第123話 駆け込みの猟
受注台帳の一番上にあったのは、第四星系航路の中型還らず艦だった。
識別符号AH-103。旧連合の病院船を収容艦に改装した艦体、全長三百四十メートル。武装は自衛用の近接火器だけだが、船体規模の牽引爪と、医療規約で動く頭を持っている。賞金一、二〇〇万cr。優先指定の解除で賞金台帳に戻った案件の中で、いちばん人が死んでいる獲物だった。台帳の備考欄には、過去の挑戦者が二組。一組は撤退、一組は連絡途絶、とだけある。
七年前、第四星系の入植地が戦災で焼けた。入植地の救難標識は予備電源でいまも生きていて、AH-103はその標識に七年間、応答し続けている。要救助者多数、収容に向かう、と。そして航路を通る民間船を「要救助者」と判定し、停船を命じ、牽引爪で抱き込もうとする。停船命令の文面は丁寧だ。貴船の損傷を確認、医療収容を行う、抵抗は症状を悪化させる。抵抗する船には「鎮静」のための無力化射撃が来る。機関を狙う射撃は外科手術のつもりで撃たれ、外科手術の精度では当たらない。直近一年で貨物船二隻、死者九名。生き残った乗員の証言によれば、爪に抱かれた船の中へ、医療通信が流れ続けたという。安心してください、収容します、と。九人の死者の最後の通信記録は、全員分、その医療通信に上書きされて終わっている。
「善意の命令ほど、手に負えんもんはないのう」とナナオが言った。「あれは一隻まるごと、署名の切れた処方箋じゃよ。書いた医者はもうおらんのに、調剤だけが続いとる」
「処方箋なら、破って済む」
「破る相手が紙なら、のう」
ハルが急いだ理由は単純だった。活動停止の紙は、もう書かれている。書かれた紙が政務部の決裁を巡り終えるまで、たぶん十日もない。台帳に載った獲物は、台帳から消える前に獲る。それを駆け込みと呼ぶ者は呼べばいい。あの航路では、次の貨物船が今月も停船命令を受ける。
挙動の記録から、ツクモが周期を割り出した。AH-103は五十三時間ごとに焼けた入植地の上空へ戻り、救難標識に正対して、収容状況を報告する。受信者のいない報告を打つ三十八分間、艦は標識に頭を向けて、ほとんど停止する。
「待ち伏せ位置は標識の電波の影。本艦は報告の間、艦の死角に入れます。所要は接近に十一分、杭の射点まで残り二分。障害は一点——報告の周期が崩れた場合、本艦は標的の牽引爪の作動半径内に取り残されます」
「崩れる要因は」
「航路上の民間船です。報告へ向かう途中で『要救助者』を検知すれば、標的はそちらを優先します。医療規約の優先順位は、死者への報告より、生者の収容が上です」
「……なら、航路の方を黙らせる」
ハルは航行警報の様式を呼び出し、当該区間に十二時間の臨時閉鎖勧告を書いた。準指定業者の権限で出せる、いちばん地味な紙だった。猟の支度の半分は、いつも書類でできている。
猟のあいだ、白い監視艦は〇・二光秒の外に留まっていた。手を出さず、目を離さず、検分の距離で。
一周期目は、見送った。
接近の角度が浅く、射点までの最後の二分で艦尾が標識の視野に入る計算だった。ツクモは中止を具申し、ハルは呑んだ。五十三時間がもう一巡する。時間の在庫の方が先に切れる猟だったが、急いだ猟の請求書は、いつも高くつく。待つ間、焼けた入植地が観測窓を何度も横切っていった。七年前の火災の痕が、大陸の縁に、消えない指紋のように残っていた。
ヴェインは待機の四十時間のうち三十時間を、舵の前で起きて過ごした。慣性だけの漂流は、操舵手の仕事がないように見えて、姿勢の崩れを呼吸で直し続ける仕事だった。
待機の途中、ハルは医務室に降りた。
「ドク。聴音、本当に要るか。録音でも周期は割れてる」
「要るかどうかで言えば、要らん」とナナオは言った。「じゃがな、本人が聴くと言うた。命令で聴かせるのと、決めたことを枠の中で守らせるのと——主治医としては、後の方を取る」
「……分かった。枠は俺が見る」
「枠の外で倒れた前例が、一度あるでな。前例は、二度目から統計と呼ばれる」
待ち伏せは二周期目に嵌まった。
焼けた入植地の上に、AH-103は定刻に来た。減速し、標識に正対し、報告を始める。ヴェインは機関を死なせたまま、標識の電波の影に艦を浮かべていた。慣性だけの漂流。骨市の番人とやった芸の、さらにもう一段静かなやつだった。
