セシルが、旧知の連邦軍関係者との間接的な接触を通じて、連邦上層部の動きに関する断片的な情報を得たのは、生存者救出の一件から数日後のことだった。連絡は、暗号化された民間通信網を経由し、複数の中継点を挟んで、ようやく《薄明》の通信室に届いた。オルコットは、その手続きの慎重さそのものが、事態の深刻さを物語っているように思えた。

「――マルコ・ヴィスが、正規管制鍵の実在について、連邦最高軍事評議会に直接報告を上げたそうです」

セシルの声には、緊張が滲んでいた。彼女は資料端末を操作しながら、努めて平静を保とうとしているようだったが、指先の動きにはわずかな震えがあった。

「評議会は、これをどう扱うかで紛糾していると聞いています。認証標準そのものに欠陥――いえ、意図的な『裏口』が存在していたという事実は、連邦の軍事技術に対する根本的な信頼を揺るがしかねません」

オルコットは、腕を組んだ。窓の外には、艦隊の定期訓練を行う小型艇の編隊が、規則正しい間隔で航行しているのが見えた。あの整然とした秩序の裏に、こうした混沌とした密議が隠されているのだと思うと、奇妙な違和感を覚えずにはいられなかった。

「隠蔽する側に回るか、それとも」

「評議会内の強硬派は、これを機に、同盟への全面的な軍事的圧力を強めるべきだと主張しているようです。『鍵の窃取』という事実そのものは公表せず、あくまで『同盟による一連の軍事的挑発』という文脈で、国民世論を動かす方針だと」

「――真実を隠したまま、俺たちを一方的な悪役に仕立て上げる、ということか」

「その通りです。認証標準の裏口という、連邦自身にとって都合の悪い真実は、決して公にはしないでしょう」

ラスクが、暗い表情で付け加えた。彼はテーブルの上に、傍受情報をまとめた薄い書類の束を置いていた。

「これは、正史に――いえ、これから先の歴史に、大きな空白を残すことになるでしょうね。なぜ戦争が始まったのか、その本当の理由を知る者は、ごく一部に限られたまま」

オルコットは、その言葉に、奇妙な確信を抱いた。いつか遠い未来、この戦争の理由を知りたいと願う誰かが現れても、その真実には決して辿り着けないかもしれない。歴史という記録そのものが、勝者と、隠蔽に成功した者たちの手によって書き換えられていく。彼はそのことに、言いようのない苛立ちを覚えた。

「評議会内には、隠蔽そのものに反対する声はないのか」

セシルは、首を振った。

「少数ながら、いるにはいます。ただし、彼らの立場は弱い。『真実を公表すべきだ』と主張する将官の一人は、すでに閑職への異動を命じられたという噂もあります」

「口を封じられた、ということか」

「表向きは、あくまで人事異動です。ですが、タイミングを考えれば、明らかでしょう」

ラスクが、静かに続けた。

「連邦という国家は、これまでも同様の手法で、都合の悪い声を消してきました。三年前の実弾試験事故の際も、事実を知る技術者の何人かが、辺境の閑職に飛ばされています。今回も、同じ構図が繰り返されているにすぎません」

オルコットは、拳を握った。三年前の記憶が、また鮮明に蘇る。あの日、彼が目撃したものと、今セシルが語る評議会の動きとは、地続きの同じ体質から生まれている。国家は変わらない。変わるのは、隠蔽される対象だけだ。

「――院長には、伝えるべきか」

「伝えるべきでしょう。連邦がこの路線で動くなら、鎮魂会への直接的な追及は、当面控えられる可能性があります。連邦は、鍵の存在そのものを公にできない以上、鎮魂会を名指しで攻撃することもできない」

「一時的な、猶予か」

「そう捉えるべきです」

だが、その猶予がどれほどの間続くのか、誰にも予測はできなかった。オルコットは、セシルの表情を窺った。彼女は、故郷である連邦の中枢が、こうして着実に嘘を積み重ねていく様を、間接的にとはいえ伝える立場に置かれている。その苦しさは、オルコットが単純に想像できるものではなかった。

「――辛くはないか」

「え?」

「お前の国のことだ。故郷の上層部が、こうして隠蔽を重ねていく様を、伝える立場にいるのは」

セシルは、少しの間、答えを探すように視線を落とした。

「辛くない、と言えば嘘になります。ですが、私が本当に辛いのは、故郷を裏切っているという感覚ではありません。故郷が、自国の国民にすら、これほど平然と嘘をつき続けているという事実の方です」

