第001話 漂流物

 解雇の通告は、三分で終わった。
 テネブラエ港第四区画、外環サルベージ社の事務所。机を挟んで座る社長のバッツ・モローは、端末の画面をハルの方へ回しただけだった。画面には今期の回収単価の推移が折れ線で出ている。線は三年間、一度も上を向いていない。

「契約、今月で切らせてくれ。アマノ」
 モローは目を合わせて言った。そういう男だった。「軍縮でな、放出デブリの相場が崩れた。装甲材一トンで、二年前の四割だ。軍が在庫を一斉に市場へ吐いてる。中古の装甲材なんぞ、誰が手間をかけて宇宙から拾う」
「……数字は知ってる。毎月、精算書で見てる」
「なら話は早い。船を二隻減らす。人も減らす。切る順は古い順じゃない、単価の順だ。あんたは丁寧すぎる。回収物の出自を調べて、危険物指定を確認して、書類を完璧にする。昔はそれが社の信用だった。いまは、丁寧な仕事は赤字なんだ」
「雑にやれば残れたか」
「雑にやる奴から死ぬのがこの商売だ。残れたかもしれんが、勧めん」
 モローは太い指で画面を消した。
「退職金代わりに、今月分は満額で払う。最終業務がひとつ残ってる。第三宙域の回収リスト、十四件。消化してきてくれたら、それで終いだ」
「わかった」
「恨んでくれていい」
「恨む相手の欄に、あんたの名前を書く理由がない」
 ハルは立ち上がった。モローは何か言いかけて、やめて、ただ頷いた。七年前、不名誉除隊の経歴を見ても何も聞かずに雇ったのはこの男だった。その貸し借りの帳尻は、もうとっくに合っている。誰も悪くなかった。戦争が終わって七年、辺境の経済が静かに痩せ続けて、数字が合わなくなった。それだけのことだった。

 口座の残高は、今月分の振込を足して二十三万クレジットになった。
 庶民の月収一か月分。三十一歳の男の全財産としては、笑えない額だが、泣くほどでもない。家賃を月二万八千の寝台区画に落とせば八か月。糧食を配給規格に落とせば、もう二か月延びる。ハルはそういう計算を頼まれなくてもやる。兵站の人間の癖だ。除隊して七年経っても、軍は体の中から出て行かない。
 事務所を出て、係留区へ向かう。中央通路は、いつも通り混んでいた。傭兵ギルドの支部前で誰かが報酬の配分で揉めている。揉め声の中身は聞かなくても分かる。死んだ仲間の取り分を、生きている人間がどう分けるかだ。この港で一番ありふれた口論で、一番終わらない口論だった。両替屋の電光板が中央星系の株価を流している。中央は好景気だという。その景気はゲートを十いくつ越えるあいだに薄まって、この港に届く頃には、両替屋の手数料の値上げだけになる。
 難民区画の入口には日雇いの列ができていた。港湾の荷役、日給四千クレジット。列は通路の角を曲がってもまだ続いていて、並んでいる顔の半分は、まだ軍服の着方が抜けていない姿勢で立っていた。背筋を伸ばし、等間隔で、私語をしない列。世界で一番うまく列に並ぶ訓練を受けた男たちが、その技能の最後の使い道として、そこに立っていた。
 通路の中央、港でいちばん天井の高い区画に、壁がある。
 戦時中、ここが前線基地だった頃の戦没者の名を刻んだ壁だ。名前は小さな文字で、床から手の届かない高さまで詰まっている。連合の名前だけだ。同盟側の死者の壁は、どこにもない。壁の前を通る者は誰も足を止めない。足を止めていたら、この港では生活ができない。
 ハルも止めなかった。止めない代わりに、歩く速度も変えなかった。

 社の作業艇は係留区の隅にいた。全長十八メートル、推進剤臭い、十二年物の艇だ。乗り込むと、整備員のオルガが燃料ホースを外しながら声をかけてきた。
「聞いたよ。あんたもか」
「俺もだ」
「あたしは来月までらしい。……最後の回収、第三宙域だろ。外縁の勧告区域に寄るなよ。先週、第五星系の方でまた出たって」
「記事で読んだ」
「読んだ、じゃないよ。死ぬんだよ、本当に」
 オルガはホースを巻き取り、それ以上は言わなかった。ハルは点検表を上から順に潰し、出港申請を出した。管制の許可を待つ間に、端末でニュースを開いた。
 外縁回廊の地域報道。三番目の見出しを、指が勝手に選ぶ。
 ——第五星系航路際、貨物船が無人艦の攻撃を受け航行不能。乗員十一名死亡。攻撃艦は大戦期の自律艦と推定、現在も同宙域を遊弋中。保安機構は航路変更を勧告。
 還らず艦、という言葉を、記事は使っていなかった。中央の通信社の配信記事は、いつもその言葉を避ける。事故、残存兵器、戦争の名残。呼び方を薄めても、死者の数は薄まらない。終戦から七年、公式記録だけで四千人を超えた数字は、薄まらない。
 ハルは記事を最後まで読んだ。死者の氏名は公表分のみ、七名。残り四名は身元照会中。船は家族経営の中古貨物船で、十一名のうち三名が同姓だった。
 それから、誰とも同期していない私的な領域に置いた一つのファイルを開いた。
 数列だけのファイルだ。日付と、場所と、数字。一番下の行に、今日の日付と「11」を書き足した。ファイルの先頭の行は七年前の日付で始まっている。数字を全部足すと、いまの公式記録に少し先行する。公式より先に数えているのではない。公式が数え終わるのを、待っていられないだけだ。
 なぜそんなものをつけているのか、誰にも話したことはない。話す相手も、話す理由も、彼の側にはなかった。書いて何かが変わるわけでもない。帳簿というのは、変えるためにつけるものではない。忘れないためですらない。ただ、数えられずに流れていくものを、どこか一か所で誰かが数えていなければならない——そう決めている人間が一人いる、というだけのことだ。
 管制の許可が下りた。ハルはファイルを閉じ、艇を出した。

