爆発の衝撃で、安置所の外側隔壁が崩落した。粉塵と氷片が入り混じった空気が、視界を白く塗りつぶしていく。崩落の音は、しばらくの間、遠雷のように聖堂全体に反響し続けた。だが、グラン院長が事前に施していた三重の防護――記憶結晶と台帳を、さらに奥の耐爆仕様の内殻に移していたことが、鍵そのものを守り抜いていた。

その周到さは、この日のためだけに用意されたものではなかった。院長は、鍵を託されて以来、幾度となく、あらゆる襲撃の可能性を想定し、防護の手順を積み重ねてきたのだという。今日という日は、その積み重ねが、初めて本当の意味で試された日でもあった。

「――院長、ご無事ですか!」

アダムが、瓦礫の中から院長を助け起こした。埃にまみれた法衣の裾が、無残に破れていた。それでも、院長の顔には、動揺の色はなかった。彼のすぐそばには、傷だらけになりながらも身を挺して隔壁の前に留まっていた修練士たちの姿があった。誰一人として、この場を離れようとはしなかった。

「――このくらいは、想定の内です」

グランは、埃にまみれながらも、静かにそう言った。その声の落ち着きが、周囲の護衛たちに、かろうじて残っていた緊張の糸を、少しだけ緩ませた。

院長のその一言に、オルコットは、この老人の胆力を改めて思い知らされた。命の危機に晒されてなお、この落ち着きを保てる人間が、どれほどいるだろうか。長年、戦没者と廃棄された自律核の双方を弔い続けてきた者だけが持つ、独特の胆の据わり方なのかもしれない。

爆発の混乱に乗じて、ヴィスは撤退していった。追撃する余力は、もはや誰にも残っていなかった。粉塵の晴れた通路の奥には、彼が去った痕跡――踏み荒らされた瓦礫と、点々と続く血の跡だけが残されていた。

オルコットは、その血の跡を見つめながら、先ほどの格闘で自分が浴びせた一撃を思い返した。決して浅い傷ではなかったはずだ。だが、それでも、あの男は自らの足で、この場所を離れていった。国家という後ろ盾を持つ者の、退き際の周到さを、オルコットは苦々しく思い知らされた。

「――逃したか」

オルコットは、崩れた通路の奥を見つめながら、悔しさを噛みしめた。あと一歩のところで、この男を止められなかった。その事実が、重く胸にのしかかった。ヴィスがまた戻ってくるのか、それとも、別の手段でこの一件を終わらせに来るのか――その答えは、今の彼には分からなかった。ただ、この場所が、もう安全ではなくなったことだけは、確かだった。

「艦長」

マグダが、疲れた声で近づいてきた。全身を覆う土埃と、あちこちに滲む血痕が、この戦いの激しさを物語っていた。

「深追いはよそう。うちの連中も、もう限界だ」

「――ああ、そうだな」

オルコットは、深く息を吐き、構えていた武器を下ろした。全身に蓄積した疲労が、一気に押し寄せてくるのを感じた。だが、まだ、休んでいる場合ではなかった。

「マグダ、お前も、休んでくれ。ここまで、よく持ちこたえた」

「休むのは、全部片付いてからにするさ。艦長こそ、その傷、ちゃんと診てもらえよ」

マグダの視線が、オルコットの脇腹に滲む血に向けられていた。彼は、それをようやく自覚し、鈍い痛みに小さく顔をしかめた。ヴィスとの格闘の中で負った傷が、今になって存在を主張し始めていた。

聖堂の各所で、負傷者の救護が始まっていた。鎮魂会の護衛、マグダの残り火隊、双方に少なくない犠牲が出ていた。担架に乗せられていく者、壁にもたれかかったまま動けずにいる者――その光景の一つ一つが、オルコットの網膜に焼き付いていった。

修道士たちが、負傷者の間を回り、水と包帯を配っていた。彼らの多くは、戦闘の訓練など受けていない、ただの弔いの徒でしかない。それでも、この日ばかりは、誰もが自分にできることを、黙々とこなしていた。オルコットは、その姿に、言葉にならない敬意を覚えた。

「――被害状況は」

「残り火隊、戦死者9名。鎮魂会の護衛も、5名が命を落とした」

マグダの声は、努めて平静を装っていたが、その奥に沈んだ悲痛さを、オルコットは聞き逃さなかった。9名――その一人一人に、名前があり、これまでの人生があった。彼らの多くは、連邦への私怨を胸に、この寄せ集めの部隊に流れ着いた者たちだった。皮肉にも、その怒りの矛先が、今日という日、この聖堂を守るために使われた。

