第157話 死亡認定
ヴェイン・コルサクの死は、どの書式にも収まらなかった。
連合軍籍ではないから、戦死の書式が使えない。戦功記録には載らず、連合の慰霊名簿にも載らない。同盟の軍籍は同盟ごと消滅しており、残っているのは戦犯リストの一行だけで、リストに死亡の欄はあっても、死因を書く欄はなかった。傭兵ギルドの登録上は《送り火》の嘱託乗員であり、嘱託乗員の死を扱う書式は、一種類しかなかった。
——戦闘中行方不明、のち死亡認定。
前進泊地に戻った翌日から、ハルはその書類を書いた。
行方不明、という言葉の不正確さを、彼は知っていた。行方は分かっている。座標も、時刻も、感知網の記録も全部ある。分からないのは行方ではなく、遺体と艦の所在だけだ。だが書式は座標を訊かず、遺体の有無だけを訊いた。回収、不能。確認者、なし。よって行方不明。のち、死亡認定。
七年前、彼自身を軍から消した書類も、こういう言葉でできていた。本人の言い分を訊く欄のない、正確で、嘘のない、何ひとつ本当のことを書けない書式。ハルはその書式の言葉で、戦友の死を清書した。誤字は一つも出さなかった。判は真っ直ぐに捺した。怒りで書けば書類は戻ってくる。戻ってくれば、認定が遅れる。遅れて困るのは、死んだ男の事務の始末だった。だから彼は、事務の精度だけで怒った。
コルベルの報告書は、先に提出されていた。
軍艦《迎え火》の喪失審問のための書類だった。彼女は見たままを書いた。操艦要員一名を残し、総員退艦。残った一名の氏名、ヴェイン・コルサク。同艦は殿戦を遂行し、追撃十二隻のうち五隻を無力化または撃破せしめ、船団五百三十一名のゲート到達に直接寄与した。艦の引き渡しは艦長たる本職の判断であり、責は本職にある。
参謀部から、表現の修正を求める照会が来たという。同盟出身の戦犯リスト記載者に軍艦を委ねた経緯を「やむを得ざる徴用」と書き直せ、と。コルベルは観測記録を添付して、原文のまま再送した。
「三回目の照会が来たら、どうする」
「観測記録を、もう一部添付します」と彼女は言った。それから、少しだけ間を置いて、付け足した。「……あの人は、私の艦を借りると言いました。徴用された人が、借りるとは言いません」
《迎え火》の乗員たちは、泊地の仮設区画に収容されていた。
艦を失った乗員というのは、軍隊の中でいちばん置き場所のない人々だった。五十余名が、私物の袋を一つずつ持って、転属先の決まらない日々を整列で潰している。ハルが通りかかると、誰も敬礼をしなかった。代わりに、手近の数人が黙って姿勢を正した。敬礼は規定の動作で、姿勢を正すのは規定外の動作だった。規定外のほうが、重かった。
機関長が一人、列を離れて近づいてきた。年配の准尉で、両手に図面の束を抱えていた。出力系統の艦橋直結の、組み替えの図面だった。
「お返しします」と機関長は言った。「艦は還りませんでしたが、図面は手元に残ってしまったので。……規定では、廃棄です。規定どおりにできる気がしないので、持ってきました」
ハルは図面を受け取った。二時間二十分の仕事の図面だった。この線の一本一本が、五十余名を降ろし、一人を乗せた。受け取って、彼は遺品の目録の最後に一行足した。受領物、一件。出所、《迎え火》機関科。
遺品の整理は、ナナオと二人でやった。
ヴェインの自室は、駆逐艦の士官室のように整っていた。寝台の毛布の角。磨かれた靴。私物は少なく、少ないものが全部、決まった場所にあった。
棚に、配給の酒瓶が一本。半分だけ減って、蓋は固く閉まっていた。
引き出しに、同盟軍の古い階級章。中佐。布の台座が擦り切れるまで、何かの折に触られてきた形をしていた。
操舵手袋の予備が一組。解れを縫った針目が、几帳面に揃っていた。
