測するに留めた。誰も手を出さなかったことに、オルコットは安堵しながらも、拭いきれない胸騒ぎを感じていた。

小型艇の動きは、驚くほど手慣れていた。無駄のない軌道、正確なタイミング。回収作業だけを見ても、連邦側の技量の高さが窺えた。オルコットは、双眼スコープ越しにその様子を眺めながら、敵ながら見事な手際だと、場違いな感想を抱いている自分に苦笑した。戦争とは、時にこうした奇妙な余裕を生む。緊張の極致にありながら、人は不思議と、相手の技術に感嘆する余地を持ち続けるものらしい。

「――艦長、向こうは今回の一件を、どう報告するでしょうか」

ダーナが問うた。

「妨害を受けた、とだけ報告するだろう。だが、その裏で、俺たちがどこまで技術力を持っているかを、正確に測ろうとするはずだ」

だが、この一件もまた、両国の疑心暗鬼の応酬に、新たな一項を加えることになった。オルコットは、静まり返った艦橋の中で、この小さな一手が、やがてどれほどの波紋を広げるのか、想像することしかできなかった。灰域の暗闇に浮かぶ連邦艦隊の光は、今夜もまた、微動だにせず並んでいた。

当直を終え、私室に戻ったオルコットは、しばらく明かりも点けずに椅子に腰を下ろしていた。五日間、いや、この一ヶ月間、気の休まる時間など一度もなかった。だが、それでも艦は動き続けなければならない。乗員たちの命を預かる立場である以上、弱音を吐く権利さえ、自分にはないのだと、彼は静かに自分に言い聞かせた。

暗闇の中、彼はセシルに伝えるべきだった連邦国内の報道の件を、改めて思い返していた。伝える言葉を選び終えたつもりでいたが、実際に彼女の反応を見るまでは、何も確信が持てなかった。人の心の機微というものは、どれほど戦況を読むことに長けていても、簡単には測れないものだと、彼は改めて痛感していた。

(第53話へ続く)