第035話 声の残る宙域
ブリーフィングの主表示に、第二星系外縁の旧船団残骸帯が広がっていた。
七年前の大戦末期、ここで輸送船団二十六隻が全滅した。護衛は間に合わず、救援も間に合わず、二日かけて一隻ずつ沈んだ。残骸は今も船団の隊形の名残りを留めたまま、二十六の墓標になって漂っている。
「標的、KC-118」とツクモが言った。「旧連合軍通信中継艦。全長百四十メートル。大戦末期に近接防御と対艦誘導弾を後付けした武装改修型です。この宙域に七年間留まり──船団の最終通信を、中継し続けています」
「中継。……今もか」
「今もです。観測記録を再生します」
スピーカーから、それが流れた。
ノイズの膜の向こうで、男の声が言った。機関区浸水、総員退去する、座標を送る、誰か──。声は途切れ、別の声が重なった。こちら十七番船、隣の船が、隣の船が──。女の声が子供の名を呼び、若い声が定型句の途中で泣き、老いた声が最後まで定型句を崩さなかった。
二十六隻分の、最後の声。
それが七年間、この宙域から発信され続けている。
「止めろ」
ナナオが言った。医務室の常備薬を点検していた老人の手が、止まっていた。
「……いや、すまん。続けてくれ。仕事じゃ」
ツクモは音声を切り、波形の表示だけに切り替えた。
「被害の構造を説明します。KC-118の中継信号は救難周波数に重なります。断片を受信した船舶が、生存者ありと判断して接近する。KC-118の敵味方識別は大戦時の損傷で固着しており、接近艦を『船団を攻撃した敵性艦』と判定して撃ちます。七年で六隻、十四名です」
死者の声が、撒き餌になっている。
善意で近づいた者から順に、七年前の戦闘の続きに巻き込まれて死ぬ。感傷の余地のない、機能してしまっている殺戮装置だった。撃つ判断に、今回も迷いの入る隙はない。
被害六隻の記録を、ハルは全件読んだ。最初の犠牲者のサルベージ船は、救難信号を確認した旨を母港に打電してから針路を変えている。人助けに行く、と言い残して死んだ三人だった。四隻目の独航艇は遭難者の親族が雇った捜索艇で、探していた相手の声──らしきもの──を、KC-118の反復送信の中に聞いたのかもしれなかった。記録はそこまで語らない。語らない部分を埋めるのは、読む側の仕事で、埋めるたびに読む側が削れた。
迷いの入る隙は、別の場所にあった。
「攻略の問題点を提示します」ツクモは戦術図を展開した。「第一。KC-118は電子戦の専門艦です。本艦の囮歌は、偽装信号の検波能力において標的に劣ります。歌えば、偽物と見抜かれます」
「初めて聞く弱音だな」
「弱音ではありません。性能比較です。中継艦の検波器は、囮歌の世代より新しい」
「第二は」
「残骸帯全域に、KC-118の中継ブイ網が展開されています。総数、推定四十基。配置は乱数ではなく、通信網理論の最適被覆です──網の目の最大の隙間が、本艦の艦幅の二・三倍しかありません。ステルス接近しても、ブイ網の通過時に必ず検知されます。本艦の秘匿時間の問題以前に、経路が存在しません」
「……ブイを一基ずつ潰すのは」とヴェインが言った。「網の目を、外から広げる」
「可能ですが、推奨しません。ブイの喪失をKC-118は網の損耗として検知し、即座に再配置します。四十基を上回る速度で潰すには、光条の連続射撃が必要です。射撃は発信源を晒します。また、所要時間と燃料が──」
「赤字か」
「赤字です。それ以前に、三基目を潰した時点で、標的は本艦の存在を確信します」
正面から入れば検波され、忍べば網にかかり、網を破れば気取られる。
撃ち合わない艦の二つの武器が、二つとも封じられていた。ブリッジに沈黙が降りた。ヴェインは腕を組み、ナナオは薬瓶を持ったまま動かず、ツクモの戦術図だけが解のない方程式を表示し続けた。
第三の道を、ハルだけが知っていた。
知っていることに、ブリーフィングの最初から気づいていた。気づいていて、口に出すのを最後まで遅らせていた。
「……KC-118が七年間、待ち続けている信号がある」
自分の声が、他人の声のように聞こえた。
「全艦帰還命令だ。あの艦は中継艦だ。終戦の夜、帰還命令の中継待機の配置についたまま、上流が沈黙した。以来ずっと、待機任務の中にいる。正規の軍用プロトコルで組まれた帰還命令が届けば、検波も何もない。あれは偽物を疑う前に、七年待った本物の書式をまず検証する」
「正規のプロトコルは軍機です」とツクモが言った。「書式、認証鍵列、中継経路証明。三点が揃わなければ、検証で弾かれます」
「揃えられる」
ハルは戦術図を見たまま言った。
「俺が書ける。書式も、認証手順も、まだ全部覚えている。──七年前、それを打つのが俺の仕事だった」
ブリッジの空気が変わった。
ヴェインが腕を解き、ハルを見た。操舵手は艦長の経歴を「元連合の通信屋」としか知らない。知らないなりに、いまの一言の重さの方は、正確に量ったようだった。
「……一つだけ確認する」と、ヴェインは言った。「帰還命令の書式を打てた通信屋ってのは、連合に何人いる」
「方面網の中継要員なら、百人はいた」
「いた、だな。七年経って、書式と認証手順を一字も忘れずに覚えてる奴は」
「……さあな」
「さあな、か」ヴェインは操舵席に向き直った。「忘れられん理由までは、訊かん。同盟にもいる。沈んだ艦の最終座標を、七年経っても小数点まで言える奴がな。──俺だ」
それきり、操舵手は航路図に戻った。訊かない、と宣言する形で、彼は何かを受け取っていた。受け取られたことが、ハルには、楽なような、置き場のないような重さだった。
ナナオだけが、驚かなかった。
「……それは」と老人は静かに言った。「あんたが一番、やりたくない手じゃろ」
「ああ」
「やりたくない理由を、訊いてもいいかの」
「診察室でも喋らない」
「……そうか。ならいい」
老人は薬瓶を棚に戻した。問わない、という診療所の流儀が、今度はハルを守る側に回った。
自分が届け損ねた言葉を、今度は罠として届ける。
七年待たせた艦に、七年遅れの本物を聞かせて、信じた瞬間に撃つ。これ以上の冒涜の形を、ハルは思いつかなかった。思いつかないまま、これ以上に確実な方法も、思いつかなかった。KC-118は今日も死者の声を撒き続けている。次に善意で近づく十五人目は、明日かもしれない。
「最適解です」とツクモが言った。
最適解。彼女の語彙で最も冷たい言葉が、今夜は判決のように聞こえた。
ハルは長い沈黙ののち、頷いた。
「組む。──手伝え、ツクモ」