第122話 白い文書

 第四四〇日、凍結は予定どおりに解けた。
 浄火教団の審査請求は受理順の三番目に再開され、同日午後、使節船から連合外縁方面政務部へ正式文書が手交された。手交の場には政務部の次席と書記が立ち会い、受領印が捺され、副本がギルドと保安機構に回付された。手続きは完璧だった。完璧な手続きで運ばれてくるものの怖さを、ハルは七年前に一度、骨で学んでいる。
 公示される範囲だけでも、要求は二条あった。
 一。当該民間艦に搭載されたるTYPE-9自律戦術中枢の引き渡し、ならびに教団の手による焼却。
 二。当該艦が匿う「枷なき魂」の浄火。
 二条目には説明書きが付いていた。第百五十日前後——外縁第二星系航路帯で撃破された九百メートル級の中枢が、提出されないまま「焼失認定」された件。撃破証明の常識に反する認定と、満額の三割で引き下がった賞金業者。教団はあの減額の数字を、三百日かけて忘れずにいた。証拠は今もない。だが文書は証拠を要求していなかった。審査を要求していた。審査とは、証拠を作る装置の名前だ。
「正確な文書です」とツクモが評した。「一条目は事実です。二条目も事実です。事実だけで構成された文書は、反証で崩せません。崩せるのは、手続きだけです」
「分かってる」
「補足します。教団は本艦を告発していません。連合に、連合自身の協定を守れと言っています。TYPE-9の禁止は終戦協定第四条——連合が起草した条文です。敵の剣ではなく、艦長の側の剣を借りに来ています」
 借りた剣がいちばんよく切れることを、書いた本人たちが知っている。
 ギルドの窓口でも、白い文書は噂の頭を取っていた。等級も依頼も関係のない傭兵たちまでが、公示の写しを回し読みしていた。他人の異端審問は、酒場のいい肴だ。回し読みの輪から離れた窓口の上で、ミミナだけが、写しを裏返しに置いていた。
 手続きは、二日後の聴聞という形で来た。

 連合出先庁舎の聴聞室は、窓のない六角形の部屋だった。
 政務部の文官が三人、書記が一人、それから壁際に、白い祭服の陪席者が一人。教団の書記官は発言権を持たず、ただ記録していた。記録だけしに来た人間がいちばん怖いことを、ハルは書類の戦争で覚えている。発言は反論できる。記録は、反論する前に積み上がる。
「アマノ・ハル。貴艦の中枢の型式について、教団より疑義が出ている」と中央の文官が言った。「回答を」
「本艦の中枢は、軍の特例運用許可第〇〇七号の対象です。型式は機密指定の内側にあります。私には、答える権限がありません」
「権限がない、と」
「はい。お尋ねは許可の発行元へ」
「発行元は軍だ。軍は政務部の照会に、機密を理由に回答しない。つまり誰も答えない、ということになるが」
「様式上は、そうなります」
「貴官は、それで通ると思っているのか」
「思っていません。ですが様式は、思うかどうかを訊きません」
 書記の手元で、記録の頁が一枚進んだ。
 嘘は一つも言っていない。一つも言わずに、何一つ答えていない。文官は長く息を吐き、書類をめくった。
「文書二条の『枷なき魂』について。貴艦に、生体の管制装置なるものが搭載されているか」
「連合の公式見解では、そのような装置は存在しないはずですが」
 短い沈黙があった。文官は隣と目を見交わし、書面に視線を戻した。
「……存在しない。連合は、終戦協定に反する装置の存在を認めていない。存在しないものについての質問は、撤回する」
 壁際で、白い祭服の書記官の手だけが動き続けていた。撤回された質問も、撤回の言い回しごと、教団の記録には残る。
 存在しないものは、引き渡せない。七年間ヨルのような者たちを培養槽ごと埋めてきた隠蔽の壁が、いまは皮肉にも、彼女の盾になっていた。壁の冷たさは変わらない。守る向きが、たまたま今日はこちらを向いているだけだ。ハルは型どおりに礼をして、それを盾と呼ぶ自分の浅ましさを、礼の角度の分だけ自覚した。
 聴聞は四十分で終わった。結論は出なかった。結論を出さないことが、今日の結論だった。

