第107話 図上演習

 作戦室の長机には、参謀が十一人と、嘱託が一人座っていた。嘱託の席は上座の隣で、その配置を決めたのが誰なのかは、部屋の全員が知っていた。
 方面軍参謀部の原案は、教範の手本のような計画だった。三個戦隊を回廊深部の三方向から進出させ、死者の艦隊の活動圏を包囲し、圧縮し、殲滅する。兵力の集中、外線からの包囲、退路の遮断。大戦で連合を勝たせた型そのものだ。
「型として正しい計画です」とハルは言った。「正しいので、図上で一度、敵に読ませてみることを具申します」
「読ませる、とは」
「敵役に、学習する敵を置く。うちの戦術中枢は特例運用許可を受けています。七年、実物の還らず艦と読み合ってきた中枢です」
 参謀たちは渋り、ホークが頷き、図上演習が組まれた。
 一回目。青軍——参謀案——は包囲を綺麗に作りにかかった。三個戦隊の進出は教範通りの時刻表で進み、図の上では美しくさえあった。赤軍の群れは包囲が閉じる二時間前、最も薄い継ぎ目——補給部隊の護衛線——を正確に食い破って圏外へ抜けた。抜けながら、輸送艦四隻を「回収」していった。逃げたのではない。逃げるついでに、仕入れをして帰ったのだ。判定、青軍の作戦目的未達、輸送部隊壊滅。
「補給線の護衛を厚くすれば済む」と作戦主任の参謀が言った。
 二回目。護衛は厚くなった。赤軍は包囲の形そのものを記憶していて、厚くなった分だけ早く、別の継ぎ目へ走った。継ぎ目は必ずある。三個戦隊で円を描けば、円周のどこかが必ず薄い。判定、捕捉失敗、駆逐艦三隻喪失。
 三回目。参謀たちは計画を変えた。変え方が教範の応用問題の解き方で、教範は赤軍も読んでいた。
「赤軍勝利。三回目です」と、スピーカーのツクモの声が言った。抑揚のない丁寧語が、姿のないまま会議室の空気を三度目に凍らせた。「補足します。私は意地悪をしていません。観測された実際の群れの挙動だけを使用しました。四十日前の集結命令以降、群れは包囲を一度経験しています。経験した包囲に、群れは二度かかりません」
「機械に教範を読ませた負け碁だ」と、年嵩の参謀が言った。「実戦の根拠にされては困る」
「七年、実物と読み合わせてきた教範です」
 ハルの声は低くなった。怒鳴るより低くなる男の声を、この部屋はまだ知らない。
「三十二年の三月、第六星系の残存掃討で、包囲殲滅は一度成功しています。あのときの還らず艦は、ばらばらの漂流物だったからです。いま回廊深部にいるのは漂流物ではない。集められ、繋がれ、学習を共有する群れです。敵を七年前のままだと見なした計画は、紙の上でも死にます。紙の上で死ぬ計画は、実物の上では人を殺します」
 会議室が静まり、ホークだけが手元の記録に何かを書いた。
「では嘱託殿の代案を伺おう」と作戦主任が言った。皮肉の角度のついた敬称だった。
 ハルは戦域図を切り替えた。過去の襲撃地点が時系列で並ぶ。採掘区、資材集積地、残骸の海、廃棄航路の中継廃墟。
「観察から始めます。死者の艦隊は、一度も『破壊のための破壊』をしていません。攻撃目標は常に三種類——艦材、機関部品、そして同胞。沈んだ僚艦の機体です。彼らの行動原理は戦闘ではなく、回収です」
「回収して、どうする」
「数を揃えています。何のためかは、本作戦の範囲外です」言いながら、ハルは自分の声が一瞬だけ濁るのを聞いた。数を揃えた先にいるものの声を、この耳は二度聞いている。「重要なのは、回収する者は、回収物のある場所に必ず来る、ということです。来る場所が分かっている敵を、三個戦隊で追い回す必要はありません。——補給線を細らせ、餌を置き、墓穴を先に掘って、待つ」
「餌、とは」
「廃棄艦材です。解体場行きの艦材集積を、護衛の薄い輸送隊に見せて吊るします。同時に、残骸市場の闇流通を保安機構経由で三ヶ月絞る。群れの『仕入れ』を枯らせば、吊るした餌の魅力が上がります。猟の基本です」
