開戦初日の激戦は、艦隊戦だけに留まらなかった。連邦軍は、灰域沿いの複数の同盟入植惑星に対し、同時多発的な地上侵攻を開始していた。艦隊戦の推移に気を取られていた境界防衛艦隊司令部にとって、その報告は、まさに寝耳に水だった。

艦橋のスピーカーから流れる情報士官の声には、これまで聞いたことのない切迫感が滲んでいた。オルコットは、その声の震えだけで、事態の深刻さを察した。

「――ハルシオン、レティシア、加えて新たに三惑星への侵攻が確認されています」

情報士官の報告に、境界防衛艦隊司令部は騒然となった。次々と映し出される戦況図には、これまで平穏だったはずの入植地の名前が、赤く点滅する警告マークとともに、次々と浮かび上がっていた。オルデン提督が、険しい声で指示を飛ばした。

連邦軍のこの動きは、明らかに事前に計画されていたものだった。宣戦布告のわずか数時間後には、複数の惑星へ同時に部隊を展開させる――そこには、艦隊戦での消耗を見越した上で、地上侵攻によって一気に戦局を有利に運ぼうとする、周到な思惑が透けて見えた。オルコットは、その計画性の高さに、あらためて連邦という国家の底力を思い知らされた。

輸送艦団の規模、上陸用の装備、そして統制の取れた部隊展開――これらすべてが、開戦前から周到に準備されていたことを物語っていた。オルコットは、その事実に、苦い納得を覚えた。連邦は、宣戦布告という儀礼的な手続きを待つまでもなく、遥か以前から、この戦争の準備を進めていたのだ。

「――艦隊を分散させるしかない。優先度の高い惑星から、防衛戦力を回せ」

その決断が、どれほど困難なものか、オルコットには痛いほど理解できた。艦隊戦に集中すべき戦力を、地上防衛にも割かねばならない。二正面での戦いが、開戦初日にして、すでに現実のものとなっていた。

「――提督、艦隊を分散させれば、灰域の防衛線そのものが手薄になります」

「分かっている。だが、入植惑星を見捨てるわけにはいかない。あそこには、何十万という民間人が暮らしている」

オルデン提督の声には、苦渋の色が滲んでいた。艦隊戦の勝敗と、地上の民間人の命――そのどちらも切り捨てられない以上、戦力の分散は避けられない選択だった。オルコットは、その決断の重みを、自分自身の肩にも感じ取っていた。

戦況図に映し出された五つの惑星――そのどれもが、それぞれの生活と歴史を持つ入植地だった。優先度をつけるという行為そのものが、ある意味では、命の重さに序列をつけることに等しい。オルコットは、その残酷さを噛みしめながらも、今は、目の前の任務をこなすことしかできなかった。

戦況図の光点が明滅するたびに、そこに暮らす人々の顔のない生活が、彼の脳裏をかすめた。名前も知らない誰かの朝食の匂い、子供たちの笑い声、市場通りの喧騒――そうした日常の断片が、これから数時間のうちに、踏みにじられようとしている。

《薄明》は、レティシアへの再度の防衛支援を命じられた。以前の小競り合いとは比較にならない規模の連邦軍が、すでに上陸を開始していた。オルコットは、これまで何度も足を運んだあの惑星の光景を思い浮かべながら、艦を反転させた。

レティシアは、これまでにも幾度か、連邦の非正規部隊による散発的な攻撃を受けてきた惑星だった。オルコットたちは、その都度、防衛支援に駆けつけてきた。だが、今回は、これまでとは規模が違う。国家の総力を挙げた侵攻の前に、あの穏やかな入植地が、どこまで持ちこたえられるのか、彼には確信が持てなかった。

「艦長、レティシア防衛旅団、多勢に無勢です。持ちこたえられるか、不明です」

ダーナの報告に、オルコットは短く息を吐いた。あの惑星の住民たちの顔が、脳裏をよぎった。彼らを、再び戦火に晒すことになる。

オルコットは、決断した。

「マグダ、地上部隊を再びレティシアへ」

「――何度目だい、これで」

マグダは、疲れた声で、それでも笑った。ノクターンでの死闘から、まだ十分な休息も取れていないはずだった。それでも、彼女は、その申し出を断らなかった。

「まあいい。あそこの連中、うちの部隊とも顔馴染みになっちまったからな」

その軽口の裏に、マグダなりの覚悟が滲んでいるのを、オルコットは見て取った。彼女の部隊もまた、ノクターンで9名の戦死者を出したばかりだった。それでも、彼女は、次の戦場へと向かうことを選んだ。

「――無理はするなよ、マグダ」

「無理しなけりゃ、生き残れない稼業だ。今さら言うことじゃないだろ」

マグダは、そう言い残すと、残った部下たちを集め、手早く装備の確認を始めた。傭兵上がりの寄せ集めだったはずの残り火隊は、いつしか、この戦争の最前線を支える、かけがえのない戦力になっていた。オルコットは、その事実に、感謝と同時に、重い責任を感じずにはいられなかった。

