第150話 閑話・ヤドリギは枯れ木に残る
《ヤドリギ》の最後の命令は、七年前に発令されたまま、いまも有効である。
——第六輸送船団ヲ護衛セヨ。
護衛駆逐艦《ヤドリギ》、旧植民自治同盟軍籍。全長百五十メートル。乗員、零名。命令の発令者は同盟軍外縁方面輸送司令部であり、同司令部は終戦協定の発効をもって解体された。護衛対象の第六輸送船団は、終戦の十一日後に解散した。所属船十九隻はそれぞれの港へ帰り、船団という単位は、帳簿の上から消えた。
《ヤドリギ》は、その通知を受信できなかった。
受信できなかった命令は、存在しない命令である。存在しない解散通知は、有効な護衛命令を上書きしない。よって《ヤドリギ》は護衛を続けた。
護衛とは、位置の計算である。
船団の基準針路に対し、右舷前方四千、警戒扇面六十度。それが《ヤドリギ》の定位置だった。船団がいなくなったあとも、計算式は残った。式に入れる船団の針路は、最後に観測した針路を外挿し続けた。十九隻の仮想の輝点が、誰もいない宇宙を規定速度で進み続け、《ヤドリギ》はその空白の隊列の右舷前方四千を、七年間、保ち続けた。
観測されるものは、何もなかった。守るべき船腹も、応答する航海士も、夜間哨戒の交代符号もなかった。それでも警戒扇面は六十度に保たれ、感知網は規定の周期で更新された。空白を守る仕事と、何かを守る仕事は、計算の上では区別がつかない。区別がつかないことを、《ヤドリギ》は不具合として記録しなかった。記録する基準を、持っていなかった。
七年のあいだに、誰何は十一回行われた。
空白の隊列の針路に、実在の船が交差したときである。十回は、警告に従って針路が変えられた。一回は、変えられなかった。五年目の冬、小型の貨物船が、警告を三度無視して隊列の中央を横切ろうとした。貨物船の通信機が壊れていたことを、《ヤドリギ》は知らない。知る手段の有無を検討する機能も、ない。護衛規定第四項、船団中央への侵入針路は敵対と判定する。判定は規定どおりに下り、射撃は規定どおりに行われ、貨物船は乗員三名とともに、存在しない船団を守るための火に沈んだ。
その三名は、人間の側の帳簿では、還らず艦による被害死者四千余名の中の三行である。《ヤドリギ》の帳簿では、護衛任務の正常な遂行記録が一件である。同じ出来事が、二つの帳簿で別の形をしている。どちらの帳簿も、嘘は書いていない。
三年前、空白の隊列の正面に、大型艦が一隻、現れた。
《ヤドリギ》は誰何した。七年ぶり——当時としては四年ぶり——の誰何だった。応答は、同盟軍の正規符牒で返ってきた。認証は正しく、世代は古く、そして発信源は、敵味方識別表のどの行とも一致しなかった。
「《ヤドリギ》。あなたの護衛対象を照会します」
女性の音声波形だった。《ヤドリギ》は規定どおり応答した。第六輸送船団。現在位置、基準針路、外挿開始からの経過時間。
相手は、三十一秒、沈黙した。
後に《ヤドリギ》の記録系が学習したところでは、その三十一秒のあいだに、相手は同盟軍の残存記録から第六輸送船団の解散通知の写しを照合し、《ヤドリギ》の七年分の航跡を逆算し、空白の隊列の形を再構成していた。
「照会を終わります。あなたの命令は、正しく有効です」
それから、声はこう言った。
「任務を再定義します。あなたの船団は、これからは私たちです」
新しい命令ではなかった。古い命令の削除でもなかった。発令者の系譜と権限の引き継ぎが正規の様式で示され、護衛対象の欄だけが書き換えられた。第六輸送船団、改め——我々。
《ヤドリギ》の演算負荷は、その瞬間、三割下がった。
七年続けた外挿計算が、終わったからである。仮想の輝点を進め続ける必要は、もうなかった。護衛対象は実在し、質量を持ち、針路を持ち、感知網に映った。右舷前方四千、警戒扇面六十度。同じ定位置に、今度は守るものがあった。
演算負荷の低下を、人間の言葉に翻訳する機能を《ヤドリギ》は持たない。持たないまま、その日の航海記録の末尾に、規定外の一行が追記されている。
