第077話 統制を断て
六時間早い、ということは、配置の三分の一が間に合っていないということだった。
巡視艦二隻は外周の影に届いていない。武装商船はタンク群の陰に二隻だけ。整いきらない網の中へ、緋蓮団十一隻が、燃料の最後の貯金で突っ込んでくる。
「予定は死んだ。設計をやり直す」
ハルは戦術図の前で三十秒だけ考え、組み替えた。
「網で獲るのは、やめだ。時間で獲る。敵の燃料の薄い七隻は、全速四分が寿命。なら最初の四分を、全部空転させる。ツクモ——歌え。骨市の外周に、ありったけの嘘を」
「具体性を要求します」
「巡視戦隊の縫航反応。商会の増援船団。それから——保安機構の機雷敷設の作業信号。あるはずのない脅威を、あるかもしれない角度に全部並べろ。敵の頭目は兵站屋だ。兵站屋は、確認できない脅威を無視できない」
「了解。——本日の歌は、長くなります」
囮歌が、骨市の闇に嘘の戦場を建てた。
東に巡視戦隊の影。南に増援の縫航前兆。進入路の脇に、敷設作業の信号。緋蓮団の突入隊形が、見えない敵に応じて割れ、回り込み、警戒機動で燃料を焚いていく。四分の寿命が、確認作業で一分ずつ削られていく。
「敵七隻、機動が鈍り始めました。全速継続、限界です」
そこへ、遅れていた巡視艦二隻が、本物の縫航反応を立てて到着した。嘘の中に本物が一つ混ざった瞬間、敵の評価系は全部を本物として扱い直す。隊列が、割れた。
「武装商船、射撃開始。燃料切れの二隻、機動力を喪失。降伏信号」
各個撃破ですらなかった。各個停止だった。燃料という名の血を流し尽くした艦から順に、戦場から退場していく。設計どおりだった。設計どおりに進む戦場など存在しないことを、ハルは次の九十秒で思い出すことになった。
緋蓮団は、素人ではなかった。
満載の四隻が、嘘を見切った。二度目の偽装巡視反応に対し、確認機動を取らずに突っ切ったのだ。誰かが指揮系で「同じ嘘は二度食わない」と判断した。四隻は損害を無視して武装商船の射線へ正面から踏み込み——集中射が、商会の武装商船《カリナ》を捉えた。
火球は、一瞬だった。
五千トンの船体が、弾薬庫ごと爆ぜた。脱出艇は、出なかった。
「《カリナ》、轟沈。……乗員十七名、応答ありません」
止まった的なら外さない、と言った女艦長の船だった。彼女の砲手は最後まで隊列を割らず、割らなかった位置が、集中射の的になった。脱出艇の射出記録は、ゼロ。弾薬庫の誘爆は、人間の反応速度の外側にある。
ツクモの声は平坦で、平坦なまま、ブリッジの全員の胸に同じ深さで刺さった。十七人。商会の保安部員と船員。三十八時間の廊下を何往復も一緒に飛んだ、顔と名前のある十七人だった。
戦況は、優勢のまま動いていた。優勢という言葉が、十七人の名前の上に立っていた。
「敵四隻、再集結——本艦を捉えました。来ます」
次の集中射は、《送り火》に来た。
ヴェインの舵が三条を躱し、四条目が左舷を掠め、五条目が——当たった。正面火力最弱の艦は、装甲も最厚ではない。左舷第三区画を光条が貫き、火災警報が艦の神経を駆け上がった。
「第三区画、火災。隔壁封鎖。消火系、作動——人的被害なし。繰り返します、人的被害なし」
医務室の回線から、ナナオの声が割り込んだ。
「艦長! 第三区画の消火、自動系だけで足りとるか」
「足りてる。医務室を出るな——患者を頼む」
「患者は寝とる! 約束どおり、何も聴かんと、毛布を被って寝とる! ……ええ子じゃ。ええ子すぎて、診とる方が痛いがの!」
毛布の中で耳を塞いで、約束を守っている小さな影を、ハルは思い、思考から切り離した。戦術図の上では、まだ十一の艦が生きて動いていた。
人的被害なし。その一行の意味を、医務室で聞いているはずの二人を、ハルは〇・五秒だけ思った。それから戦術図に戻った。〇・五秒以上は、十七人に申し訳が立たなかった。
「巡視艦、武装商船、十字射界——形成」
燃料切れの艦が、また一隻、棄艦信号を上げた。もう一隻。残存五隻、四隻。降伏信号が、次々に骨市の闇へ灯っていく。
最後に、戦場の真ん中に、一隻だけが残った。
旗艦。
降伏信号は、上がらない。
「敵旗艦、単艦。針路——」ツクモが一拍、置いた。「……本艦へ、正対」
ヴェインが、操舵桿を握り直した。
「……来い」