輸送船の被弾が、次第に深刻さを増していった。
「機関出力、低下しています!」
「耐えろ、あと少しだ!」
機関長の声には、これまでにない切迫感があった。船体全体を通じて伝わる振動が、明らかに以前とは質を変えていた。単なる外殻の損傷ではなく、船の心臓部そのものが、悲鳴を上げ始めている――オルコットは、その振動の変化から、状況の深刻さを直感的に理解した。
「機関出力、あとどれくらい保つ」
「――正直に言えば、分かりません。いつ止まってもおかしくない状態です」
老船長の声が、機関長からの報告に重なった。長年この船と共にしてきた男の声にも、初めて聞くような焦りが滲んでいた。
「なんとか保たせろ。あと少しの辛抱だ」
「やってみます。だが、期待はしないでくれ」
軽口めいた言葉だったが、その奥には、確かな覚悟が滲んでいた。オルコットは、この老船長の胆力に、改めて敬意を抱いた。
オルコットは、セシルを庇いながら、艦橋代わりの操縦室で状況を見守っていた。狭い操縦室には、警告音と、乗員たちの緊迫した声が絶え間なく響いていた。
「――グレイ、私にも何かできることは」
セシルが、震える声で言った。だが、その震えの奥には、確かな意志があった。
「今は、伏せていてくれ」
「嫌です。何かさせてください」
セシルは、通信卓に取り付いた。彼女の手が、素早く端末のキーを操作していく。その動きに、迷いはなかった。
「電子妨害なら、私にもできます。倫理制限設計の仕事で、対電子戦の知識もあります」
オルコットは一瞬迷ったが、頷いた。この状況で、彼女を安全な場所に留めておくことと、彼女の能力を活かして戦況を変えることと、どちらが本当の意味で彼女を守ることになるのか――その答えは、既に彼女自身の目に浮かんでいた。
「――頼む」
セシルは、素早く敵艇の通信・照準システムへの妨害を試みた。連邦の技術を熟知した彼女の手際は、素人のそれではなかった。指先が、慣れた様子でパラメータを調整し、複数の周波数帯を同時に走査していく。オルコットは、その横顔に、いつもとは違う、技術者としての鋭さを見た気がした。
「敵艇の通信規格は、恐らく連邦軍の民生転用型です。私が知っている脆弱性が、まだ残っているはず――」
セシルは、独り言のように呟きながら、作業を続けた。オルコットには、彼女が何を操作しているのか、正確には理解できなかった。だが、彼女の指の動きに迷いがないことだけは、はっきりと分かった。
「――見つけました。照準系統の同期信号に、割り込みます」
そう言うが早いか、彼女は一気に妨害コードを送り込んだ。狭い操縦室に、彼女の集中した息遣いだけが響いていた。
「敵艇一隻、照準系統に乱れ発生!」
「今だ、集中砲火!」
輸送船の反撃が、狙いを外した敵艇を捉えた。爆発とともに、また一隻が戦線から脱落する。船体を揺らす爆発音が、操縦室の中にまで響いてきた。
「残り二隻!このまま押し返せるか!」
護衛担当者の声には、希望と焦りが入り混じっていた。だが、そこで輸送船の主機関が、限界を迎えた。
「――機関停止!推進不能です!」
その報告に、操縦室の空気が、一瞬にして凍りついた。
「――くそ」
オルコットは、短く吐き捨てた。動けなくなった船ほど、無防備なものはない。動けなくなった輸送船に、残る敵艇二隻が最後の攻勢をかけようとした、その瞬間。
オルコットは、無力化した船の中で、なす術もなく敵艇の接近を見守るしかなかった。艦長として、これほど無力さを感じた瞬間はなかった。撃つ手段もなく、逃げる手段もない。ただ、援軍が間に合うことを祈るしかない――それは、彼がこれまでの現場経験で、最も忌避してきた状況だった。
「――このまま、押し切られるのか」
護衛担当者が、掠れた声で呟いた。誰も、それに答えられなかった。
その時。
「――マグダだ!到着した!」
護衛担当者の叫び声が、操縦室に響いた。スクリーンに映る新たな光点――マグダの残り火隊が、戦域に躍り出た。敵艇二隻は、突然現れた新手に対応しきれず、瞬く間に劣勢に追い込まれた。
マグダの艦は、圧倒的な速度でこの戦域に切り込んできた。長年の実戦経験に裏打ちされたその動きは、素早く、そして無駄がなかった。オルコットは、スクリーン越しにその戦いぶりを見ながら、この土壇場での援軍の到着に、心の底から安堵していた。
「敵艇、降伏の意思なし!このまま殲滅する!」
マグダの通信が、無線越しに響いた。その声には、いつもの気安さはなく、戦闘に徹した冷徹さがあった。彼女もまた、この移送の重要性を、言葉にせずとも理解しているのだろう。あるいは、仲間が窮地に陥っているという事実だけで、十分だったのかもしれない。
