第116話 大物
散った六隻の追跡は、夜明け前に答えを出した。
六隻は散ったのではなかった。三方向に割れた針路は外縁の廃滓帯——精錬廠が七十年吐き続けた鉱滓の帯——で再び束ねられ、束の後ろに、観測になかった艦影が一つ立っていた。
「艦級、確定」とツクモが言った。「旧連合、重巡洋艦。全長五一〇。長距離質量砲三基六門。有効射程は、戦隊の全装備の二・八倍です」
数字の意味は単純だった。撃ち合いになれば、こちらの弾が届く距離まで生きて近づけない。三隻まとめて、外から順に潰される。
戦時記録に該当があった。識別コード、CA-77。大戦末期の艦隊決戦の生き残りで、終戦後の七年で外縁の輸送船を十一隻沈めている。保安機構の賞金台帳に大型五、〇〇〇万crで載ったまま、誰も手を出さなかった個体だった。手を出した二組は、帰っていない。
「群れの殿に就いています。本隊六隻の縫航充填を、射程で守る構えです」
「放置すれば」
「六隻は学習結果ごと深部へ持ち帰ります。《燈籠》の筆跡、《迎え火》の癖、私の編曲。次に会う群れは、昨夜より賢くなります」
撃つ理由は、それで足りた。
戦隊回線の端で、ガロが艦級の確定報を二度読み直しているのが、応答の半拍の遅れで分かった。重巡洋艦と襲撃巡洋艦は、別の級だ。別の級だが、七年前の暮れに機関波形も残せず消えた二十六人の記憶にとって、艦影の輪郭がどれほど当てになるかは、誰にも言えない。
「《燈籠》、復唱を」とハルは言った。
「——役割は退路の削り。射程の外縁から出ない。仕留めには参加しない」と、ガロの声が正確に戻ってきた。正確さで自分を縛りに来ている声だった。それでよかった。
《燈籠》の偽装波形は、昨夜のうちに書き直されていた。三人の出てこなかった機関区の修理よりも先に、ガロは自分の艦の筆跡を変えていた。職人の手当ての順序だった。
答えは地形と、役割分担だった。廃滓帯はセンサーにとって霧の海だ。重巡の索敵は強力だが、霧の中までは届かない。そして重巡の質量砲は、艦首方向に死角が狭く、腹の下に広い。
「《迎え火》《燈籠》は射程の外縁に占位。撃ち合わず、退路だけを削る。当てる気のない斉射とジャミングで、取れる針路を一本ずつ潰す。追い込み漁だ。魚を網に追うんじゃない。網のある場所しか泳げないように、海の方を狭くする」
「狭めた先は」とガロ。
「廃滓帯の隘路。霧の中だ。そこに、うちが沈んでいる」
「霧の中で、どうやって本体を取る。あの図体でも、霧は霧だぞ」
「耳がある」とだけ、ハルは言った。
追い込みには四時間かかった。
《迎え火》と《燈籠》は重巡の射程の縁を、触れるか触れないかの距離で回り続けた。一撃も当てない。当てる気のない弾幕と妨害の壁で、開いた針路を一本ずつ閉じていく。重巡は三度、砲撃で壁を試した。一度目の斉射は《迎え火》の三十秒前の位置を正確に耕し、若い駆逐艦が三十秒分だけ速かったことを、艦の全員があとから知った。三度とも壁は撃ち返さずに薄く退き、退いた分だけ、別の針路が閉じた。
二時間目、聴音席のヨルが小さく言った。
「おおきいこえ。……いらいら、してる。こたえない、てきは、きらい、みたい」
大型個体の判断系が苛立ちに相当する状態を持つのかどうか、ツクモは注釈をつけなかった。つけない代わりに、苛立ちの出る方向——砲撃の置き方の癖——を三十分ぶん集めて、変針予測の係数に変えた。
ヴェインはその間、《送り火》を廃滓の濃い影から影へ運んでいた。推進を使わない、慣性だけの滑走。骨市の番人とやった芸の、もう一段深いやつだった。
「殿の癖が分かった」と操舵手が低く言った。「砲の旋回より先に、艦首を振る。古い癖だ。……乗ってた連中の手が、まだ残ってる」
随伴の防空駆逐艦が一隻、霧の縁を固めていた。重巡の、霧側の耳だった。
「あれが居る限り、重巡は霧を恐れません」とツクモ。「あれが消えれば、霧は未知になる。未知を嫌って、針路は最後の一本に寄ります」
杭は、霧の中から防空駆逐艦の中枢を貫いた。撃破二十二。