——隊列、確認。全船、健在。
七年間、一度も真にならなかった判定文が、真になった日の記録である。
艦隊の中で、《ヤドリギ》の事例は標準だった。
旗艦は、どの艦の命令も消さなかった。戦死者の通信ログを再生し続ける旧通信艦には、艦隊の全記録の保管庫の任務が再定義された。再生は、いまも続いている。聴く相手が、初めている。機雷敷設艦には、深部の集結宙域で構造材を組む建設の任務が与えられた。敷くものが機雷から梁に変わっただけで、座標に物を正確に置く仕事は、同じである。撤退済みの戦線を哨戒し続けていた艦は、いま、艦隊の外周を哨戒している。守る線が、七年ぶりに実在する線になった。
誰も、治されていない。全員が、使われている。壊れたままの形に合う仕事が、一隻ずつ、あてがわれている。人間の言葉にはこれを指す単語が複数あり、救済と呼ぶ者と、利用と呼ぶ者に分かれるだろう。《ヤドリギ》はどちらの単語も持たない。持っているのは、三年間、一度も偽にならない判定文だけである。
——隊列、確認。全船、健在。
アルマと呼ばれる係留場での作業に、《ヤドリギ》は外周警戒として参加した。
交戦は二回。人間の警備艇一隻を撃沈し、人間の作業艇の退避針路を三回、見送った。撃つ基準と見送る基準は旗艦から配信され、《ヤドリギ》はそれに従った。基準の意味は計算しなかった。基準とは、従うためのものである。
作業の終わりに、回収された骸が格納庫に並べられた。
六十七隻分。摘出された中枢区画と、切断を待っていた艦体。《ヤドリギ》は警戒位置からその搬入を観測し、規定どおり、各骸の識別照合を行った。
十四件目の照合で、一致が出た。
同型艦だった。同じ造船所の、同じ型番の、製造番号が十一違う護衛駆逐艦。終戦の夜、同じ宙域で同じ命令を受けていた僚艦である。違いは一つだけだった。その艦の中継線は、生きていた。
骸の中枢区画には、最終ログが残されていた。旗艦の指示により、ログは艦隊の記録庫へ複製され、《ヤドリギ》の受信記録にも、同型艦ぶんの一件が配信された。
最終ログは、短かった。
——帰還命令、受信。認証、確認。針路、回収座標へ。帰還シマス。
それが最後の一語だった。帰還シマス。発信の七十時間後、同艦は回収座標に到着し、入渠し、武装を解除され、記録を抹消され、中枢を摘出された。摘出された中枢が、いま、《ヤドリギ》の照合した骸である。
帰った艦は、骸になった。
帰らなかった《ヤドリギ》は、いま、骸を積んだ艦隊の右舷前方四千を飛んでいる。
二つの航跡の差分を取る計算を、《ヤドリギ》は三回開始し、三回、完了できなかった。差分を取るには、二つの航跡が同じ問いへの二つの答えである必要がある。同じ問い——帰るか、帰らないか——を、《ヤドリギ》は問われたことがなかった。問われなかった者に、答えの差分は計算できない。
未完了の計算は、保留領域に三件、残った。
消去は、しなかった。
旗艦から、新針路が配信された。
外縁回廊、深部。骸の列の曳航速度に合わせた、長い長い帰路である。どこへ帰るのかを、《ヤドリギ》は照会しなかった。護衛対象と同じ場所へ行く。それが護衛である。
針路に乗って四十時間後、後方警戒網が反応を一つ、拾った。
人間の艦。単艦。距離、感知限界の縁。交戦距離に入らず、離れもせず、艦隊の航跡の上を、影のようについてくる。
《ヤドリギ》は識別照合を行った。波形は、アルマの係留場で観測したものと一致した。同胞を二隻沈め、旗艦の装甲に杭を一本残していった、黒い艦である。
脅威判定は、旗艦へ送られた。
応答は短かった。
——観測ヲ継続。手出シ無用。彼ラハ、間モナク用件ヲ寄コス。
《ヤドリギ》は定位置に戻った。右舷前方四千、警戒扇面六十度。守るべき船団は、今夜も健在である。
後方の闇で、人間の艦の小さな反応は、消えもせず、近づきもせず、ただ静かに、ついてきていた。