そして、小さな端末が一つ。ナナオが起動すると、名簿が表示された。百十二名。《グロム》の戦没者だった。百四十三から三十一を引いた数。階級と、名と、出身地と、命日。命日は全員同じだった。名簿の更新記録は七年分続いていて、最後の更新は出撃の前夜だった。誰かの出身地の欄が、空白から埋められていた。七年かけて、一人ずつ調べていたのだ。
「……この男もな」とナナオが言った。「帳簿を、つけとった」
誰にも言わずに。完済のない引き算を、毎晩。
端末の脇に、封をした封筒が一通あった。表書きは短かった。第二星系、造船所気付。《グロム》機関科。——要らんと言われた返事は、書き上がっていた。投函だけが、まだだった。
ハルは封筒を預かった。中は読まなかった。読む権利のある人間は、宛先に一人いるだけだった。
操舵席の脇の壁には、同盟製の古い星図が掛かったままだった。
艦の備品ではない。ヴェインの私物で、遺品の目録に載せるべきものだった。ヨルが、目録を作るハルの袖を引いた。
「これは、ここ」と彼女は言った。「……ヴェインの、ほし。ここから、みえるところに、ないと、だめ」
操舵席から見える角度に掛かっている、という意味だと分かるまで、数秒かかった。ハルは目録の星図の行に、保管場所、現状のまま、と書いた。書式の備考欄が、初めてまともな仕事をした。
クルーは、それぞれの形で黙った。
ナナオは医務記録の乗員一覧を開き、操舵手の頁を閉じた。閉じる前に、七百日分の診察記録を最初から最後まで読み直した。酒の量の記録が、頁を追うごとに減っていく。最後の頁の所見欄に、老医は一行だけ書き足した。経過、良好のまま終了。
ツクモは、沈黙した。
定時報告から、乗員状態の読み上げが一項目減った。減ったことについて、彼女は何も言わなかった。提案もなく、確認もなく、最適解の提示もなかった。ツクモが何も言わないことが何を意味するのかを、正確に知る者はこの艦にいなかった。ただ、夜のあいだ、保存領域の照合の灯が、いつもより長く点いていた。
ヨルは、操舵席の手袋の位置を直した。
毎朝直した。誰も触っていないのに、毎朝、一度手に取って、同じ場所に置き直した。三日目の朝、彼女は手袋を置いたまま、低い声で言った。
「……おいかけて、しずめれば」
言葉は、そこで止まった。八隻の追撃個体。深部の艦隊。沈める対象の目録が、彼女の中で作られかけているのが、止まった言葉の形で分かった。
「ヨル」
ハルは、静かに遮った。
「あいつの仕事を、そういう話にするな」
ヨルは手袋を見たまま、長く黙った。それから、小さく頷いた。
「……うん。ヴェインは、しずめるために、いったんじゃ、ない」
「逃がすために行った。逃げた俺たちが、その仕事の結果だ」とハルは言った。「結果が復讐を始めたら、あいつの仕事は別の名前になる。させるな。俺にも、お前にもだ」
誓いの言葉は、誰も口にしなかった。この艦の喪は、誓わないことでできていた。
事務の始末は、死の後も几帳面に続いた。
給与の精算。月二十五万クレジットの固定給の、当月日割り、八万六千。支払先の口座は本人名義で、本人はもういない。供託の手続きには相続人の調査が要り、調査の書式には本籍地の欄があり、本籍地は解体された同盟の、もう存在しない行政区の名前だった。存在しない場所の出身者の、存在しない口座への、八万六千クレジット。書類は三つの机を回って、どの机でも処理できずに、ハルの机へ戻ってきた。彼はそれを保留の箱に入れた。保留の箱は、この七年で何でも知っている箱だった。
五日目に、ギルドの中継便で事務通知が一通届いた。
傭兵ギルド外縁支部連合、共済部。死亡保険金の支払い通知。被保険者、ヴェイン・コルサク。保険金額、一千二百万クレジット。
受取人の欄に、印字された名前があった。
——アマノ・ハル。
空欄だったはずの欄だった。いつ書き換えられたのかを、通知の紙は教えてくれなかった。ハルは通知を机に置き、置いた紙の上の自分の名前を、長いこと見ていた。