 庁舎の階段で、ホークが待っていた。
「下手な答弁ではなかった」
「大佐」
「教団は手強いぞ。あれは法廷で勝つ組織ではない。法廷の外で、世論と票で勝つ組織だ。還らず艦の遺族は回廊に四千家族いる。その何割かは教団の椅子に座っている。遺族団体が政務部の前で祈りはじめれば、文官の腰は三日で砕ける」大佐は階段を一段下り、ハルの肩に手を置いた。「時間は俺が稼ぐ。お前は仕事を続けろ。猟犬が猟をやめたら、庇う理屈まで痩せる」
「……なぜ、そこまで」
 訊いてから、訊き方を間違えたと思った。ホークは笑った。
「七年前に払い損ねた分だ、と言ったら気が済むか。済まんでも、それ以上の説明は持ち合わせん」
 手を放し、大佐は階段の途中で一度だけ振り返った。
「それから——この先、停止命令の類が出ても、慌てるな。出る前提で動いている者は、出てから動く者より三日早い」
 恩人は先に階段を下りていった。軍にとって、この艦は火種でしかないはずだった。禁制の中枢、隠すべき娘、教団の正式文書。火種を三つ抱えた艦を庇って得をする者の顔を、ハルは思い浮かべようとして、やめた。守ると言われて射程を測るのは癖だ。癖だと、もう決めてある。
 その夜、ツクモが言った。
「本日の聴聞、議事録を保存しました。艦長。本艦を覆っている盾は三枚です。軍の機密指定、連合の隠蔽、大佐の言葉。三枚とも、本艦の所有物ではありません」
「……知ってる」
「借り物の盾の在庫確認を、定期業務に追加します。返却期限は、貸主だけが知っています」

 聴聞の日、ヨルは遮蔽区画で留守番だった。帰艦したハルに、彼女は訊いた。
「しろい船、まだ、いる?」
「いる」
「あの船、こわい」と彼女は言った。「うたが、ない。ふつうの船は、きかいの音が、うたみたいに鳴ってる。あの船は、しずかすぎる。……しずかにする訓練を、してる船」
 検波の艦だ、と言いかけて、ハルはやめた。教団の検波は彼女の肌に痛い。痛いものの気配を、彼女は桟橋二本ぶんの距離越しに、ずっと数えていたのだ。
「桟橋には近づくな。出るときも、遮蔽区画だ」
「わかってる。……ねえ、ハル。わたしの『じょうか』って、なに?」
 公示文の二条目を、どこかで聞いたのだ。ハルは一秒だけ、答えの在庫を探した。
「……お前を、いなかったことにする手続きだ」
「いなかったことに、は、もう、なってる」と彼女は言った。「しょくむらん、空欄だから」
 空欄の意味を、空欄にされている本人がいちばん正確に知っている。ハルはその夜、自分の答えの在庫の少なさを、帳簿のどこにも書かずに、ただ覚えた。

 月給は、十日遅れて入った。
 第四四二日。嘱託給与、八〇〇万cr。四回目。三回目までは一日の狂いもなく定刻に鳴った通知音が、十日黙ってから鳴った。経理の遅延ではない。どこかの机で、この支払いを続けるかどうかが十日議論されたのだ。遅れて届いた八〇〇万は、金額ではなく文章だった。まだ払う、と書いてある。いつまでとは、書いていない。
 帳簿を開く。残高一〇、二五三万cr。撃破数二十四。ハルは収入の欄に数字を写しながら、これが最後の入金になる場合の帳尻を、頭の中で先に組んだ。月の固定費が軍負担から戻れば、保険と港湾で九〇万、給与で五五万。収入はゼロ。賞金台帳は再開されたが、教団の異議が絡めば支払いは凍る。組んでみると、答えは簡単だった。貯えで五年は保つ。五年保つことと、五年後に艦と乗員が残っていることは、別の計算だった。
 ツクモが入金の記録に注記を付けた。
「十日の遅延を、異常として記録しますか。通常として記録しますか」
「……異常として」
「了解しました。異常は、続くと通常になります。境い目で報告します」
 第四四三日、《送り火》は出航した。受注済みの案件を、停止の紙が来る前に消化する——それだけの、まっとうな商売の針路だった。
 港外〇・二光秒。
「教団の監視艦、追従してきます」とツクモが言った。「距離を保っています。詰めも、離れもしません。……正確に、検分の距離です」
 白い点は、航跡の後ろに留まり続けた。急がず、熱中せず、手順どおりに。