第011話 仕事の値段
「単艦で?」というミミナの問いに、ハルは「ああ」とだけ答えて支部を出た。
それ以上の説明は、するだけ嘘が増える。乗員はおれ一人だ、という言葉は事実だが正確ではない。正確に言えば乗員は一人と、一隻ぶんの禁制品だ。
外周第七係留区へ戻る通路は長い。テネブラエ港の外周区画は与圧チューブが剥き出しで、継ぎ目ごとに温度が変わる。戦時中に増設された区画は、戦時中の規格で造られている。長持ちさせる気のない規格だ。それが七年保っている。保たせている、と言うべきかもしれなかった。この港のあらゆるものがそうであるように。
ブリッジに入ると、照明が彼の歩幅に合わせて点いた。
「お帰りなさいませ、艦長」
「仕事を取った」
「依頼票の写しは入港回線で取得済みです。標的、大戦期同盟製小型護衛艦。賞金四百八十万クレジット」
「早いな」
「艦長の口座残高も把握しています。十三万クレジット。選択肢の数を考慮すれば、予測は容易でした」
恩着せがましさも、皮肉の調子もない。計算結果を読み上げる声だった。ツクモの声はいつもそうだ。だからこそ、時々こちらの腹の底が冷える。
「精査するぞ。出せるものを全部出せ」
「展開します」
主表示に資料が並んだ。依頼票、保安機構の遭難記録、ギルドの交戦報告、それから——ハルの知らない様式の文書が一枚。
「これは」
「同盟海軍の艦級台帳です。標的の艦級、建造所、就役年次、推定される機関構成と兵装。本艦の参照記録から該当箇所を抽出しました」
「敵国の艦級台帳が、なぜこの艦に積んである」
「機密事項です」
また、それか。ハルは追及を打ち切った。打ち切って、台帳を読んだ。読みながら、追及を打ち切った自分の慣れの早さを、頭の隅で測っていた。慣れというのは多分、こうやって一枚ずつ薄く積もっていくものだ。雪と同じで、積もってしまえば下の地面の形は見えなくなる。
標的の経歴は、依頼票の数行よりずっと長かった。
同盟製小型護衛艦。全長九十六メートル。乗員定数十八名——ただし大戦末期の同型艦は省人化改修を受け、無人運用が標準だった。第三星系の航路際で七年間、同一宙域を哨戒し続けている。立ち入った船を撃つ。過去の犠牲は採掘船、貨物船、旅客艇。死者の合計、十六名。
挑んだ傭兵は二組。一組は損傷して撤退した。報告書の文面は短い。「火器管制の精度、現役軍艦と同等。回避運動の予測が困難」。もう一組の報告書は、もっと短い。交信途絶の時刻と、推定座標と、三名の氏名。回収、未了。
四百八十万という賞金額を、ハルは頭の中でもう一度置き直した。墓石の値段。三人埋まっている石の値段だ。
「過去の交戦記録から、標的の行動様式を再構成しました」
ツクモが表示を切り替えた。第三星系航路際の宙域図に、細い線が幾重にも巻きついていく。哨戒航跡の重ね描きだった。七年分。
「哨戒周期は三十一時間十六分。誤差、最大で九秒」
「九秒」
「七年間でです、艦長」
ハルは線の渦を見た。七年。二千回を超える周回。九秒。
人間の歩哨なら、とうに狂っている数字だ。いや——と彼は思い直した。狂っていないからこの数字なのか、この数字こそが狂っているのか、それを決める物差しを、自分はまだ持っていない。
「接近経路の候補は三つあります。推奨は航路灯標群の影を使う経路です。ただし」
「ただし?」
「本艦のステルス系冷却機の劣化が進行しています。高負荷連続運用の保証時間を、現状の予測で四割、下方修正します」
「……はっきり言え。隠れていられる時間は」
「条件次第ですが、設計値より大幅に短くなります。正確な数値は当日の機関温度に依存します」
ハルは天井を仰いだ。撃ち合えば最弱の艦が、頼みの綱の「隠れる」まで目減りしている。整備士のいない艦とはそういうものだ。人間の身体と同じで、診る者がいなければ、悪い知らせは一番悪い日に届く。
「整備に出せれば話は早いんだがな」
「入渠整備の最低見積もりは三百万クレジットです。また、本艦の機関区を検分した整備士は、本艦の素性に関する推論を行う可能性が高い」
「分かってる。言ってみただけだ」
「『言ってみただけ』の発言を、本艦は今回を含め四回記録しています」
「……記録するな、そういうのは」
「全て記録しています」
その声に得意げな調子はなかった。仕様です、と言われた方がまだ人間くさい。ハルは反論を呑み込み、整備記録の画面を閉じた。
出港前の二十時間を、ハルは点検に使った。
中枢杭、残弾三。発射機構の駆動部に、彼の手の届く範囲で注油と増し締め。囮歌の送信系、自己診断は正常——ただし診断系そのものが八年前の基準だ。艦内の備蓄は水と圧縮糧食が四十日分、医療品は期限切れが半分。期限切れの鎮痛剤を捨てるかどうか三秒迷い、棚に戻した。捨てられる身分ではない。
