停戦から半月、灰域衝突事件で失われた将兵の弔いが、境界防衛艦隊全体で執り行われた。

半月の間、艦隊は静かな緊張の中で過ごしていた。表向きは何事もないかのように、哨戒と補給の日々が続いていた。だが、失われた乗員たちの名を刻んだ慰霊碑が、境界防衛艦隊の拠点基地に建立され、その除幕式に合わせて、全艦艇の乗員が持ち回りで弔いに参列することになった。オルコットもまた、《薄明》の乗員数名と共に、その式典に列席した。

慰霊碑には、撃沈された艦の名前と、そこに乗っていた乗員たちの名前が、一人残らず刻まれていた。長い名簿を、オルコットは端から端まで目で追った。見知った顔もあれば、一度も会ったことのない者の名もあった。だが、その一つ一つが、確かにこの灰域で生きて、そして命を落とした証だった。彼は、その事実を胸に刻みながら、静かに黙祷を捧げた。

慰霊碑の除幕式は、質素なものだった。派手な演出も、長々とした演説もない。ただ、境界防衛艦隊の司令官が短い弔辞を述べ、遺族代表が花を手向け、参列した将兵たちが一人ずつ順番に敬礼を捧げるだけの、簡素な儀式だった。それでも、その簡素さの中にこそ、この一件の重みが表れているように、オルコットには感じられた。言葉を尽くすことよりも、ただ静かに頭を垂れることの方が、時にふさわしい弔いもある。

オルコット自身も、慰霊碑の前で敬礼を捧げた。撃沈された《明星》の艦長の名を、名簿の中に見つけた時、彼はしばらくその場から動けなかった。補給拠点で交わした短い会話を思い出そうとしても、断片的な記憶しか蘇ってこない。それでも、その男が確かに生きていたという事実だけは、はっきりと感じられた。

式典の後、オルコットは、その足で思いがけない人物と再会した。

「――お久しぶりです、艦長」

若い修道士アダムだった。彼は、鎮魂会の代表として、戦死者の弔いに立ち会うために来ていた。黒に近い灰色の修道服に身を包んだ彼の姿は、慰霊碑の周囲に漂う沈痛な空気の中でも、どこか静かな落ち着きを湛えていた。

「アダム殿。院長は、お元気ですか」

「元気にしておられます。ただ――」

アダムの表情が曇った。式典の喧騒から少し離れた、慰霊碑の裏手に、二人は場所を移した。

「気になる情報があります。連邦保安局、いえ参謀本部特務局の調査範囲が、鎮魂会にまで及び始めているという噂です」

オルコットの背筋に、緊張が走った。

「具体的には」

「デルフォスの一件以降、鍵の行方を追う中で、連邦は独自に鎮魂会の存在に着目し始めているようです。従軍修道会という組織が、双方の軍から一定の信頼を得ていることも、逆に『何かを匿うのに都合が良い組織』として疑われる要因になっているとか」

アダムの声は落ち着いていたが、その内容の重さは、オルコットの胸に鈍い痛みを残した。鎮魂会は、これまで両国の軍から等しく信頼を寄せられてきた、数少ない中立的な存在だった。その中立性そのものが、皮肉にも疑いの対象になろうとしている。

「――院長は、対策を」

「表向きは、これまで通りの活動を続けています。ただ、内部では、鍵の保管場所をより厳重に、より秘匿性の高い場所へ移す準備が進められています」

オルコットは、鎮魂会の巡礼船《静誦》の姿を思い浮かべた。あの穏やかな空間に、連邦の疑いの目が向けられ始めているという事実に、胸が締め付けられた。あの船の中で、彼は初めてグラン院長と言葉を交わし、鍵を託すという重い決断を下した。あの静かな場所が、今や危険に晒されようとしている。

「連邦の調査は、どこまで進んでいるのですか」

「まだ、確証を掴んだ段階ではないようです。ただ、疑いの目を向け始めたという事実そのものが、我々にとっては大きな脅威です。一度疑われれば、あとは時間の問題でしょう」

「院長は、具体的にどのような対策を考えておられるのですか」

「保管場所の移転に加え、鍵に関わる者の数を、これまで以上に絞り込む方針だと伺っています。院長自身と、ごく一部の古参の司教のみが、鍵の詳細な所在を知る――そういう体制に移行しつつあります」

「――俺やセシルには」

「艦長方には、今後も適宜、必要な範囲でお伝えする、とのことです。ただ、以前のように頻繁な連絡は、控えることになるかもしれません」

オルコットは、その方針に一定の理解を示しつつも、鍵の行方が自分たちの手から徐々に離れていくことに、言いようのない寂しさを感じた。デルフォスから運び出したあの夜以来、鍵の安全は、常に自分の責任の一部であるかのように感じてきた。その感覚が、少しずつ薄れていくことに、彼はまだ慣れていなかった。