マグダは、部下たちの名を、一人ずつ、静かに読み上げていった。

「――ドロテ、氷の柱の陰で機兵の初撃を受けた。ロブ、通路の側面で援護中に力尽きた。あとの七人も、名は控えている。誰一人、忘れるつもりはない」

鎮魂会側の犠牲者についても、アダムが低い声で報告した。

「護衛のマルタ、聖堂の入口で最初の突入を食い止めた。修練士のコンラート、安置所への通路で、最後まで院長のそばを離れなかった。あとの三名も、名は台帳とは別に、私たちの記録に残します」

オルコットは、その名を一人ずつ、心に刻んだ。名前だけでも、忘れてはならない。それが、彼にできる、せめてもの弔いだった。統計上の数字として処理される死者と、名前を持って記憶される死者――その違いを、彼はこれまでの人生の中で、何度も思い知らされてきた。だからこそ、この場所で失われた命だけは、決して数字だけで終わらせたくなかった。

軌道上の戦闘も、ヴィスの部隊の撤退とともに終息した。連邦特務局の強襲部隊は、鍵を奪うことも、聖地を完全に消し去ることもできないまま、灰域の向こうへと後退していった。オルコットが艦橋からの報告を受け取ったのは、それからしばらく経ってからのことだった。ダーナの声には、隠しきれない安堵が滲んでいた。

「――《薄明》、被害は」

「損傷は大きいですが、なんとか自力航行できる状態です。乗員に、死者は出ていません」

その報告に、オルコットは、地上での犠牲の重さと引き比べて、複雑な安堵を覚えた。艦の乗組員は無事だった。だが、地上では、多くの名前が失われた。その両方を、彼はこれから背負って生きていくことになる。

艦橋のダーナが、これまでの戦闘の詳細を、丁寧にまとめ上げようとしているという報告も届いていた。誰が、どこで、どのように戦い、そしてどのように命を落としたのか――その記録を残すこともまた、生き残った者たちの務めだと、彼女は考えているようだった。オルコットは、その心がけに、静かな敬意を覚えた。

「――鍵は、無事です」

アダムが、安置所の奥から、箱を確認して報告した。記憶結晶の束と、三冊の台帳――それらが、傷一つなく、内殻の奥深くに収められていた。埃を払われたその表面には、これまでこの鍵に関わってきた者たちの、名もなき積み重ねが刻まれているようだった。オルコットは、深く息を吐いた。

「――守り抜いた、ということか」

「はい。ただ、その代償は、決して小さくありません」

グラン院長が、静かに言った。崩れた聖堂の残骸を見渡しながら、彼の目には、深い疲労と、それでもなお消えない祈りの光が宿っていた。

「艦長、これほどの犠牲を払ってまで、私たちがしたことは、正しかったのでしょうか」

その問いは、静かでありながら、オルコットの胸を鋭く刺した。院長自身、この問いに、まだ答えを見出せずにいるのかもしれない。長年、弔いの現場に立ち続けてきた男の口から出るその問いには、聞く者を打ちのめすだけの重みがあった。

「――院長も、迷っておられるのですか」

「迷わぬ日など、ありません。ただ、迷いながらも、進み続けるしかない。それが、私たちの選んだ道です」

グランの声には、疲労と、それでもなお灯り続ける、静かな信念があった。長年、戦没者と、廃棄された自律核の双方を弔い続けてきた彼にとって、迷いのない確信など、そもそも存在しないのかもしれない。それでも、彼は、この道を歩み続けることを選んできた。オルコットは、その姿勢に、自分自身の在り方を重ねずにはいられなかった。

「――院長のその言葉に、俺も、支えられている気がします」

「艦長も、ここまでよく戦い抜かれました。それだけは、疑いようもない事実です」

グランは、そう言うと、静かに微笑んだ。埃と傷にまみれたその笑顔には、それでも、確かな温かさがあった。

オルコットは、即座には答えられなかった。犠牲者の名前を刻みながらも、その問いへの答えを、彼自身、まだ見出せずにいた。窓のない聖堂の奥で、遠く軌道上の戦闘の余韻だけが、微かな振動となって伝わってくる。

彼は、崩れた隔壁の向こうに見える、守り抜かれた安置所の箱をじっと見つめた。この重さを背負ってでも、鍵を国家の手に渡さないという選択は、正しかったのか。ドロテやロブ、マルタやコンラート、そして名を刻まれた他の犠牲者たち――彼らの死は、この選択の正しさを証明するためのものではない。それでも、彼らが命を賭してまで守ろうとしたものを、無駄にすることだけは、絶対に許されない。

「――答えは、まだ出ません。ですが、彼らが守ろうとしたものを、無駄にはしません」

オルコットは、そう院長に告げた。それが、今の彼に言える、精一杯の言葉だった。グラン院長は、静かに頷き、崩れた聖堂の残骸の向こうへと、視線を移した。答えの出ないその問いを抱えたまま、オルコットは静かに、目を閉じた。

(第85話へ続く)