第072話 骨市

 会談の決裂から二日後、《送り火》の食堂は再び帳簿の戦場になった。
 議題はひとつ。緋蓮団は、何で食っているのか。

「封鎖の維持費は月二千万超。通行料収入は最大でも千二百万。差額の八百万を、三月埋め続けている金主がいる——ここまでが前回の結論だ」
 ハルは表示板に新しい列を立てた。
「この二週間、商会の情報網と保安機構の市況報で、緋蓮団の金の流れを洗った。結論から言う。金主は、いない」
「……おらん?」とナナオが眉を上げた。
「いない。闇市の燃料相場に、緋蓮団規模の買いの痕跡がない。食料も、弾薬もだ。月二千万の買い物をしている組織が、どの市場にも映っていない。つまり連中は、買っていない」
「買わずに、どこから湧く」
「湧く場所の心当たりを、ヴェインが持ってる」
 操舵手は、古い図面を表示に呼び出した。大戦末期の同盟軍配置図。第六星系外縁のデブリ帯に、補給網の結節点がひとつ、記号で打たれている。
「同盟軍第14前線補給廠。撤退戦の中継拠点だ。廃棄記録では、終戦時に処分済みになっとる」
「処分済みの帳簿と、現物が一致しない例を、俺たちは知ってる」とハルが継いだ。「鹵獲文書の在庫記録だと、終戦時点の残存燃料は推定九千トン。処分の実施記録は、ない。処分したという報告書が、あるだけだ」
「九千トン」ナナオが指を折った。「封鎖艦隊が、何年でも食える量じゃの」
「デブリ回収員は、あの宙域を『骨市』と呼ぶ。骨の市場——艦の残骸が山ほど漂ってるのに、誰も拾いに行かない。行った船が、還ってこないからだ」
 還ってこない理由を、誰も海賊だとは言わなかった。海賊が縄張りを守るなら、脅して追い返す。還さない、のは別の何かの仕事だった。

 金の流れの洗い出しには、三つの網を使った。
 一つ目は商会の情報網。ウェンディゴの仲買人たちは、回廊中の燃料取引の伝票の影を読む。緋蓮団規模の買いがあれば、相場の水面に必ず波が立つ。波は、なかった。
 二つ目は保安機構の押収記録。カンプが「訓練資料」の名目で出してくれた、過去の海賊船の臨検台帳。緋蓮団系の船から押収された燃料の精製署名は、どの民間精製場のものとも一致しなかった——軍の規格だった。それも、七年前の。
 三つ目が、ヴェインの記憶だった。
「同盟の撤退は、置き土産の撤退だった」と操舵手は言った。「持って帰れんものは、帳簿の上で『処分』して、現物は隠した。いつか取り返しに来るつもりでな。……取り返しに来る同盟は、もうないが」
「隠し場所の候補は」
「補給屋に訊け。隠すのも掘るのも、結局は兵站の仕事だ」
 補給屋は、ここにいた。ハルは同盟の補給網の論理で考えた。撤退線の後背、航路から外れ、デブリで観測の利かない、しかし大型船の入れる水深——条件を満たす点は、配置図の上に一つしか残らなかった。

 偵察行は、護衛任務の合間を縫って組まれた。
 《送り火》は骨市の外縁、光学観測の限界距離に三十時間留まった。デブリ帯の奥に、補給廠の構造物が確認できた。大戦の規格のままの貯蔵タンク群。そして、その周辺を規則正しく動く熱源がひとつ。
「艦影、取れません。デブリの密度が高く、光学では構造物と分離できません」とツクモが言った。「ただし機動パターンは取れます。周回、定時、変針点の精度——軍用の警戒航行です」
「緋蓮団の留守番か?」
「緋蓮団の艦は、全艦の機動特性を記録済みです。一致しません。もっと——古い動き方です」
 古い動き方。その言い回しが指すものを、この艦の全員が知っていた。

 骨市、という名の由来を、ハルは元の商売柄、知っていた。
 二度の会戦で沈んだ艦は百を超え、終戦直後、ここは回収業者の金山になるはずだった。最初の回収船団が入って、還らなかった。次の船団は武装を整えて入り、半数が還らなかった。三度目はなかった。以来、骨の山は値札のついたまま、誰も拾えない市場になった。デブリ回収員たちは骨市の名で呼び、近づかないことを新入りに教える。教えられなかった新入りの船が、年に一隻か二隻、名簿から消えた。
 その消え方の正体が、いま観測図の中を、定時の正確さで巡回している。

 観測室の隅に、ヨルが座っていた。
 乗客の席、と本人が呼ぶようになった定位置だった。彼女は三十時間の大半を眠って過ごし、目を覚ましている時間、デブリ帯の方角をじっと見ていた。やがて、小さく言った。
「……きこえる」
 ハルは振り向いた。聞かせるつもりはなかった。だが〇・一光秒の距離は、彼女の耳には近すぎた。
「ヨル——」
「ふるい、こえ。ひとつ、だけ」彼女は目を閉じた。「……きちんと、してる。じゅんばんに、みまわって。……つかれてるのに、きちんと、してる」
 規律正しい、古い、同盟の声。
 ナナオが医務鞄を引き寄せ、彼女の隣に座った。体温計が、もう熱の始まりを示していた。聴くたびに、彼女は熱を出す。距離があっても、量が少なくても、必ず。
「もうええ、嬢ちゃん。十分じゃ」
「……まって」
 ヨルは目を閉じたまま、最後にひとつ、拾った。
「あのこえ……まだ、まもってる」
「守ってる? 何をだ」
「わからない。でも——」
 彼女は目を開けた。熱で潤み始めた目が、デブリ帯の闇を見ていた。
「だれかが、とりにくるのを、まってる。……ずっと」