「――俺たちにできることは」

「今は、静観することです。下手に鎮魂会と接触を重ねれば、かえって疑いを裏付けることになりかねません」

アダムの言葉に、オルコットは頷くしかなかった。だが胸の内には、消えない不安が渦巻いていた。自分がこれ以上動けば動くほど、事態を悪化させかねない――その事実が、彼を苛立たせた。行動することも、静観することも、どちらも危うい道に思えた。

「アダム殿、院長には、俺からもよろしくお伝えください。何か必要なことがあれば、いつでも力になると」

「ありがとうございます。院長も、艦長のお気持ちは十分に理解しておられます」

アダムは深く頭を下げ、慰霊碑の前で静かに祈りを捧げてから、他の弔問者に紛れて去っていった。オルコットは、その後ろ姿を見送りながら、鎮魂会という組織の危うい立場に、改めて思いを馳せた。

鎮魂会は、戦没者と、廃棄された自律核の双方を弔うという、他に類を見ない活動を続けてきた組織だった。どちらの陣営からも一定の敬意を払われ、戦場の合間を縫うようにして、静かに祈りを捧げ続けてきた。その中立性こそが、彼らの存在意義そのものだった。だが、その中立性が、今や逆に彼らを危険に晒す要因になっているという皮肉に、オルコットは苦い思いを抱かずにいられなかった。何かを守ろうとする者ほど、疑いの目に晒されやすい――それは、この殺伐とした時代の、一つの残酷な真理なのかもしれなかった。

慰霊碑の周囲には、まだ他の弔問者たちの姿が残っていた。若い士官が、戦死した先輩の名前の前で、長い間立ち尽くしているのが見えた。オルコットは、その光景から目を逸らせなかった。自分もまた、いつかこの碑に名を刻まれる側になるかもしれない――そんな考えが、ふと頭をよぎった。

その夜、セシルが心配そうにオルコットの様子を窺った。艦内の狭い休憩室で、二人は久しぶりに落ち着いて言葉を交わす時間を持った。

「――何か、気がかりが?」

「鎮魂会が、疑われ始めているらしい」

セシルの表情が強張った。

「もし、鍵の在り処が連邦に露見すれば……」

「ヴィスは、迷わず動くだろう。中立組織への配慮など、彼には期待できない」

「――彼のことは、私もよく知っています」

セシルは、静かな声で言った。

「マルコ・ヴィスという人は、目的のためなら手段を選びません。中立地区の不可侵性など、彼にとっては都合の良い時にだけ利用する建前に過ぎない。もし鍵の存在を確信すれば、彼は迷わず、鎮魂会の施設に踏み込むでしょう」

「以前、彼と直接やり取りをしたことは」

「一度だけ。倫理制限設計チームへの査察という名目でしたが、実際には、私たちの仕事ぶりを値踏みしているような目でした。あの目を、私は忘れられません」

セシルの声が、僅かに震えた。オルコットは、彼女の手を握った。

「もう一度、彼と対峙することがあっても、俺が必ず守る」

「――簡単に言わないでください。あなたにできることには、限りがあります」

「分かっている。それでも、言わせてくれ」

セシルは小さく笑った。疲れの滲んだ、それでも確かな笑みだった。

「――それだけは、防がなければならない」

オルコットの声には、強い決意が滲んでいた。

窓の外、灰域の暗闇は、これまで以上に不穏な気配を帯び始めていた。慰霊碑に刻まれた名前の数が、これ以上増えないようにするためにも、鍵の安全を守り抜かなければならない――その思いが、オルコットの中で、いっそう強く固まっていった。

その晩遅く、オルコットは一人で艦橋に立ち寄った。当直の乗員たちが、静かにそれぞれの持ち場についていた。彼らの誰もが、慰霊碑に刻まれた名前と、無関係ではいられない。今日弔われた者たちも、かつては同じように、この艦のどこかの持ち場で、当直をこなしていたはずだった。

オルコットは、艦橋の隅にある小さな窓から、灰域の暗闇を見つめた。連邦艦隊の光は、今夜も変わらず、遠くに整然と並んでいる。停戦という言葉の軽さと、その裏で確実に積み重なっていく緊張の重さを、彼は改めて天秤にかけた。どちらに傾くにせよ、次にこの慰霊碑に名前が刻まれる時までに、自分にできることをやり尽くさなければならない――そう、静かに心に誓った。

艦橋を後にする前、彼はもう一度だけ、名簿に刻まれた名前の羅列を思い浮かべた。数字として処理されがちな戦死者の記録も、一人一人には確かな生があった。その事実を忘れないことこそが、生き残った自分にできる、唯一の弔いの形なのかもしれないと、彼は思った。

私室に戻る途中、レフとすれ違った。互いに軽く頷き合っただけだったが、その短い仕草の中に、この一日の重さを分かち合う仲間としての、確かな絆があった。オルコットは、そうした小さな繋がりの積み重ねこそが、この過酷な任務を支えているのだと、改めて実感していた。

(第56話へ続く)