第115話 初陣

 九時間の早着は、網の半分を間に合わなくした。
 計画では、方面軍の支援戦隊四隻が外周の取り零し役として展開を終えているはずだった。彼らはまだ縫航の二つ手前にいる。先着の二隻でも到達まで六時間。それまで、カザン精錬廠の網は送り火隊の三隻だけで張ることになる。
「敵群、九隻」とツクモが数えた。「小型六、中型三。第一段階の生き残りが、少なくとも二隻含まれています。機関波形が一致しました」
 逃げた五隻のうちの二隻。撃たれた経験を持ち帰る係は、持ち帰った経験を群れに配り終えている、ということだった。
「交戦規定を確認する」とハルは戦隊回線に言った。「撃ち合わない。役割は三つ。《送り火》は餌の声で、群れを廠内の狩り場へ引く。《迎え火》は護衛の薄い嘘を歌って群れを焦らせる。《燈籠》は廠の裏で、もっといい獲物の幻を歌う。三つの歌で群れの目標選定を割って、割れた端から各個に仕留める。支援が来るまで囲みは閉じない。閉じない囲いで、追い込み続ける」
「九対三です」とコルベルの声。
「九対三で撃ち合えば負ける。九を三と三と三に割れば、こちらは一度に三としか戦わない」
「支援戦隊の到着までの六時間は」
「割って、追い込んで、時間を売り買いする。仕留めは焦らない。網のない狩り場に獲物を追い込んでも、逃がすだけだ」
 送り火隊としての初猟が、定数割れの網で始まる。験を担ぐ者なら口にしそうなことを、誰も口にしなかった。船乗りの縁起は統計だ、と言った男は、操舵席で黙って舵の感度を確かめていた。

 囮歌の三重奏は、二一四〇に始まった。
 精錬廠の幽霊シフトが二十六人分の寝息を吐き、《送り火》がその下に廃棄艦材の重い唄を敷く。《迎え火》は警戒線の端で手薄な護衛の振りを几帳面に歌い、《燈籠》は廠の裏で、縫航機関を抱えた輸送船の幻を組み上げた。三つの嘘が互いに矛盾しないよう、全体の調はツクモが取った。
「六隻分の嘘の次は、三隻三様の嘘です。編曲の難度は上がりましたが——歌い手が増えるのは、悪くありません」
 群れが割れた。
 中型一と小型二が艦材へ。小型二が《迎え火》の警戒線を試しに行き、残る中型二と小型二が《燈籠》の幻へ流れる。
 《迎え火》は逃げた。教範に載っていない逃げ方で——図上演習の四回目に自分で見つけた、あの癖のない針路で。手薄な護衛が及び腰で下がる芝居は、追う側の小型二隻を警戒線から三百キロ引き出し、引き出された分だけ、艦材の檻の周りが空いた。
「《迎え火》、上手いです」とツクモが言った。「怖がる芝居と、本当に怖がっているのの中間です。中間が、いちばん信じられます」
 最初の杭は、二二〇七。艦材の檻に潜り込んだ中型——旧連合の対宙砲艇が、廃材の陰の《送り火》の正面に、自分から腹を晒した。
「杭一番、照準よし。……艦長、ご決断を」
「撃て」
 撃破二十。
 二本目は二二三一。艦材に取り付いた艦隊随伴工作艦が、切断腕を伸ばした姿勢のまま、中枢を貫かれて止まった。撃破二十一。
 そこまでは、計画の内側だった。
 二二四〇、《燈籠》の幻に流れた四隻が、一斉に変針した。幻へではない。幻を歌っている本体へ、最短針路で。
「《燈籠》の偽装波形、見破られました」とツクモが言った。「第一段階で、あの艦は方面軍の電子戦支援として同じ筆跡で歌っています。生き残りがそれを覚えていた。——私の編曲の責任です。同じ歌い手の癖を、二度使わせました」
 学習する群れ、という言葉を、戦隊の全員が知識として知っていた。知識が実弾になるまでの時間は、二二四〇から数えて、九十秒もなかった。
「《燈籠》、下がれ。残骸線まで」
 ガロは下がらなかった。《燈籠》は妨害波を張ったまま、《迎え火》側へ流れようとする小型二隻の頭を電子戦で押さえ続けていた。下がればその二隻が《迎え火》の網を抜ける——判断としては、筋が通っていた。筋が通ったまま、四隻分の射弾が《燈籠》の未来位置を囲い始めた。
「《燈籠》、下がれ。二隻はこちらで受ける」
 二拍、間が空いた。
「……了解」
 二拍は、九秒だった。九秒分の射弾の最後の一連が退避に入った《燈籠》の機関区を掠め、掠めた一発が装甲の継ぎ目で爆ぜた。
 機関区第三区画、破孔。緊急閉鎖。
 四隻が杭の間合いに入るより先に、支援戦隊の先着二隻が戦域へ縫航進入し、群れは撤収に転じた。散って退く六隻のうち二隻を、外周で支援戦隊の質量砲が捉えた。作戦の戦果簿に七隻目と八隻目が載り、送り火隊は追撃しなかった。
 《燈籠》の機関区第三区画からは、三人が出てこなかった。
 機関員三名、即死。破孔区画の閉鎖は規定どおりで、規定どおりだったことが、三人を区画ごと宇宙側に置いた。
 ナナオは連絡艇で《燈籠》へ渡った。戦隊軍医という職はないが、おらん係は気づいた者がやる、というのが彼の言い分で、条項は艦に入る者を縛っても、艦から出る者を縛らなかった。老医が《燈籠》で出来たのは、火傷二名と減圧症一名の処置と、三つの死亡確認だけだった。確認、というのは医者の仕事の中でいちばん短い仕事で、いちばん長く残る仕事でもある。
 ガロは戦闘詳報を自分で書いた。退避命令受領から実施まで九秒の遅延、原因は艦長の判断、と一行目にあった。九秒を庇う言葉は、どこにも書かれていなかった。
 詳報を受領して、ハルは一行だけ返信を打った。受領した。命令はより早く出せた。九秒の手前に、こちらの三秒がある。
 返信への返信は来なかった。代わりに翌朝、《燈籠》から戦隊リンクの応答符号が一つ届いた。規約どおりの、何の感情も載らない受領確認だった。規約どおりであることを選ぶ、という形の返事だった。

