第024話 二隻目の見積もり
哨戒契約九日目。臨検済みの船が四十隻を超えた朝、ギルド経由の賞金案件が、ようやく端末に着信した。
ハルは依頼票を最初の行から最後の行まで読んだ。賞金額は三番目に読んだ。先に読むのは、いつも被害記録の欄だ。
標的、還らず艦。旧同盟軍小型哨戒艦、識別符号DP-09。全長九十六メートル。所在は第三星系外縁、第七採掘航路の北側宙域。七年前に放棄された防衛線を今も維持し、線を越えた船舶を「敵性」と判定して攻撃する。直近一年の被害、採掘船三隻、死者四名。死者の内訳——採掘員三名、操船士一名。最年少は二十二歳。賞金四百二十万cr、残骸サルベージ権付帯。撃破証明はコアタグ。
推奨等級は第四級以上。本来なら第五級には回らない案件だが、票の隅に保安機構の優先処理印が付いていた。検問宙域に隣接する治安事案、現に検問業務に就いている艦への優先割当。カンプの机を通った書類だということは、印の位置でわかった。
ミミナに受託の通信を入れると、彼女は手続きの確認を済ませてから、規則にない一言を足した。
「前にこの標的に挑んだ傭兵は、いない。みんな避けてきた案件よ。哨戒艦は『見つける』のが商売だから、忍び寄る型の傭兵艦とは相性が最悪なの」
「知っている。艦級表は読んだ」
「そう。……死亡保険の受取人欄、空欄のままよ。規則だから言うけど、埋めておいて」
「空欄のままでいい。規則上可能なら」
「可能よ。空欄の保険金は、ギルドの遺族基金に入る」
「なら、そのままで」
ミミナは二秒黙り、「処理しておく」とだけ言って通信を切った。
ブリーフィングは、操舵室にヴェインを呼び、天井に声をかけるだけで始まった。
「彼我の条件を整理します」とツクモが言った。メイン画面に防衛線の図が展開する。七年前の戦線図に、現在の採掘航路が重なった。
第三星系外縁防衛線。大戦末期、後退を続ける同盟軍が星系の資源帯を守るために敷いた、最後から二番目の線だ。終戦の三週間前に放棄が決まり、艦は退き、機雷は除去され、線は地図から消えた——一隻を残して。戦後、資源需要の回復とともに採掘航路は防衛線の跡を横切る形で引き直された。消えた線の上に、消えていない歩哨が一人立っていることを、最初の犠牲者が出るまで誰も知らなかった。
「DP-09は哨戒特化艦です。索敵半径は同規模艦の三倍、約四十万キロ。武装は質量砲二門と近接迎撃系のみ。火力では本艦が圧倒します。正面から撃ち合えば、勝率は九割七分」
「撃ち合うのか」
「撃ち合いません。残る三分で本艦が受ける損傷の修理費期待値は、約六百万crです。賞金が消えて赤字になります」
撃ち合えば勝てる。勝っても負ける。それがこの仕事の見積もりだった。正面から接近すれば、索敵半径の差で必ず先に発見される。発見されれば標的は防衛線の内側へ下がり、迎撃姿勢で待つ。哨戒艦を哨戒艦の土俵で追い回せば、燃料代だけで利益が溶ける。
「ステルス接近は」とハルは訊いた。
「推奨しません。ステルス系冷却機の劣化は未補修です。連続秘匿時間は現在十一分まで低下しています。DP-09の索敵密度に対し、十一分では接近距離が不足します」
「前の猟と同じ穴か」
「同じ穴です。塞ぐ資金が、まだありません」
艦の老朽は、戦術の選択肢を一枚ずつ削っていく。整備士のいない艦は、薄くなっていく氷の上で猟を続けている。ハルはその問題を頭の隅に置いた。置く場所が、隅しかなかった。
「……DP-09」
ヴェインが、低く言った。航路図を見る目が、図の向こうの何かを見ていた。
「知ってる船か」
「……同型を、知ってる。D級哨戒艦。船団護衛の外周は、いつもあの級だった」
彼は一度言葉を切り、それから、続けるかどうかを量るような間を置いた。
「同型の護衛に、部下を乗せてた。船団勤務に転属させた。……駆逐艦より安全だと思ったからだ」
「D級の乗り心地は」