「傭兵の猟法を、方面軍の作戦にしろと言うのか」
「猟法しか通じない獲物だからです」
 会議は紛糾した。正規艦を囮に使う屈辱、待ち伏せという語の据わりの悪さ、嘱託の分際という本音。出るべき反論が全部出てから、ホークが初めて口を開いた。
「諸君の案は、教範として正しい」静かな声だった。「教範を読んでいる敵に対してだけ、正しくない。図上で三度死んだ。四度目を実艦でやる予算は、私にはない。——本作戦はアマノ嘱託の案を骨子とする。責任は私が取る。取れる席に、私は座っている」
 反対は止んだ。職権で押し通された会議の常で、止んだ反対は消えずに、沈んだだけだった。沈んだものは水底で育つ。それも軍というものだった。
 散会の間際、データの出所を問うた参謀がいた。群れの挙動解析の精度は、どの観測網のものか、と。
「特例運用中枢の広域信号解析です」とハルは答えた。
 嘘ではなかった。ヨルの聴いた音は、全てツクモの記録領域を通って解析値になる。嘘ではない、という形だけが、書類の上での彼女の守り方だった。紙の中の線は、こうやって毎日、誰かが引き直して保つものだ。

 艦に戻ると、食堂に夕食が残してあった。
「会議は勝ったかの」とナナオが訊いた。
「会議に勝ち負けがあるなら、判定勝ちだ。後味は引き分け以下だが」
「軍の会議はそういうもんじゃ。勝った方が恨まれて、負けた方が根に持つ。両方とも、忘れんしの」
 ヴェインは皿を流しに運びながら、短く言った。
「……囮の輸送隊は、誰が出す」
「方面軍の徴用輸送だ。乗員は最小限まで減らさせる。減らしきれるかは、これからの九日の交渉次第だ」
「減らせ」操舵手は皿を置いた。「囮の腹の中で待つ側を、俺はやったことがある。あれは、減らせるだけ減らすもんだ」
 それ以上は言わなかったが、それだけで足りた。
 ヨルは自分の帳面に、今日の図上演習の判定を書き写していた。あか、さんしょう。あお、ぜろしょう。書き終えてから顔を上げた。
「わたしの、きいたおと、やくにたった?」
「立った。お前の音が、紙の上で三回、人を死なせずに済ませた」
「かみのうえなら、しんでも、いきかえる?」
「生き返る。だから先に紙の上で死なせる」
「……いいしくみ」と彼女は言った。「ほんものの、まえに、かみで、しぬ。それ、おぼえる」
 承認文書は、その夜のうちに降りた。
 作戦名の欄は起案時、空欄だった。降りてきた文書には、ホークの手で名が入っていた。
 ——作戦〈野辺送り〉。
「のべおくり」と、控えを読み上げたツクモが言った。「葬列が死者を墓所まで送る行為の古語です。掃討作戦の名称として、適合率は極めて高いと評価します」
 適合しすぎている、とハルは思った。
 撃つことが弔いであること。掃討が葬列であること。七年の中身を要約すれば確かにこの三文字になる——だがその要約を、なぜこの人ができるのか。負債を覚えていた律儀さと、他人の七年をここまで正確に言い当てる読みの深さは、同じ能力の表と裏のはずだった。理解されることは温かかった。温かさの底が、なぜか一度だけ、薄く冷えた。冷えた理由は言葉にならず、言葉にならないものを、ハルは書類に書けない。書けないものを信じない練習なら、七年分やってきた。
 翌朝、ホークは桟橋まで降りてきて、命令書を手渡した。
「お前の仕事に相応しい名だろう」
「……名前負けしないように努めます」
「するな。名前に負けた作戦を、私は三十年で山ほど見た」大佐は《送り火》を見上げた。「作戦発動、九日後。第一段階の餌は、廃棄艦材の集積輸送だ。細部はお前が詰めろ。詰めた細部が人の生き死にを分ける——補給屋は皆そう教わる。教えたのは私だったか」
「……そうです」
「なら、覚えていてくれて何よりだ」
 舷梯を上りながら、ハルは腕章の位置を一度だけ直した。袖口から指三本。直してから、直した自分に気づいた。
 D−9。墓穴を掘る側の九日間が始まった。