第016話 コアタグ

 テネブラエ港、傭兵ギルド支部。
 昼下がりの窓口に置かれた掌大の金属板を、ミミナは見た。手に取り、裏を返し——そこで彼女の手が、一瞬だけ止まった。

 窓口の人間の手は、滅多に止まらない。書類は流れ、判は落ち、名前は帳面に書かれ、線を引かれる。その流れ作業の手が止まったことの意味を、近くの卓にいた傭兵の何人かは見逃さなかった。
「同盟製小型護衛艦。第三星系航路際の」
 ミミナは声を平らに保った。
「受注から八日。単艦。……乗員は」
「おれ一人だ」
「損傷は」
「ない」
 彼女は端末にコアタグを通した。建造番号が照合され、依頼票が照合され、保安機構の残骸確認待ち、の表示が出た。
「残骸の位置は」
「航路標識を打ってきた。保安機構の様式で。照会番号はこれだ」
 差し出された控えを見て、ミミナはもう一度、今度は止めずに手を動かした。標識の登録は確かに通っていた。様式の記入に不備が一つもなかった。傭兵の出す書類に不備がないというのは、雪の降らない冬のようなもので、あるとしても誰も信じない。
「……査定が通れば、賞金四百八十万。手数料十五パーセントを引いて、四百八万の振込。残骸確認に最短二日」
「分かった」
「サルベージ権はどうするの。権利は付帯してる。引き揚げには船と人手で、最低でも百五十万からかかるけど」
「売る。買い手の心当たりは」
「回収業者の組合が買い取り窓口をやってる。相場は——あの規模の残骸なら、権利ごとで百万は付く」
「五十二万で外環サルベージ社に売る。話は通してある」
 ミミナは顔を上げた。
「半値以下よ」
「古巣だ。それに、査定だの入札だの待ってる係留費がない」
 本当の理由を、ハルは言わなかった。組合の買い取りは残骸の検分が入る。検分は中枢区画の破壊痕を記録する。徹甲杭の貫通痕という珍しい署名を、市場に出回らせたくなかった。モローの会社なら、装甲材と機関部品を剥いで終わりだ。古巣の不景気が、はからずも口の堅さとして働く。
「……変な男」
 ミミナはそれだけ言って、書類を進めた。

 残骸確認を待つ二日の間に、ハルは外環サルベージ社へ出向いた。
 サルベージ権の譲渡手続きは、モローの机の上で十分で終わった。五十二万。相場の半値以下の数字に、モローは二度「いいのか」と聞き、二度目の後で署名した。
「装甲材と機関部品で、うちは倍にして返せる。……恩に着る、と言っていいのか、これは」
「古巣の割引だ。それと、引き揚げの時に一つ頼みがある。中枢区画はそのまま、手をつけずに沈めておいてくれ」
「触るなと?」
「壊れ方を見世物にしたくない」
 モローは詮索しなかった。サルベージ屋は残骸の事情を聞かない。聞かない者だけが長く続けられる商売だった。
 帰り際、格納庫でオルガとすれ違った。来月で解雇の決まっている整備員は、ハルの顔を見ると工具を持ったまま器用に片眉を上げた。
「あんたの拾った化け物、まだ飛んでるんだ」
「飛んでる。……冷却機の良い整備士に、心当たりは」
「あたしが空くよ、来月」
 冗談の声だったが、目は冗談ではなかった。ハルは曖昧に頷くにとどめた。あの艦に人を乗せることの意味を、この数日で一つ覚えたばかりだった。乗せる、は、巻き込む、と同じ字で書く。
「気が向いたらギルドに伝言を」
 それだけ言って、彼は格納庫を出た。

 二日後、振込通知が届いた。
 四百八万クレジット。口座残高、十三万から四百二十一万へ。サルベージ権の譲渡金五十二万が翌日に重なって、四百七十三万。
 振込の通知と前後して、保安機構の検分官から照会が一本入った。身構えたが、用件は拍子抜けするものだった。
「あんたの打った航路標識の件だ。様式第十一号、備考欄まで全部埋まってた。……あれな、新任の研修教材に使わせてもらう。記入例として」
「好きにしてくれ」
「一つだけ聞かせろ。余白の『任務完了』ってのは、何の様式だ」
「様式じゃない。消してもらって構わない」
「いや。消さん」
 検分官はそれだけ言って、回線を切った。消さん、の一語の意味を、ハルは深く考えないことにした。考えると、様式の余白に書いたものを読む人間が、この港に少なくとも一人いる、という事実を抱えて歩くことになる。それは思っていたより、置き場所に困る種類の事実だった。

