第112話 送り火隊
命令書は三日後に来た。
——特務戦隊を新編する。戦隊は旗艦《送り火》、護衛駆逐艦一、電子戦フリゲート一をもって編成し、参謀本部特務局の作戦統制下に置く。戦隊司令、特務嘱託アマノ・ハル。
正規士官が傭兵の指揮下に入る。軍制のどこを叩いても出てこない人事は、命令書の末尾の但し書き三行で処理されていた。一、指揮権の行使は作戦目的の範囲内に限る。一、本職務は階級に基づく敬礼義務を生じない。一、給与体系は従前による。三行で歪みを呑み込むのが、軍隊という場所だった。呑み込んだものがどこへ溜まるかは、但し書きには書いていない。
僚艦二隻には、改名の通達が出ていた。
護衛駆逐艦は《迎え火》。電子戦フリゲートは《燈籠》。起案者の欄にはホークの名があり、広報班の参謀は「旗艦と揃いで、据わりがいい」と言った。死者を迎える火と、野辺の足元を照らす火。据わりは、確かによかった。
艦の名を変えることが乗員にとってどれほど縁起の悪いものかは、広報の書類のどこにも載っていない。船乗りなら誰でも知っている。名前は艦の墓標に最後まで残る部分で、それを生きているうちに削り直すのは、墓石を先に注文するのと同じ作法だった。
「《迎え火》と《燈籠》」と、通達を読み上げたツクモが言った。「死者を迎える火と、足元を照らす火です。命名者は、私たちの仕事を正確に理解しています」
「悪い名じゃない」
「はい。正確すぎる、と記録します」
作戦名のときと同じ記録だった。彼女の記録領域で、その項目が何件目になるのかを、ハルは訊かなかった。
艦の方は、名前より先に性能表で届いていた。
《迎え火》、護衛駆逐艦。全長一六〇、速力と加速は戦隊随一、砲力は駆逐艦の標準、装甲は紙。船団護衛用に造られた、走って庇う艦だ。《燈籠》、電子戦フリゲート。全長一二〇、武装は自衛用の近接火器だけ、代わりに艦体の三割が電子戦区画で埋まっている。歌うために造られた艦だった。
「評価を述べます」とツクモが言った。「正面戦力としては、二隻合わせて中型還らず艦一隻分に届きません。囮歌の歌い手としては——私の編曲を歌える喉が、二つ増えます。一人で歌う嘘と、三人で歌う嘘は、別の芸です」
「使える、ということか」
「使い方を間違えなければ、です。間違えた場合の数字は、図上演習でお見せします」
二人の艦長の人事記録も、嘱託の閲覧権限の中にあった。ハルは職歴の表面だけ読んで、閉じた。経歴の裏を人事記録で先回りするのは、覚えのある暴力だった。四十秒、という数字で先回りされた男は、同じ手をひとに使わないことに決めている。裏は、本人が話す気になったときに聞けばいい。
第三五〇日、戦隊旗の授与は、式典と呼ぶには素っ気ない手順で済まされた。第四埠頭の会議棟、立会いは方面軍の人事参謀が一人。歓迎の辞はなく、訓示もなく、戦隊呼称の告知だけがあった。
送り火隊。
葬儀屋の旗艦に、死者を迎える火と燈籠が付く。回廊の酒場がこの戦隊を何と呼ぶかは、聞かなくても分かった。
着任の申告に、僚艦の艦長が二人、会議棟へ来た。
《迎え火》艦長、イェナ・コルベル大尉。挙手の敬礼は教範の図版より硬く、角度が五度ほど立ちすぎていた。敬礼義務を生じない、と但し書きにある相手への敬礼は、規定ではなく彼女の選択ということになる。選択にしては、目の温度が追いついていなかった。侮蔑とも畏怖ともつかない何かが、規律の蓋の下で整理を待っている目だった。
「コルベル、着任しました」
「アマノだ。よろしく頼む」
「……はい」
《燈籠》艦長、マルセル・ガロ少佐。四十八歳、大戦帰り。敬礼はせず、軽く頷いただけだった。但し書きの三行を、彼は彼で正確に運用していた。値踏みする眼が、ハルの顔と、腕章と、窓の外の黒い艦体とを順に量っていく。古道具屋が査定をする目つきに似ていた。値札を付け終えるまでは、口を利かない種類の。
「ガロだ」と、それだけ言った。