「……悪い。狭くて、うるさくて、飯がまずい」ヴェインは画面から目を離さなかった。「だが、よく見える船だ。あの索敵卓は、外縁で一番遠くまで見えた。見張りに立つために生まれた船だ」
その部下がどうなったのかを、ヴェインは言わなかった。ハルも訊かなかった。七年前の外縁回廊で「安全」という言葉がどれだけの値打ちだったかは、二人とも知っている。
同盟の艦を、同盟の敗残兵が、連合の艦を転がして撃ちに行く。この仕事がずっと孕んでいた構図が、初めてヴェイン自身の口から輪郭を持った。彼は航路図に目を戻し、それきり黙った。舵を降りるとは、言わなかった。
「攻略案を提示します」とツクモが言った。「鍵は、標的の七年分の哨戒記録です」
保安機構と採掘組合の観測データを統合すると、DP-09の哨戒パターンは精密機械のように規則的だった。防衛線に沿った周回、二十六時間で一周。問題はその周回の中に、九十一時間ごとに一度だけ現れる例外だった。
「九十一時間周期で、索敵出力が百二十七秒間、四割低下します。全センサーの自己診断と再較正です。大戦中の同盟軍哨戒規程——『歩哨交代』に相当する手順が、交代要員のいないまま実行され続けています」
「交代する相手は、もういないのにか」
「いないことを、認識する手段がありません。規程は実行されるために存在します」ツクモは平坦に言った。「百二十七秒。本艦が無動力慣性航行でデブリに偽装した場合、この窓一回で約四万キロ前進できます。三回の窓を乗り継いで、防衛線の内側に到達します」
防衛線の内側——哨戒艦が決して疑わない、守っているはずの側。一隻目の護衛艦と同じだ、とハルは思った。この艦の戦術は、いつも標的の忠実さを足場にする。七年間さぼらずに線を守り続けたことが、そのままDP-09の墓穴の寸法になる。
「所要時間、潜入に約十一日。攻撃位置への進入後、囮歌で旧同盟の味方識別信号を再生します。標的の敵性判定を〇・八秒遅延させられます。〇・八秒は、杭の飛翔時間を上回ります」
「杭は一本で足りるか」
「一本で仕留めます。二本目を撃つ状況は、計画の失敗を意味します。なお在庫は三本。一本あたり二百五十万crです」
「覚えている。忘れた月がない」
経費の見積もりが画面の隅に並んだ。中枢杭一本、二百五十万cr。燃料・反応材消費、往復で約四十万cr。賞金四百二十万からギルド手数料一五%——六十三万crを引いて、手取り三百五十七万cr。サルベージ権の売値次第で、ようやく月の維持費の二月分。それが、四人を殺した艦一隻の値段だった。採掘組合はこの一年、当該宙域の操業停止で月に数千万crを失い続けている。四百二十万crの賞金は、彼らの帳簿では「安い」のだ。掃討は正義ではなく、誰かの帳簿の赤字で起案される。
ハルは依頼票の被害記録をもう一度開いた。最年少、二十二歳。終戦の年に十五だった子供だ。戦争を戦わずに済んだ世代が、終わった戦争の防衛線に撃たれて死んでいる。
感傷の置き場はない、と彼は自分に言った。DP-09は人を殺し続けている機械であり、放置すれば来年も再来年も殺す。撃つ判断は正しい。正しさの確認は毎回必要で、毎回、確認してもなお手触りが良くなることはなかった。
「出港準備を。検問位置の代理哨戒は」
「巡視艇に引き継ぎ済みです。保安機構は本件を治安事案として優先承認しました。四名の死者より、採掘航路の保険料率の方が効いたようですが」
「……理由は問わない。承認は承認だ」
出港前夜、ハルは装備点検簿に署名した。杭三本、うち一本を発射筐へ。応急修理材、医療キット——人間用の医療要員は、この艦にいない。点検簿のその欄だけが、署名のしようもなく空白だった。
ヴェインが無言で出港シーケンスを始めた。係留索が外れ、《送り火》は外周第七係留区を離れ、第七採掘航路の闇へ艦首を向けた。
加速に入る直前、ツクモの声がブリッジに低く響いた。
「杭、装填します」
発射筐の駆動音が、二百五十万crぶんの重さで艦体を伝わってきた。