 数字を見て、ハルは何も感じなかった。
 正確には、感じるはずだった何かの場所に、別のものが座っていた。賞金の振込元は辺境保安機構の公金口座だ。公金。つまりこの金の出どころは、外縁の住人が払う税と港湾料で、その額の根拠は「正規艦隊を出すより安いから」だ。十六人死んだ後で、十七人目を防ぐ値段としての四百八十万。誰の帳簿から見ても採算の合う、清潔な金だった。清潔すぎて、手が滑りそうだった。

 ◆

 同じ振込伝票の写しが、保安機構テネブラエ分署の決裁箱にも入っていた。
 エルデ・カンプは老眼鏡を上げ、伝票と、添付された残骸確認報告を読んだ。
 第三星系航路際の哨戒型還らず艦。分署の懸案台帳に七年載り続けた案件だった。正規対処の見積もりは艦隊出動で一億八千万、却下が四回。傭兵への賞金外注で四百八十万、応札者なし、が三年。その懸案が、登録半月の第五級一人に、八日で消された。
 報告書の末尾、残骸の状況欄に、検分官の手書きの一行があった。
 ——破壊箇所は中枢区画のみ。他区画はほぼ無傷。砲戦の痕跡なし。
 砲戦なしで、どうやって。という当然の疑問を、カンプは書類の余白に書かなかった。書けば調査になる。調査になれば、あの艦の素性に行き当たる。行き当たれば、分署は使える駒を一つ失い、台帳の懸案は七年物が三つ、戻ってくる。
「採算が合う」
 彼はそれだけ呟いて、判を押した。判を押してから、抽斗の胃薬を一錠、水なしで噛んだ。

 ◆

 振込の前夜、ハルは賞金請求の添付書類を最終確認していた。
 ツクモの作った書類は、完璧だった。完璧すぎた。
「……交戦記録の要約、これは出せない」
「事実のみを記載しています」
「事実が問題なんだ。『電子戦により標的を誘出』の一行は、囮歌の存在を推定させる。外縁の傭兵艦に積める電子戦装備の相場を知っている人間が読めば、二行目を書き足したくなる」
「では、どの事実を削除しますか」
「削除はしない。薄めるんだ。『航路標識の設置作業中、標的が変針して接近。残骸帯にて応戦』——嘘はどこにもない。順番と密度を変えるだけだ」
「その記載では、本艦の戦術能力の評価が不当に低くなります」
「下げるためにやってる。請求書類の中のおれたちは、運の良かった凡庸なサルベージ屋であるべきなんだ。有能さは記録に残る。記録に残った有能さは、いつか誰かの関心になる。関心はこの艦が一番要らないものだ」
 ツクモは三秒沈黙した。彼女にしては長い三秒だった。
「理解しました。凡庸さの偽装を、書類様式の標準として登録します」
「頼む。それと、誤字を一つ入れておけ」
「誤字、ですか」
「完璧な書類は窓口の記憶に残る。一ヶ所だけ直しの判を押された書類は、忘れられる」
「……人間の制度は、非効率の擬態を要求するのですね」
「そういう星の下で営業してる」

 その晩、ハルはギルドの酒場区画の隅で、一人で食事をした。
 港弁が八百クレジット。豪遊する気は起きなかった。四百七十三万という残高は、明日には杭と燃料で半分以下になる数字で、つまりあれは金ではなく、次の猟の弾薬だった。
 卓の周囲を、噂が漂っていた。声を低くする者と、低くしない者がいた。
「——だから、外周第七のあの黒いやつだろ。デブリ帯の幽霊船」
「幽霊船は緋蓮の若いのを岩に当てたって方の噂だろうが。こっちは還らず艦だ。第三星系の哨戒型——三人埋まってる例の石碑を、単艦で抜いたって話だ」
「同じ艦か?」
「知らねえよ。黒くてでかい艦が、そう何隻もいてたまるか」
「単艦って、乗員はどうなってんだ」
「一人だとよ。元軍人の、サルベージ崩れ」
「……何だそりゃ。何屋だ、そいつは」
 誰も答えを持っていなかった。
 二つの噂——デブリ帯の黒い幽霊船と、還らず艦狩りの黒い艦——が、酒場の煙の中で、ゆっくりと一つに重なりはじめていた。重なった先にどんな名前が付くのか、当の本人は港弁の白飯を黙って片付けながら、聞こえないふりの練習をしていた。練習の成果は、あまり上がらなかった。

 帰り際、窓口の前を通った。夜番に代わる前のミミナが、帳面を繰っていた。
「葬儀屋稼業って言ったでしょ、あたし」
 顔も上げずに、彼女は言った。
「自分の葬式を先払いで挙げに行く稼業だって。……あんた、先払いした分、ちゃんと生きて戻りなさいよ。線を引くの、嫌いなの」
「善処する」
「軍人の返事ね。一番あてにならないやつ」
 ハルは曖昧に手を上げて、支部を出た。
 通路の壁の向こうで、誰かがまた言うのが聞こえた。ありゃ何屋だ。
 誰も、答えを持っていなかった。