申告のあと、戦隊通信規約の擦り合わせが一時間あった。規約上、《送り火》の戦術中枢は「特例運用中枢」とだけ表記され、戦隊リンクの上では発信元符号一つに畳まれる。コルベルが書式の確認のつもりで訊いた。
「特例運用中枢の呼出名称は、どう記載しますか」
「九九号、と」と回線のツクモが答えた。「番号です。番号は、名簿に載りません」
名簿に載らない、という言い方を彼女が選んだことに気づいたのは、艦長一人だけだった。
歓迎会はなかった。代わりに夕刻、補給目録と当直表と戦隊通信規約の綴りが届いた。目録の数字は几帳面で、当直表には嘱託の艦の流儀に合わせた余白が残してあった。ハルはそれを、悪くないと思った。宴会は要らない。目録と当直表は、一緒に働く気のある者しか寄越さない書類だ。
改名の作業は、その日の午後に行われた。
第四埠頭の対岸で、作業班が二隻の艦首の旧名を削り、新しい名を焼き付けていく。《送り火》の艦橋からは、火花だけが見えた。旧い名前が削られて鉄粉になって散るのを、両方の艦の乗員が、甲板に出て黙って見ているのも見えた。式典はない。命令書の一行で艦の名前は死に、一行で別の名前が生まれる。立ち会いたい人間は、勝手に甲板に出る。軍隊の弔いの半分は、そうやって規定の外で行われる。
夕刻、コルベルから事務連絡が一通届いた。訓練計画の全日程と、図上演習の判定基準の事前開示を求める、署名つきの正式な要求だった。文面は硬く、要求は正当で、判定者が誰なのかという質問だけが、注意深く避けてあった。ハルは全量を開示で返した。隠して得をする数字は、戦隊には一つもない。
基地の酒保では、新しい戦隊の呼び名がもう出来上がっていた。葬式戦隊。火葬場の三人組。声の半分は嘲りで、半分は、嘲りの形を借りた何か別のものだった。還らず艦を九隻沈めた部隊を正面から笑える人間は、外縁の軍隊には、もうあまり残っていない。
ヨルは聴音席で、僚艦二隻の機関音を聴き比べていた。
「《むかえび》は、はやい、こきゅう。わかい、ふね。《とうろう》は——」彼女は少し迷った。「しずかな、こえ。でも、なかに、おこってる、おとが、ある」
「艦がか。乗っている人間がか」
「……わかんない。ふねと、ひとは、にてくる」
操舵手と老医が、同時に何かを言いかけて、同時にやめた。似てくる、の実例が、この艦橋には揃いすぎていた。
夜、操舵席の点検を終えたヴェインが、ぽつりと言った。
「……名前を変えられた艦で、いい目を見たことがない。同盟じゃ、鹵獲艦にやる作法だった」
「縁起の話か」
「縁起の話だ。船乗りの縁起は、統計だぞ、艦長」
彼はそれきり黙って降りていった。統計、という言い方に、百四十三引く三十一の重さが入っていることを、艦橋に残った男は知っていた。
ナナオは医務室の在庫表に、僚艦二隻分の血液型構成を書き写していた。求められてもいない仕事だった。
「戦隊軍医というものは、おらんでな」と老医は言った。「おらん係は、気づいた者がやる。お前さんの艦の流儀じゃろう」
消灯前の艦橋で、ツクモが定時報告の最後に一件だけ付け足した。
「本日付で、当艦には僚艦が二隻あります。僚艦という語を運用記録に使うのは、大戦の終結以来です」
「……前に使ったときの僚艦は」
「私が沈めました。仕様どおりに」と彼女は言った。「今回の二隻は、沈めない側の僚艦です。区分を新設して記録します」
区分を新設して、という言い回しの奥で何が行われているのかは、誰にも見えない。見えないまま、艦内の灯りが落ちた。
消灯前、会議棟の予約端末から、面談の申し込みが一件入った。申込者、ガロ。所要、五分。議題の欄は空白だった。
会議棟の小部屋で、ガロは座らなかった。立ったまま、値踏みの目をようやくハルの目の高さで止めて、言った。
「質問が一つある、司令」
司令、という呼び方に、量り終えていない目方が全部乗っていた。
「あんたが沈めた十九隻の中に——俺の部下を殺った艦は、居るかね」