 明けて、回収班が戦域を浚った。
 杭で死んだ二隻からは、ログが取れた。対宙砲艇の最終命令は、泊地対宙火網の維持。守っていた泊地は、五年前に軌道ごと放棄されていた。工作艦の最終命令は、損傷艦の応急修理。回収した作業記録には七年分の修理履歴が几帳面に残っていて、修理した相手の波形が、昨夜の群れの中に三つあった。群れが七年動き続けた理由の一端は、この艦が直し続けたからだった。
「保存します。百三十五件目と、百三十六件目です」
 支援戦隊の砲で死んだ二隻からは、読めるものが何も残らなかった。質量砲は、墓を残さない。残さないことを誰も悼まないのが正規軍の流儀で、それを責める権利は、杭で殺す側にもなかった。殺し方の違いは、死に方の違いではない。残る書類の厚さの違いだ。
 帳簿には、二十と二十一を書いた。杭の残数、官給七本と、艦の奥の自前二本。金額の欄は今夜も空白のまま閉じた。
 昼前、回収班から異物の報告が上がった。
 係留地の外れ、忘れられた旧式艦の陰に挟まるように、記録にない船体が漂っていた。還らず艦の成れの果てだった。外傷は古く、機関は完全に死に、少なくとも二年は漂流体だったと推定された。
 異物なのは、中枢区画だった。
 無い。撃ち抜かれたのでも、焼かれたのでもなく、区画ごと艦体から抜き取られていた。切断面は装甲の積層に沿って正確に走り、配線と配管は結束ごと処理され、断面には保護皮膜まで吹かれていた。杭の貫通痕は穴を残す。教団の浄火は炭を残す。これは、何も残していなかった。残っているのは、何かがここに在ったという、外科手術の縫い跡だけだった。
 誰かが、葬儀屋より先にこの墓を開けて、脳だけ持ち去っている。
 報告を上げてきた回収班の士官は、所見の語彙を持っていなかった。「損傷というより……工事です」というのが、彼の精一杯だった。工事。悪くない言葉だった。戦闘は痕を散らかす。これは痕を片付けていた。
 ヨルにも、距離を置いて聴かせた。彼女は一分で首を振った。
「こえが、ない。……からっぽの、ふねは、きいたこと、ある。しんでても、のこってる、おとが、ある。これは、ちがう。おとの、あった、ばしょごと、ない」
 音のあった場所ごと、ない。十一歳の語彙が、技術士官の報告書より正確だった。
「艦長」とツクモが言った。声はいつもどおり平坦で、平坦なまま、いつもより半拍早かった。「この摘出手順には、見覚えがあります。——私の知る、軍の手順です」