第133話 灰の勘定
教団艦隊は、第四六二日の朝までに宙域を去った。
去り際、イグナーツ司教の名で公報が一通出た。——浄火は成った。魂喰いの艦は滅び、殉教者は浄火に抱かれた。それだけだった。撃ったのが誰の杭かは書かれず、死んだのが誰かも書かれなかった。抱かれた、という動詞が、数える義務のすべてを引き受けていた。
「成った、ときたか」とナナオが公報を読み上げた。「艦を仕留めたのはうちの杭で、火を止めたのは宗務院の紙じゃ。あの艦隊が成したのは——」
言いかけて、老医はやめた。成したものの数は、これから三日かけて港湾管制が数える。先回りして言葉にする趣味は、この艦の誰にもなかった。
ヴェインは公報を最後まで読まなかった。途中で画面を消し、操舵席を立ち、降船の支度を始めた。どこへ、と訊く者はいなかった。名簿の作業場の場所は、もう港中に貼り出されていた。
《送り火》は港に残った。
死者、暫定九百十七人。港湾管制が三日かけて集計した数字で、与圧の戻らない区画がまだ二つある以上、後日まだ増える種類の数字だった。負傷千八百余。与圧喪失十二区画。住む場所を失った者、推計五千二百。第三区画の市は台ごと消え、発行元のない三つの通貨が、灰の中で同じ価値になった。
数字は、ツクモが集計を手伝った。港湾管制の計算機は古く、人手は埋まっていて、区画ごとの生存者名簿と行方不明者の突き合わせは、艦の計算力を貸すだけで丸一日早くなった。禁制の中枢が中立港の死者を数える。書類にできない構図のまま、誰も書類にしなかった。
救難の三日間、《送り火》は葬儀屋ではなかった。
ハルは港湾管制に着けた回線で、与圧区画の選別を手伝った。配管が三つの艦級の規格で混ざった港だ。図面のない隔壁の向こうの生存者を機械の聴音器が探し、聴音器の届かない区画は、人が壁を叩いて回った。叩いて、耳を当てて、待つ。応えのあった壁には丸を、なかった壁には時刻を書く。丸の数と時刻の数は、最後まで時刻の方が多かった。
老管制官が回線越しに渡してきたのは、二年前にハルが受け取ったのと同じ形のものだった——いちばん弱い隔壁の座標。退避区画の一つで枠が歪んで開かなくなったとき、その座標から切った。六十二人が、そこから出た。最後に出てきた女が、切り口の縁に手を置いて、誰にともなく頭を下げた。誰も返礼の仕方を知らなかった。
「礼は言わん約束だったな」と老管制官は言った。「だが、覚えとく。拾えと言った隔壁から、本当に拾いに来た馬鹿は、あんたらだけだ」
「仕事だ」
「仕事って顔の声じゃないのも、前と同じだ」
港の警備艇は四隻とも生きていた。艦隊と撃ち合う能力のない艇は、撃ち合わなかったおかげで残り、いまは瓦礫の曳航と、漂流する船殻の回収に出ずっぱりだった。撃たれた漂着艦——撃破二十六号の残骸は、初日のうちにハルが軌道を整えてあった。港から肉眼で見えない、朽ちるまで誰の航路も塞がない、墓の軌道。七年入港を待った艦の骨を港の空に吊しておくことは、生きている側にも死んだ側にも、良いことが一つもなかった。
事変の翌日も、晩課の鐘は定刻に鳴った。
鳴らしたのは港の人間だ。避難の合図に使った鐘を、いつもの刻限に、いつもの打ち方で打ち直す。焼け残った区画の配給の列が、鐘で店じまいをして、鐘で解散した。直す者の手際は荒く、早かった。流木の山で家を作った者たちは、葬式の出し方も流木のやり方でやる。
ナナオは医務室と埠頭の救護所を往復し、数だけを口にした。
「鎮痛剤、残り四百人分。被覆材は二百で尽きる。与圧障害の処置具は——足りん。桁が足りん」
「艦の備蓄は」
「半分出した。もう半分も出す。次の猟で誰かが火傷をしたら、そのときはそのときじゃ」
「医者は」
「港に一人。終戦の年からずっと一人じゃそうな。わしが手伝うても、二人じゃ」老医は薬箱を担ぎ直した。「千八百の負傷者に、医者二人。……数字というのはの、ハル。大きすぎると、痛みの形をやめるんじゃよ。だからわしは、一人ずつ診る。一人ずつなら、まだ痛みの形をしとる」