その言葉に、オルコットは何も返せなかった。ただ、彼女の肩にそっと手を置いた。

灰域を挟んだ両国の関係は、もはや修復不可能な段階に近づきつつあった。会議室を出た後も、オルコットの脳裏には、セシルの言葉が長く残り続けた。

その夜、オルコットはドーベル少将に呼ばれ、非公式の場で今後の対応を協議することになった。少将の私室は、艦長室よりも一回り狭く、壁には歴代の艦隊旗が飾られていた。

「――セシルの情報、信憑性はどの程度だと見る」

「高いと考えます。彼女の連邦内の伝手は、これまで一度も誤った情報を寄越したことがありません」

「なら、当面は連邦から鎮魂会への直接的な追及はない、ということだな」

「はい。ただし、それは猶予に過ぎません。評議会の強硬派が、いつまで隠蔽路線を維持できるかは未知数です」

ドーベル少将は、椅子に深く腰を沈め、しばらく天井を見上げた。

「――俺は、この数十年、同盟軍で戦ってきた。だが、正直に言えば、こういう類の戦いには慣れていない。砲弾と装甲でぶつかり合う戦争なら、まだやりようがある。だが、情報と嘘が武器になる戦争は、勝敗の基準すら曖昧だ」

「俺も、同じです」

オルコットは、率直に認めた。艦長として艦隊戦を指揮することには、それなりの自信があった。だが、政治という名の、姿の見えない敵と対峙するこの戦いには、いまだに手探りの感覚しかなかった。

「一つだけ、確かなことがあります」

「なんだ」

「連邦がどう世論を操作しようと、俺たちが実際に何をしてきたか、その事実そのものは変わらない。鍵を守り、無辜の人間を巻き込まないよう努めてきた。その一点だけは、俺は誰に対しても恥じることはありません」

ドーベル少将は、初めて小さく笑った。疲れの滲む、それでもどこか安堵したような笑みだった。

「――お前のそういうところが、ラスクにも、俺にも、都合よく使われている自覚はあるか」

「あります。それでも構いません」

少将は、それ以上何も言わず、ただ小さく頷いた。

私室を出た後、オルコットは艦の甲板を一人で歩いた。夜間照明に照らされた通路は静かで、当直の乗員がすれ違いざまに敬礼する以外、物音一つしなかった。彼は、セシルの言葉を反芻していた。故郷が国民に嘘をつき続けているという事実の方が辛い、という彼女の言葉には、単なる愛国心を超えた、何か根源的な倫理の疑問が込められているように思えた。

彼自身もまた、同盟という国家に忠誠を誓う軍人でありながら、その同盟が完全に潔白だとは信じていなかった。鍵を鎮魂会に託すという選択そのものが、国家という枠組みそのものへの、静かな不信の表明だったのだ。灰域の暗闇を見上げながら、オルコットは、自分たちが本当に正しい道を歩んでいるのか、改めて自問せずにはいられなかった。

甲板の端まで歩くと、格納庫の一角で、整備班の夜勤要員たちが交代で談笑している声が聞こえてきた。今日一日の仕事の疲れを労うような、他愛のない会話だった。誰かが冗談を言い、控えめな笑い声が上がる。オルコットは、その光景をしばらく遠目に眺めた。

彼らのほとんどは、評議会の密議も、鍵の存在も、セシルが背負っている葛藤も知らない。ただ目の前の任務をこなし、明日の勤務に備えて眠りにつく。その日常の積み重ねこそが、実は最も守られるべきものなのかもしれない、とオルコットは思った。政治や国家間の駆け引きの向こうに、いつも名もなき誰かの日常がある。それを踏みにじってまで守るべき正義など、本来存在しないはずだった。

だが現実には、その正義と称するものの名の下に、すでに多くの犠牲が積み重ねられてきている。ラスクの言う「歴史の空白」が、いつかこの整備班の誰かの、あるいはその家族の命によって埋められることになるかもしれない。そう考えると、オルコットの胸には、これまでにない重苦しさが広がった。

彼は、艦長室に戻る前に、通信室に立ち寄った。ダーナが、まだ当直に残っていた。

「艦長、まだお休みになっていなかったのですか」

「少し、考え事をしていた。セシルからの情報は、ラスクにも共有したか」

「はい、すでに」

「――院長への連絡は、明朝で構わない。今夜のところは、これ以上動かせることもない」

「承知しました」

オルコットは、自室に戻り、明かりを落とした寝台に体を横たえた。だが、なかなか寝付けなかった。評議会の密議、セシルの苦悩、そして灰域の向こうで着実に育ちつつある不信と憎悪の連鎖――それらすべてが、まだ見ぬ未来の重さとして、彼の胸にのしかかり続けていた。

天井の暗がりを見つめながら、彼はふと、三年前のあの試験事故の日を思い出した。あの日もまた、彼は今と同じように、狭い寝台の上で眠れぬ夜を過ごした。あのときの自分は、まだ何も知らない一人の艦長に過ぎなかった。だが今は違う。知ってしまった以上、後戻りはできない。ただ前に進み、目の前で起きることに、一つひとつ向き合い続けるしかなかった。

やがて、微かな眠気が訪れる頃、艦のわずかな振動――巡航用の推進機関が立てる、規則正しい低い唸りが、子守唄のように耳に届いた。オルコットは、その音に身を委ねながら、ようやく浅い眠りに落ちていった。

(第63話へ続く)