「作業艇ロクマル・ナナ、テネブラエ管制。出港経路を確認、第三宙域方面、回廊外縁標識まで直行とする」
「ロクマル・ナナ了解。直行する」
「外縁標識から先は勧告区域だ。単独作業か」
「単独だ」
「……ご安全に」
 管制官の声が、最後だけ事務の外に出た。勧告区域、という言い方をこの港の人間がするとき、それは還らず艦の遊弋情報がある宙域という意味だ。ハルは復唱だけ返した。

 第三宙域のデブリ帯まで、巡航で六時間。
 窓の外を、戦争が流れていく。
 外縁回廊は大戦の主戦場のひとつだった。終戦から七年、ここには艦の骨がまだ漂っている。竜骨だけになった巡洋艦。三つに折れた輸送艦。展開したまま凍りついた回収不能の救命艇。誰のものだったかもう分からない装甲板の群れが、互いの重力で緩い渦を巻いている。サルベージ屋はこれを鉱脈と呼び、遺族は墓地と呼び、保安機構は航行障害物と呼ぶ。全部正しい。三つの呼び名が一つの場所を指して、誰も言い争わないのが、戦後というものだった。
 ハルは回収リストを呼び出した。最終業務。登録番号付きの回収対象が十四件。装甲材、推進部の残骸、放出コンテナ。単価の欄を見ると、モローの言った通りだった。一日かけて全部拾って、手数料を引けば、艇の燃料代と彼の日当でほとんど消える。丁寧な仕事は赤字。その赤字を、彼は今日で最後に引き受ける。
 作業は淡々と進んだ。アームでデブリを掴み、回転を殺し、汚染計を当て、ネットに収める。四件目の装甲板の裏に、焼けた文字が残っていた。手書きの整備メモだ。次回交換、第三バルブ、担当——名前は焼けて読めなかった。読めても読まない。読んでいたら、この仕事は七年続かなかった。
 七件目は放出コンテナで、中身は空だった。空のコンテナが一番気が重い。中身がどこへ行ったのかを、考えない訓練が要るからだ。
 八件目の推進部の残骸には、回収業者の先客の切断痕があった。価値のある触媒部だけ抜いて、残りを放置していく手口。リストに登録された回収物に手を付けるのは違法だが、通報したところで保安機構は動かない。動く予算がない。ハルは切断痕の写真を撮り、報告書の様式に沿って記録した。誰も読まない報告書だと知っていて、それでも様式通りに書いた。様式通りに書かれたものだけが、いつか誰かが読む気になったときに、そこに残っている。
 九件目を収容したところで、休憩を入れた。糧食のバーを齧りながら、操縦席の窓の外を見る。岩と残骸の影が、ゆっくりと回っている。七年前、この宙域のどこかでも艦隊戦があった。彼は通信卓の前でその戦闘の通信を中継していた。どの周波数で誰が何を叫んだか、断片はまだ耳に残っている。耳に残った声の持ち主たちが、いまこの窓の外の、どの破片なのかは分からない。
 終わった、と港の誰もが言う。終わった顔をしている者を、ハルはこの七年で一人も見ていない。
 十一件目と十二件目は連続した座標で、折り重なった装甲材の束だった。アームで解しながら、彼は明日からのことを順番に考えた。寝台区画の契約更新は月末。ギルドの下働きは日給八千、港湾の日雇いは四千。履歴書の特技の欄に書けるのは、兵站計算、軍用通信プロトコル、書類事務、応急整備。戦争があれば金になる技能で、戦争がないと値段のつかない技能だった。戦争は終わった。技能だけが、行き場をなくして残った。男一人がそっくり、回収予定リストに載らない漂流物だった。
 考えはそこで打ち切った。自分を憐れむのは、燃料の無駄だ。

 十三件目の座標へ艇を回したとき、測距レーダーの隅で何かが鳴った。
 リスト照合の自動応答だ。回収予定リストにない質量反応。デブリ帯ではよくある。崩れた残骸が新しく流れ込むからだ。ハルは反射的に規模の欄を見て、糧食のバーを置いた。
 反応質量、推定一万八千トン超。全長、二百八十メートル。
 桁が違った。装甲板でも、折れた竜骨でもない。彼は手動でセンサーを向け直し、三回計り直した。数字は動かなかった。岩塊の陰、リストのどの番号にも載っていない場所に、まとまった——あまりにもまとまった——質量が一つ、漂っている。
 二百八十メートル。巡洋艦の全長だ。
 リストにない二百八十メートル級の質量。つまり、艦が、丸ごと一隻ある。