第076話 待ち伏せの設計
「ガズの選択肢は三つだ」
食堂の表示板に、ハルは三本の線を引いた。
「一つ。封鎖を解いて、逃散する。団を割って、各個に消える。——ガズは選ばない。逃げた先に三百八十人の食い扶持はない。あの男は部下が飢える選択肢を、最後まで選ばない」
「二つ。商会の大船団を獲る。一発逆転だ。次の補給船団は穀物二千トン、時価で——」
「四千万cr相当です」とツクモが補った。
「だが護衛はうちと武装商船で固めてる。緋蓮団の残存稼働は十一隻、うち燃料を満載にできるのは四隻だけ。船団襲撃は、勝っても燃料が尽きる。ガズは砲術屋だが、頭の中身は兵站屋だ。勝って終わる戦は選ばない」
「残るのは、三つ目」ヴェインが静かに言った。
「骨市の奪還だ」ハルは三本目の線を太くした。「商会の封印を剥がして、九千トンを取り戻す。あれさえあれば封鎖は立て直せる。緋蓮団が生き残る道は、もうあそこにしか落ちていない。——敵が最善手を選ぶ前提で、待ち伏せはそこに置く」
彼我の戦力表が並んだ。
緋蓮団、稼働十一隻。ただし燃料満載は四隻、残る七隻は全速機動が四分しか保たない。
こちら——《送り火》一隻。商会の武装商船四隻。そして。
「保安機構から、巡視艦二隻が出ます」とツクモが言った。「名目は『商会保安部門との合同訓練』。カンプ分署長が経費三百八十万crを、訓練予算から捻出しました」
正規の出動ではない。出動の決裁は中央に飛び、中央は外縁の海賊退治に予算を出さない。だから訓練だ。訓練中の巡視艦が、偶然、海賊の襲撃に行き会う。役所の言葉の層を、カンプは盾ではなく剣の方に使ってみせた。
通信に、当の分署長の顔が出た。
「言っておくが、貸しだぞ、葬儀屋。訓練名目の決裁は、俺の残り少ない貯金で通した」
「感謝する」
「感謝は要らん。条件が一つだ」カンプの目が、役人の目になった。「頭目を、生かして獲れ。ガズ・ヒバスの身柄を、保安機構に引き渡すこと。戦犯案件の容疑者として、中央への政治的な土産になる。引き渡し報奨二百万は出す。——殺すな。死んだ頭目は、ただの戦果だ。生きた頭目は、組織を畳む鍵で、裁判の証言台で、何より」
彼は一拍置いた。
「三百八十人の投降の、受け皿になる」
生かして獲る。殺すより数段難しく、数段高くつく注文だった。それでもブリッジの誰も、異論を挟まなかった。死んだガズの下で三百八十人が散り散りに暴れる未来と、生きたガズが「降りろ」と言う未来。比べる余地はなかった。
武装商船の艦長たちとの調整会議は、短かった。
四隻の艦長は全員が商会の古株で、《カリナ》の艦長は五十代の女だった。彼女は配置図を一瞥して、一つだけ訊いた。
「うちらの役目は、止まった的を撃つことね?」
「そうだ。動いてる的は追わなくていい。動ける敵は、こっちで動けなくする」
「結構。うちの砲手は商人あがりよ。止まった的なら外さない。動く的を追わせると、欲をかいて隊列を割る」女艦長は図を畳んだ。「葬儀屋さん。うちの船はね、沈めた船より運んだ麦の方が多いの。明日が終わっても、そのままでいさせて頂戴」
「善処する」
その返事が、後にどれだけ苦くなるかを、このときの誰も知らなかった。
作戦の詰めは、夜半まで続いた。
骨市の地形——デブリの密度図、貯蔵タンクの配置、商会封印の位置。待ち伏せの配置——巡視艦は外周の影に、武装商船はタンク群の陰に、《送り火》は、いつも通り、どこにもいない位置に。
「燃料の薄い七隻は、全速が四分しか保ちません」とツクモが言った。「開幕で全速を強要すれば、七隻は四分後にただの的になります。囮歌の役割はそこです。偽の脅威で、燃料のない艦に燃料を使わせる」
「残るは満載の四隻と、旗艦」
「旗艦は——」
ヴェインが、立ち上がった。
会議の間、ずっと黙っていた操舵手は、表示板の前に立ち、旗艦の予測機動図を指でなぞった。推力抜きの回避。自分が教えた舵。それを使う男たちが、明日、射界の中にいる。
「旗艦の舵は、俺が読む」
宣言の形をした、引き受けだった。
「教えた舵だ。癖も、限界も、息継ぎの場所も知っとる。読み違えはせん。……読み違えんことが、あいつらを生かす目になる。機関だけ潰せば、人は死なん」
「頼む」
「……舵、もらう」
七年ぶりに、教え子たちと舵を合わせる夜が来る。最悪の形で、最善を尽くすしかない形で。
散会の後、ハルは観測室でヨルに言った。
「明日は、戦闘になる。今度のは——人間との、本物のだ。あんたは医務室でナナオと一緒にいてくれ。これは頼みだが、断ってほしくない頼みだ」
「……きかない、ほうが、いい?」
「ああ。明日の声は、聞かないでいい声だ」
ヨルは頷き、それから、覚えたての言い回しで返した。
「じょうけん、のむ。……かわりに、かえってきて」
「善処する」
「ぜんしょ、は、だめ。やくそく」
窓口の彼女が聞いたら笑っただろう。軍人の返事は、一番あてにならない。ハルは言い直した。
「……約束だ」
翌朝。
縫航反応が、骨市の外縁に立った。十一。
予定より、六時間早かった。
「……来た」