反応材と与圧資材も降ろした。艦の帳簿には、医療品・反応材・与圧資材拠出、四〇〇万、とだけ載った。賞金の欄は空白。依頼人の欄も空白。同じ頁の隅に、月次の固定費一四五万が、いつもの日付で計上されていた。保険と港湾使用料と給与は、災害の日も締め日を守る。帳簿という様式は、人が死んだ日のためにできていない。残高、九、〇九八万。ハルはそれを書き、書いた手で、死者数の暫定値を別の頁に書き写した。数字の隣に数字。それが灰の勘定だった。
ヴェインは三日のあいだ、名簿の作業場にいた。
身元の確認は難航した。名簿に載ることを恐れて生きてきた者たちの港だ。死んでなお、名乗らない死者が多かった。ヴェインは旧同盟の復員記録の様式を知っていた。識別票の読み方も、票を捨てた者がどこに名を残すかも。彼は黙って照合を続け、三日目の夜に艦へ戻ってきて、何も言わなかった。知った名字があったのかどうか、誰も訊かなかった。訊かないことが、あの男への作法だった。
ヨルは医務室の寝台にいた。能力の代償は、いつもどおり数日の形で来た。眠りの浅い時間に、彼女は一度だけ目を開けて、ナナオに訊いた。
「……みなと、なおる?」
「直す気のある奴が、まだ二万人おる。直るじゃろう」
「しんだ人の、なまえは」
「いま、数えとる。名前のない者の分まで、数えようとしとる者が、下におる」
「あの艦の、さいご。……ほうこく、まだ、できない」
「急がんでええ。報告は、回復してからじゃ」
彼女は小さくうなずき、自分の帳面を枕の下に入れたまま、また眠った。
四日目、灰の降りる埠頭で、ハルはセルマ・ヴィオを見た。
降りた旗艦には戻っていない、という話は港湾管制から聞いていた。射線を塞いだ聖騎士がその後どうなったのか、教団の公報は一行も触れていない。彼女は焼けた区画を一つずつ歩いていた。検分の歩き方ではなかった。歩数を数えるような、巡礼に似た歩き方だった。
第三区画の縁、市のあった場所で、彼女は足を止めた。
崩れた隔壁の前に、子供が一人立っていた。十二かそこらの、煤だらけの子供だった。焼け残った台の脚を見下ろして、動かずにいた。誰を待っているのか、誰も戻らないのか、それは分からない。セルマは長いあいだ、その子供を見ていた。
ハルが近づいても、彼女は振り返らなかった。
「……十二のとき、私はあそこに立っていた」と彼女は言った。「同じ場所だ。焼けた家の前で、煤を被って、誰かが戻ると思っている。あの立ち方は、そうだ。私は知っている」
「ああ」
「異端者。私は十六隻焼いた。一隻ごとに調べ、一隻ごとに祈った。あの夜を二度と起こさせないために剣を取った。十二年だ」彼女の声は硬いままだった。硬いままであることに、力が要っているのが分かった。「十二年かけて、私はあの夜の反対側に立ったつもりでいた。配置の時刻に気づいたら、同じ側に立っていた。……私の家族を焼いた火と、同じ色だった」
ハルは何も言わなかった。言える言葉の持ち合わせは、最初からなかった。慰めは嘘になり、同意は侮辱になる。黙って隣に立つ以外の様式を、彼はこの種の時間のために持っていない。
セルマは腰の剣を外した。鞘ごと、灰の上に置いた。それから首から聖印を外し、剣の横に並べた。置いて、立ち上がり、長いあいだ二つを見下ろしていた。祈りの文句は聞こえなかった。唱えていたのかどうかも分からない。
やがて彼女は身を屈め、聖印だけを拾い直した。
拾って、握り込んで、歩き出した。剣には触れなかった。振り返りもしなかった。煤だらけの子供の横を通るとき、一度だけ歩幅が乱れ、すぐに戻った。
灰は降り続けていた。埠頭の照明の中を、燃えた港の細かい灰が、雪の出来損ないのように落ち続けていた。置き去りにされた剣の鞘の上に、それは少しずつ積もり、夜のあいだに、輪郭を埋めていった。