セシルが、連邦内部の伝手を通じて、決定的な情報を掴んだ。艦長室に呼ばれたオルコットは、彼女の表情から、これまでとは違う種類の緊迫感を、すぐに読み取った。
「――ヴィスが、鎮魂会の本拠地『ノクターン』の位置を特定した可能性があります」
作戦本部に、緊張が走った。ドーベル少将をはじめ、居合わせた参謀たちの間に、重い沈黙が広がった。
「特定した根拠は」
「辺境での交戦生存者の証言、加えて、独自の追跡調査の結果だと思われます。特務局は、ノクターンへの強襲作戦を極秘裏に準備しているという情報です」
オルコットの背筋に、冷たいものが走った。これまで、鎮魂会の本拠地は、灰域の外れ、氷に閉ざされた辺境の星系にあるとしか、彼自身も詳細を知らされていなかった。その秘匿性こそが、鍵の安全を保つ最大の防壁だったはずだ。その防壁が、今、崩れようとしている。
艦長室の空気が、急に重く感じられた。オルコットは、無意識のうちに、机の縁を強く握りしめていた。指先に伝わる冷たい金属の感触だけが、今この瞬間、現実であることを彼に教えていた。
「――どうやって、突き止めた」
「詳しい経緯はまだわかりません。ですが、以前ハルシオンで捕虜になった同盟兵の中に、拷問によって断片的な情報を漏らした者がいたのではないか、という懸念があります。ヴィスは、そうした断片を、丹念に繋ぎ合わせる執念深さを持った男です」
オルコットは、苦い顔をした。捕虜になった兵士を責める気にはなれなかった。彼らもまた、戦争という巨大な力学に巻き込まれた被害者に過ぎない。だが、その結果として、鎮魂会の秘匿性が崩れかけているという事実は、重く彼の肩にのしかかった。
「――規模は」
「詳細は不明ですが、特務局直轄の精鋭部隊、加えて自律無人艦の実戦配備部隊の一部が投入されるという噂もあります」
「自律無人艦、だと」
「まだ試験段階の小規模部隊のはずですが、ヴィスはこれを、実戦での初陣として使うつもりかもしれません」
オルコットは、拳を握りしめた。まだ本格的な戦争すら始まっていないというのに、鍵を守るための最後の戦いが、目前に迫っていた。彼は、これまでの経緯を、頭の中で急いで整理した。デルフォスでの奪取、鎮魂会への引き渡し、逃避行、ラスクの更迭――積み重ねてきたすべてが、この一点に収斂しようとしている。
セシルが、さらに補足した。
「――自律無人艦の実戦配備部隊については、私も設計チームにいた頃、断片的な情報しか知りませんでした。ですが、少なくとも、状況判断のアルゴリズムには、まだ多くの不備が残っています。もし彼らが、ノクターンの聖堂群のような、非戦闘員が多く存在する場所に投入されれば」
「――何が起きる」
「無差別な殺傷が起きる可能性があります。枷――倫理制限のプログラムは、まだ完全には機能していません。私たちが設計チームで警告し続けてきた、まさにその懸念です」
オルコットは、三年前に目撃した実弾試験事故の光景を思い出さずにはいられなかった。あの時と同じ悲劇が、今度は鎮魂会の聖地で繰り返されようとしている。彼は、その予感に、腹の底から突き上げるような怒りを覚えた。
「――院長に、警告を」
「すでに伝えました。ノクターンの防備は強化されていますが、正規軍の精鋭部隊と自律兵器の相手をするには、心もとない戦力です」
ドーベル少将が、険しい表情で言った。
「――境界防衛艦隊を動かすのか。だが、それは事実上、連邦との全面衝突を意味する」
オルコットは、少将の目をまっすぐに見つめた。
「提督、あの鍵が失われれば、あるいはヴィスの手に渡れば、これから始まる戦争は、歯止めを完全に失います。国家という枠組みの外にある、最後の安全弁を守るためです」
少将は、長い沈黙の後、重い口を開いた。
「――独断で動くことは許さない。だが、境界防衛艦隊の一部を、『鎮魂会保護のための人道的措置』という名目で派遣することは、検討の余地がある」
「感謝します」
「勘違いするな。これは、お前個人への配慮ではない。あの鍵が失われれば、これから始まる戦争の抑止力そのものが消える。私は、あくまで戦略的な判断として、これを決める」
「――それでも、感謝します」
少将は、小さく鼻を鳴らした。それが、彼なりの照れ隠しであることを、オルコットは付き合いの中で理解していた。
「――派遣できる戦力は」
「巡洋艦一隻、駆逐艦三隻。それに加えて、マグダ隊長の残り火隊が志願している。彼らは、地上戦の経験が豊富だ。ノクターンの聖堂群を守るには、艦隊の砲撃だけでは足りない」
オルコットは、頷いた。マグダの部隊とは、これまでの作戦でも幾度か協力してきた仲だった。彼らの実戦経験は、この任務において、何よりも頼りになるはずだった。
「――出発は、いつに」
「今夜だ。時間の猶予は、ほとんどない」