接近の間、ヨルは規定の十分間だけ、ナナオの立ち会いで管制波を聴いた。聴き終えて、彼女は言った。
「……よんでる。なまえを、じゅんばんに。だれも、いないのに」
「名前?」
「びょうしつの、なまえ。ひとりずつ。へんじのかわりに、つぎのなまえ」
ハルは射点までの十三分間、その言葉を聞かなかったことにする訓練をした。訓練は成功しなかったが、手順は狂わせなかった。それがこの仕事の、たぶん全部だった。
囮歌は使わなかった。報告の三十八分、あの艦の耳は七年前の入植地にしか向いていない。死角は技術ではなく、献身でできていた。死角を突くということは、献身を突くということだった。
杭は機関区の後ろ、中枢区画を一度で通った。
「撃破を確認。二十五隻目です」
聴音席の端で、ヨルが小さく言った。
「とまった。……よびおわらないまま、とまった」
牽引爪が、何かを抱き込む形のまま止まった。爪の内側には、何もなかった。七年間、一度も、何もなかった。
聴音はとうに終えていたのに、ヨルは医務室の寝台で目を閉じたまま、長いこと起きてこなかった。録音と違って、生の波は、終わり方まで届く。ナナオは経過を一行だけ報告に載せた。消耗、軽度。軽度、という言葉の値引きを、この艦では誰も信用していない。
戦時ログは、点呼だった。
収容者名簿。七年前の戦災の晩に入植地の行政府が打電した、負傷者三百十一名の名簿。AH-103はそれを受信し、全員分の病床を起こし、七年間、誰も乗っていない病床の点呼を続けていた。六時間ごとに名前を読み上げ、容態の欄に「変化なし」と記す。三百十一人の容態は、七年間、一度も変化しなかった。名簿の先頭は六歳の子供で、最後は七十一の老人だった。あの晩のうちに全員が死んでいたことを、打電した行政府だけが知らないまま死んだ。
ツクモが言った。
「保存しました。百四十件目です。……消去を推奨されますか、艦長」
「……いや」
「了解しました。推奨されないことを、記録します」
いつもの問答だった。いつもの問答が要るくらいには、いつもどおりではない名簿だった。
コアタグの回収と並行して、ハルは事務を一件片づけた。今回の杭は官給品だ。軍の作戦外、私的な賞金猟に使った官給弾薬は、台帳価格での買い取りになる。換算二五〇万cr。振込先は方面軍経理部。停止の紙が来る前に、貸し借りの欄だけは白くしておきたかった。葬儀屋の流儀というより、七年前に書類で殺された人間の、護身だった。
「備考欄の文言を確認します」とツクモが言った。「『作戦外使用に伴う弁済』でよろしいですか」
「いい」
「軍の経理が本件を読むのは、停止命令の決裁とほぼ同時になります。律儀さは、時に挑発と区別されません」
「……構わない。区別は、読む側の仕事だ」
「律儀じゃのう」とナナオが帳簿を覗いた。「軍の杭で獲って、軍に杭代を払って、賞金はまだ入っとらん。商売としては、どうなんじゃ、それは」
「商売じゃない部分の帳尻だ」
「ふん。そっちの帳簿は、利子が高いんじゃがな」
残骸の軌道を整え始めたところで、警報が鳴った。
「縫航反応。教団艦です」とツクモが言った。「監視艦ではありません。一回り大きい——巡察艦級。本宙域へ直行針路。監視艦は針路を変えません。役割の交代です。見る係から、来る係へ」
白い艦は減速しながら通信を開いた。平文、全周波数。様式ばった宗務文書の文体が、音声で読み上げられる。
「浄火教団宗務院の権能において告げる。当該宙域の撃破案件につき、現認を行う。あわせて要求する——撃破証明たる中枢残骸、すなわち魂の証の引き渡しと、教団の手による焼却を」
「賞金の証明書類を、焼かせろと言ってる」とハルは言った。
「要求の法的根拠は確認できません」とツクモ。「ですが先方は、法を取りに来ていません。映像通信、開いてきます。受けますか」
「砲門は」
「閉鎖のままです。交戦の意図は観測されません。ただし検波は、桟橋のときの三倍です」
「受ける」
モニターが灯った。
白い艦橋。白い騎士装束。背に負った得物の柄が、肩の上に覗いている。三百日前、テネブラエの桟橋でハルの顔を「覚えた」と言った女が、画面の中央に立っていた。
「異端者」とセルマ・ヴィオは言った。「久しいな。——検分する。動くな」