地上では、再び激しい市街戦が展開された。連邦軍の侵攻部隊は、以前の非正規部隊とは異なり、正規軍の統制された戦術で進撃してきた。装甲車両を先頭に、歩兵部隊が組織立った隊列で市街地へと侵入していく。以前の小競り合いとは、規律の質そのものが違っていた。

砲兵部隊の支援射撃が、市街地の外縁を絶え間なく揺るがしていた。土煙と粉塵が街路を覆い、住宅の窓ガラスが次々と砕け散る音が響く。かつて何度も足を運んだ、静かな入植惑星の面影は、もはやどこにも見当たらなかった。マグダの部隊は、瓦礫と化した建物の陰を伝いながら、防衛旅団と連携して、装甲車両の進撃を食い止めようと奮闘していた。

かつて、この惑星の住民たちと言葉を交わした市場の跡地は、今や瓦礫の山と化していた。オルコットは、艦橋から送られてくる断片的な映像の中に、その変わり果てた光景を見て、胸を締め付けられる思いがした。戦争は、日常を、これほどまでに容易く踏みにじる。その事実を、彼はあらためて思い知らされていた。

映像の粒子が乱れるたびに、瓦礫の隙間から立ち上る煙の色までもが、彼の目に焼き付いた。かつて笑いながら果物を売っていた老婆の姿は、もうどこにも見当たらなかった。彼女が今どこにいるのか、生きているのかどうかさえ、オルコットには知る術がなかった。

「――第二防衛線、突破されました!」

ヴィータ大佐の声に、緊張が走る。

「第三防衛線まで後退!民間人の避難を、最優先に!」

その指示は、レティシア防衛旅団に、これまでにない重圧を強いていた。市街地の各所で、避難する住民たちの列と、後退する防衛部隊が入り混じり、混乱がさらに広がっていく。子供を抱えた母親、荷物を背負った老人たちが、砲声の合間を縫うようにして、避難経路へと殺到していた。

《薄明》の艦橋にも、地上からの断片的な映像が送られてきていた。オルコットは、その映像の中に映る住民たちの姿を見つめながら、拳を握りしめた。この惑星を守るために、自分たちは何度戦えばいいのか――その答えのない問いを抱えたまま、彼は次の指示を出し続けた。

激しい攻防の末、レティシアの防衛線は、辛うじて維持された。だが、失われた命の数は、これまでの比ではなかった。

「――被害報告、防衛旅団、戦死者200名以上。残り火隊も、多くの犠牲を払いました」

オルコットは、艦橋でその報告を受け取りながら、拳を握りしめた。200名という数字が、これまで彼が経験してきたどの戦闘の被害よりも、はるかに大きかった。

「――マグダの部隊は」

「マグダ隊長は、ご無事です。ただ、部下の何人かは……」

その先を、通信士は言い淀んだ。オルコットは、それだけで十分に理解した。マグダの部隊もまた、この激戦の中で、新たな犠牲を払っていた。ノクターンでの9名に続き、また名前が刻まれることになる。その事実の重さに、彼はしばし、言葉を失った。

「――これが、戦争というものか」

彼は、これまで幾度となく実感してきたはずのその重さを、開戦初日にして、これまでとは桁違いの規模で、突きつけられていた。窓の外、灰域の暗闇の向こうに、まだ煙を上げ続けているであろうレティシアの惑星を、彼は思い浮かべた。

かつて、あの惑星の路地裏で顔見知りになった住民たちの顔が、脳裏をよぎった。彼らは、今、無事だろうか。防衛旅団の戦死者200名という数字の裏側に、彼らの誰かが含まれているかもしれない。そう考えるだけで、オルコットの胸は、重く締め付けられた。

セシルが、静かに彼の隣に立った。彼女の手には、まだ温かさの残る携行食のカップが握られていたが、口をつけた形跡はなかった。

「――これが、始まりに過ぎないと思うと、恐ろしくなります」

「ああ。だが、恐ろしいと思う気持ちだけは、失いたくない。それを失った時、俺たちは、ヴィスと同じ場所に立つことになる」

セシルは、その言葉に、小さく頷いた。この戦争は、まだ始まったばかりだった。そして、これから先、こうした犠牲が、いったいどれほど積み重なっていくのか、彼にはまだ、想像することしかできなかった。

窓の外に広がる灰域の暗闇を見つめながら、二人は、しばらくの間、言葉を交わさなかった。互いの沈黙が、これから先に待ち受ける長い戦いの重さを、静かに分かち合っているようだった。

艦橋の一角では、負傷した乗組員の搬送作業が、まだ続いていた。誰もが疲労困憊の様子でありながら、それでも黙々と、次の任務への準備を進めていた。オルコットは、その姿に、この艦が積み重ねてきた覚悟の重さを、あらためて見て取った。二正面での戦いは、まだ、始まったばかりだった。

担架を運ぶ足音が、通路の奥へと遠ざかっていく。その音が完全に消えるまで、オルコットは、その場に立ち尽くしたまま、耳を澄ませ続けていた。

(第89話へ続く)