耳を失った重巡は、教範どおりに動いた。未知の霧を避け、開いている最後の針路——隘路の縁へ、大きく変針した。変針は、腹を見せる。
隘路の影で、ヨルは四時間、目を閉じたままだった。霧の向こうの巨体の呼吸だけを聴き続けて、声は最初から最後まで、一つの座標を指していた。
「……おなかの、した。いま」
「杭二番、照準よし。艦長、ご決断を」
「撃て」
中枢杭は五一〇メートルの艦体の腹に吸い込まれ、装甲三層の下の中枢区画で止まった。
撃破二十三。
巨体は砲を旋回させかけた姿勢のまま、ゆっくりと回頭を続け、やがて回頭しか続けなくなった。六門の質量砲は最後まで一度も、撃つべき敵を見つけられなかった。
戦隊回線に、《迎え火》の艦内の歓声が一瞬だけ漏れた。賞金台帳に七年載り続けた大物を、損害なしで仕留めたのだ。歓声は当然で、健全で、そして三秒で消えた。誰かが消させたのではない。回線の静けさが消させた。旗艦も、《燈籠》も、黙っていた。黙っている部隊で歓声を続けられるほど、若い艦の乗員も若くはなかった。
本隊の六隻は、殿の沈黙と引き換えに縫航で消えていた。学習結果は持ち帰られた。全部は、獲れない。獲れない分の請求書がいつどこへ回ってくるかは、まだ誰も知らない。
杭の残数、官給五本と自前二本。帳簿に、二十二と二十三。
ヨルは聴音席から、自分では降りられなかった。
規定の十分は、とうに超えていた。超える判断をしたのはハルで、超えさせなければ杭は撃てなかった。撃てた代わりに、彼女は四時間の呼吸と、最後の長い終わりとを、全部耳で受けた。
医務室で、彼女はナナオの袖を掴んだまま離さなかった。言葉が出てくるまで、一時間かかった。
「……おおきい、ふねは」と、やっと言った。「おわるのが、ながい」
「そうか」
「ちいさいのは、ぷつん、て、きえる。おおきいのは、きえおわるまで、ずっと、こえが、ある。……ながい」
ナナオは答えず、袖を貸したまま座っていた。老医の処方は、半分はいつも薬ではなかった。
夜、医務室の前を通りかかったハルに、ナナオが戸口から言った。
「規定を破らせた判断は、正しかったよ。正しかった、と書いた処方箋に、請求が付かんわけではないがの」
「……分かっている」
「分かっとるなら、ええ。請求書は、わしが先に読む。読んでから回す」
CA-77の戦時ログは、ほぼ無傷で回収された。
最終命令は、艦隊主力の撤退援護、追撃の遮断。命令はとうに果たされ、果たされたことを、誰も彼に伝えなかった。
量があったのは、通信記録の方だった。定時報告。宛先、第十一艦隊司令部。七年間、一日も欠かさず——本日異状なし。当該海域の遮断を継続す。補給を要請す。補給を要請す。司令部は終戦の年に解隊され、宛先はもうどこにも存在しない。報告は四千通を超えていた。輸送船十一隻の撃沈も、几帳面に戦果として報告されていた。受信者のいない戦果報告と、読み上げる声のない四千通の「異状なし」。
読んでいたハルの手が、止まった。再開するまでの時間を、艦橋の誰も計らなかった。
「保存します。百三十七件目と、百三十八件目です」
戦隊回線の向こうで、コルベルが沈黙ののちに言った。
「司令。……ログ回収の手順を、うちの艦にも教えてください。書式も。——戦没認定の、あの古い書式も、です」
「理由を聞いていいか」
「七分の一の側に立ったことがあります」と彼女は言った。「あの晩、誰かが、うちの三人の最後の三十分を整理してくれた。あれが手順でできることなら、手順として、持っておきたいんです」
帰投して、ハルは摘出痕の漂流体について報告書を上げた。
受領印は翌日に返った。文書番号、受領時刻、判の角度まで正規のものだった。
三日後、関連資料を引こうとして、彼は文書庫の検索が空を返すのを見た。文書番号は存在する。本文は、閲覧権限がありません。翌朝にはその表示も消え、文書番号ごと検索から消えた。
受領印だけが、手元の控えに残った。何かを受け取った、という判だけがあって、受け取られた何かは、もうどこにもなかった。