糧食の在庫を数えていたとき、ふと手が止まった。
四十日分。乗員一名で、四十日。
この艦の乗員定数は何名なのか、彼は調べていないことに気づいた。調べようと思えば目録の一行目にある。調べなかったのは、たぶん、知りたくなかったからだ。誰のために設えられた寝台が何床あるのか。誰も使わなかったのか、使った誰かがいたのか。
彼は目録を開かず、点検を続けた。
出港の前に、ハルは一度だけ港へ降りた。
保険組合の窓口で、艦体保険の見積もりを取るためだった。無保険の艦は港湾規則で六十日しか置けない。六十日の砂時計は、もう十日ぶん落ちている。
窓口の査定員は艦の諸元を端末に打ち込み、途中で二度、入力し直した。
「二百八十メートル級……軍艦構造……サルベージ取得の中古、整備記録なし、と。用途は?」
「傭兵業。還らず艦の賞金案件を含む」
査定員の指が止まり、画面を九十度回してこちらへ向けた。
月極三十万。戦闘損耗は特約扱いで別途月十八万。免責事項の一覧は、画面を三回繰っても終わらなかった。還らず艦との交戦に起因する損害、の行には「査定の上、原則不払い」とあった。
「……入る意味があるのか、これは」
「うちの商品で言えることは一つです。皆さん、沈む前の月まで払って、沈む月の分だけ払い忘れるんですよ」
査定員は商売の声で笑った。ハルは笑わず、見積もりの控えだけ受け取って窓口を離れた。月四十八万の保険料は、いまの彼には杭の五分の一本ぶんの命綱だ。命綱というのは、買える者のための言葉だった。
砂時計の残り、五十日。彼はそれを帳簿の隅に書き、出港準備に戻った。
「燃料および反応材、現在量で標的宙域までの往復は可能です。ただし帰路の予備マージンは規定の半分を下回ります」
「補給する金がない。半分で行く」
「承知しました。なお、艦長の生命保険は未加入です」
「……それが何か関係あるのか」
「死亡時、本艦は再び艦長不在となります。リスク評価上の重要項目です」
ハルは操舵席——誰も座らない操舵席——の背もたれに手を置いたまま、しばらく黙った。心配されているのか、在庫を確認されているのか、判別がつかなかった。たぶん後者だ。後者だと思っておく方が、いろいろと楽だった。
「死なない算段をする方が安い。出港準備」
「出港シーケンス、開始します」
出港の十分前、ギルドの回線から通信が入った。ミミナだった。
「受注艦の出港前確認。規定だから付き合いなさい。標的、依頼番号、帰投予定——はい、復唱完了。それと、あんたの登録票、不備が一つある」
「不備?」
「死亡時連絡先が空欄。家族でも、債権者でも、墓の管理人でも、何か書くの。空欄だと、線を引いた後の事務が宙に浮く」
ハルは数秒考えた。考えて、空欄の中身が本当に空欄であることを、あらためて確認しただけだった。両親は戦中に故郷の星系ごと疎開し、便りは除隊の年に途絶えた。戦友はいない。債権者は、いまのところ港湾公社だけだ。
「空欄のままでいい」
「……規定では受理できない」
「なら、ギルドの遺失物係とでも書いてくれ」
回線の向こうで、短い沈黙があった。
「書いとく。遺失物係、担当ミミナって」
通信は事務的に切れた。事務的に、というのがあの窓口の礼儀の様式であることを、ハルはまだ知らない。
係留索が外れる音は、艦体を伝って骨に届く。
管制とのやり取りはハルが定型句で済ませた。サルベージ艦、試験航行を兼ねた受注業務、復路予定は七日以内。一言も嘘はない。真実の並べ方だけが彼の職人芸だ。
港の灯が後方に流れ、戦没者の壁のある中央埠頭が視界の隅を過ぎた。あの壁の名前の列に、先行した傭兵三名の名はない。あれは軍人の壁だ。傭兵の名は、ギルドの帳面に線を引かれて終わる。
加速に入ると、ツクモが言った。
「標的までの航程、五十一時間。到着予定は依頼受注から七十二時間以内。標準的な仕事の速度です」
「仕事の速度、か」
ハルは復唱して、自分の端末の帳簿を開いた。
手取り四百八万。杭一本で二百五十万。燃料と反応材の補充に五十万強。係留費の滞納が積み上がる。残るのは百万少々——命の値段を別にすれば、月の固定費がひと月ぶん、ようやく払える。
それがこの仕事の値段だった。
数字の下に、数字にならない理由が一つ、沈んでいる。彼はそれを見ないことにして、端末を閉じ、仮眠に入った。軍隊で覚えた、いつでもどこでも眠れる技術だけは、七年経っても錆びていなかった。
二日後、標的宙域の縁。
光学センサーが、それを捉えた。
航路灯標の明滅のはるか向こう、暗い空域を、一隻の艦が飛んでいた。ただ飛んでいるのではなかった。律儀に、隊形を組んで飛んでいた。