その言葉に、オルコットは自らの艦へ急いで戻った。艦内では、すでに出撃準備の号令が発せられており、乗員たちが慌ただしく持ち場につき始めていた。廊下ですれ違うたびに、乗員たちの表情には、これまでにない緊張が刻まれていた。誰もが、この出撃が、これまでの哨戒任務とは、まったく質の違うものであることを、理屈以前に感じ取っているようだった。
補給区画では、イズマが機関部の最終点検を急いでいた。
「――艦長、跳躍炉のチャージ状態は良好です。ただし、今回の航路は、通常より跳躍回数が多くなります。連続稼働による負荷が、少し心配です」
「無理はさせるな。だが、遅れるわけにもいかない」
「わかってます。ぎりぎりのところで、やってみせます」
オルコットは、イズマの肩を叩き、艦橋へと急いだ。振り返ると、イズマは既に整備兵たちに指示を飛ばしながら、額の汗を袖でぬぐっていた。その背中に、これまで幾度も見てきた、機関屋としての意地が滲んでいるのを、オルコットは見て取った。
《薄明》を含む小規模な艦隊が、極秘裏にノクターンへ向け出発することになった。灰域を挟んだ対立の、最後の、そして最も重い戦いが、静かに幕を開けようとしていた。
艦橋へ向かう通路で、オルコットは、すれ違う乗員たちの一人一人の顔を、意識的に見つめた。緊張に強張った顔、それでも自分の役割を果たそうとする眼差し――そのどれもが、彼にとって、かけがえのないものだった。この中の誰一人として、失いたくはない。そう思う端から、それが叶わぬ願いかもしれないという予感が、胸の奥で静かに疼いた。
艦長室に戻ったオルコットは、セシルに、これから起きることを伝えた。彼女の顔は、これまで見たことがないほど、蒼白だった。
「――ノクターンへ、行くんですね」
「ああ。今夜、出発する」
「私も、連れて行ってください」
「――駄目だ」
オルコットは、即座に首を振った。
「今回は、これまでとは違う。相手は正規軍の精鋭、加えて自律兵器だ。艦に残っていてくれた方が、あなたの安全は保てる」
「連れて行けとは言っていません。ただ、艦に残ることと、何もできないことは、違います。私は、電子戦支援や、連邦艦の識別情報の分析なら、力になれるはずです」
オルコットは、彼女の言葉に、しばらく考え込んだ。彼女の技術的な知識は、確かに、これまでの作戦でも幾度となく助けになってきた。
「――わかった。艦には残ってもらう。だが、艦橋での支援は頼む。あなたの知識が必要になる場面が、きっとある」
セシルは、初めて、わずかに安堵の表情を見せた。
セシルは、しばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。
「――わかりました。ですが、必ず、生きて戻ってきてください。約束、忘れていませんよね」
「忘れていない」
オルコットは、彼女の手を取り、静かに握った。かつて交わした誓いの重みを、彼は改めて噛みしめた。この誓いを守るためにも、彼はこの戦いを、生きて終わらせなければならなかった。
艦橋に戻ると、ダーナが出撃準備の完了を報告した。
「――艦長、全艦、出撃準備完了しました」
「よし。マグダの部隊との合流地点は」
「灰域外縁部、跳躍点まで、あと三時間の距離です」
オルコットは、艦長席に着き、静かに命令を下した。
「――全艦、出撃。目標、ノクターン星系」
《薄明》を含む小規模な艦隊が、静かに、しかし確実に、灰域の暗闇へと滑り出していった。窓の外に広がる星のない暗闇の向こうに、彼らを待ち受ける戦いの気配が、確かに、そして重く、横たわっていた。
出撃直前、オルコットは、ドーベル少将から最後の通信を受け取った。
「――艦長、これは正式な命令ではない。あくまで、お前たちの独自判断による行動だ。万が一の際、政府は関与を認めない。それを、承知しておけ」
「承知しています」
「――だが、生きて帰れ。それだけは、命令として言っておく」
通信が切れた後、オルコットは、しばらく艦長席で目を閉じた。国家という組織は、都合の良い時だけ手を差し伸べ、都合が悪くなれば、いつでも手を引く準備をしている。それでも、少将なりの精一杯の配慮が、その言葉の端々に滲んでいることを、彼は感じ取っていた。
「――全艦、跳躍準備」
レフの声が、艦橋に響いた。跳躍炉の充填音が、低く、重く、艦全体に響き渡った。オルコットは、目を開け、窓の外に広がる暗闇を、まっすぐに見据えた。かつてこの海域を、平時の哨戒任務として、幾度となく行き来してきた。だが今、同じ暗闇が、まったく違う意味を帯びて、彼の前に広がっていた。
「――行くぞ」
オルコットは、静かに、しかし確かな声でそう告げた。艦全体が、短距離跳躍炉の起動とともに、かすかに震動した。
(第79話へ続く)