短い交戦の末、残る敵艇はすべて撃破された。生き残りの捕虜は取れなかったが、装備の残骸からは、またしても連邦系の非正規部隊であることを示す痕跡が見つかった。
マグダの艦から回収班が出され、漂う残骸の中から、可能な限りの情報を集めていった。武器の型式、船体の識別番号の痕跡、通信機器の内部構造――どれも、正規軍のものとは微妙に異なる、非正規部隊特有の改造が施されていた。
「艦長、残骸の分析結果です。武装の一部に、連邦軍の制式規格と酷似したパーツが使われています。ただし、識別番号は全て削り取られています」
「――足がつかないように、周到に準備されていたということか」
「その可能性が高いです」
オルコットは、その報告に、苦い納得を覚えた。証拠を残さない用意周到さこそが、この一件の背後にいる者の正体を、逆説的に物語っていた。
「――被害状況は」
「輸送船、大破。ただし、巡礼艇二隻は無傷です」
その報告に、オルコットは、大きく息を吐いた。鍵は、無事だった。それが、この激しい交戦の中で、唯一確実に守り抜けたものだった。
「乗員の負傷は」
「複数名、軽傷から中等度の負傷。幸い、死者は出ていません」
その報告に、オルコットは静かに胸を撫で下ろした。数字の上では「軽微」と片付けられるかもしれないが、負傷した一人一人の顔を、彼はこの後、必ず見に行こうと心に決めた。誰一人として、命を落とさずに済んだこと――それは、この激しい交戦の中で、彼が何よりも安堵した事実だった。
セシルが、疲れた様子で通信卓から離れた。指先が、緊張のあまり微かに震えていた。額には、いつの間にか薄く汗が滲んでいる。彼女は、自分の手のひらを見つめながら、小さく息を吐いた。
「――怖かったです。でも、それ以上に、何もできずにただ待っているだけの方が、耐えられなかった」
「その気持ちは、よく分かる」
オルコットも、同じ種類の焦燥を、艦長としての立場から何度も味わってきた。何もできずに待つことの苦しさは、時に、実際に戦うこと以上に、心を蝕む。
「――役に立てましたか」
「ああ。命を救われた」
オルコットは彼女の肩に手を置いた。二人の間に、これまでとは違う、確かな信頼が芽生えていた。この戦いを通じて、彼女は単なる同行者ではなく、共に危機を乗り越えた戦友のような存在になっていた。
これまで、オルコットは彼女を守るべき存在として見てきた部分があった。だが、この五分間で、その認識は明確に覆された。彼女は、守られるだけの存在ではない。共に戦い、共にこの状況を切り拓く、対等な一人の人間だった。その事実に、彼は今更ながら気づかされていた。
修復班が慌ただしく動き回る中、オルコットはしばらくの間、セシルと並んで座り込んでいた。二人とも、言葉を交わす体力すら残っていなかったが、それでも隣にいるという事実だけで、互いに支えられているのを感じていた。
やがて、マグダが淹れてくれた温かい飲み物が、二人の手に渡された。湯気の立つカップを両手で包み込みながら、オルコットは、ようやく自分の体の芯まで冷え切っていたことに気づいた。緊張が解けた今になって、疲労と安堵が、一気に押し寄せてきていた。
操縦室の外では、修復班が慌ただしく損傷箇所の応急処置に取り掛かっていた。マグダの艦から、追加の支援要員も到着し、負傷者の救護が始まっていた。オルコットは、その光景を見渡しながら、この五分間――いや、実際にはもっと長く感じられたこの時間の重みを、改めて噛みしめていた。
マグダが、自ら艦を降りて輸送船に乗り込んできた。
「――間に合って良かったよ、艦長」
「助かった。恩に着る」
「よせよ、水臭い。それより、鍵は無事なんだろうな」
「ああ、無事だ」
マグダは、大きく息を吐いて、疲れた笑みを浮かべた。
「じゃあ、良しとしよう。損傷した船は、うちの艦で曳航してやる。負傷者もこっちで引き受ける」
「――恩に着る」
オルコットは、繰り返しそう言うしかなかった。この一年、幾度となく助けられてきた相手に、自分は一体何を返せているのだろうかと、ふと考えた。だが今は、その問いを深く掘り下げている余裕はなかった。まず、乗員たちの安全を確保することが先決だった。
負傷者たちの元へ向かう途中、オルコットは、応急処置を受けている一人一人に、短く声をかけて回った。「よくやってくれた」「すぐに良くなる」――ありふれた言葉しか掛けられなかったが、それでも、言わずにはいられなかった。この激しい交戦を生き延びた彼らの顔を、彼は一人残らず、しっかりと目に焼き付けた。
(第60話へ続く)