第198話 戦没録

 『還らず艦戦没録』は、第六九五日の朝、公開された。
 中央の官報に正本が収載され、写しがギルドの全支部端末と、保安機構の閲覧室と、報道の紙面に同時に流れた。百八十八件の最終ログ。空の頁が五件。撃破の日付と宙域、最後の命令の原文、そして保存者の名——TYPE-9・九十九号機、ツクモ。大戦中の僚艦狩り百十四件の記録も、隠さずに載った。葬送艦計画の三十年は、それで初めて、噂ではなく歴史になった。
 ソフィ・ラングの一面は、その日の朝に出た。
 見出しは飾りのない一行だった。「戦没自律艦、初めて戦史に載る」。記事の半分は、題名を巡る役所との攻防に割かれていた。軍は最後まで「処分済自律艦記録」を主張し、彼女は最後まで「戦没」を譲らなかった。決め手は、文書課の若い事務官が規程集から探し出した一文だったという。戦没とは、戦争に起因して没した者を言う。者、の一字が機械を含むか否かの解釈論を、事務官は一晩で書き上げ、含まないと断ずる規程は存在しない、と結論した。記事はその顛末を載せ、最後にこう結んでいた。言葉の戦争は、いつも本物の戦争より長い。今回は、言葉の側が勝った。
 ギルドの端末の前には、朝から列ができた。
 ミミナは窓口から、その列を一日見ていたという。還らず艦に夫を殺された者が、夫を殺した艦の最後の命令を読みに来た。還らず艦になった艦に息子が乗っていた者が、息子の艦の最終ログを探しに来た。殺された側と、殺した艦の側が、同じ列に並んだ。列は静かで、読み終えた者は皆、少しのあいだ端末の前を動かなかった。動けない時間ごと含めて、墓参りというものだった。
 列の中に、ロー商会の制服の青年がいた。
 ユーリは休憩時間を使って並び、検索の欄に、骨市の番人の識別符号を打った。DE-09。緋蓮団にいた頃、仲間内で「門番の親父」と呼んでいた艦だった。最終ログには、七年間、誰も来ない集積地の入口を守り続けた哨戒記録が並んでいた。彼はそれを最後まで読み、読み終えてから、自分でもよく分からないまま、端末に小さく頭を下げて、仕事に戻った。商会の倉庫では、戦没録の写しを全商船に積み込む作業が始まっていた。ウェンディゴ・ローの指示だった。摘要欄には、航路上残存還らず艦の照合資料として、とあり、その下に手書きで一行、商人は墓碑も役に立てる、許せ、とあった。
 全員が、列に並んだわけではなかった。
 公開の翌日、ギルドの意見受付には抗議が四十一件積もった。人殺しの機械に墓を作るのか。うちの娘を轢き潰した艦の「最後の命令」とやらを、国の歴史に載せて、誰が救われる。文面は様々で、どれも正しかった。戦没録は、その抗議を一件も論破しなかった。被害の欄、という頁が各艦のログに付いていて、そこには撃たれた側ではなく、撃たれる前にその艦が殺した人間の名前が、分かっている限り全部、並んでいた。墓地は、殺した側の罪状を消さない。並べるだけだ。並べることしかしない、と決めて作られた墓地だった。抗議の何件かは、後日、閲覧の列に並び直した。並ばなかった者の数は、誰にも数えられない。
 教団の管区では、アッシュ司教が写しを聖堂に納めた。
 焼くべき禁制の記録を祈りの場に置くことに、強硬派は猛抗議し、老司教は一枚の文書で応えたという。これは機械の記録ではない。機械に殺された者と、機械として死んだ者の、双方の名簿である。名簿を焼く教義は、わが教団に存在しない。——抗議は、教義論争の棚で止まった。セルマの「選り分けの会」は発足の届けを出したばかりで、会員は六名だった。六名から始まらなかった改革を、教団の歴史は知らない、と届けの末尾に書いてあった。

 艦の上にも、その日の反響は届いた。
 閲覧数の集計が、夕方ごとにギルド経由で送られてくる。初日、一万二千。二日目、三万を超えた。ツクモはその数字を、遅い頭で一晩かけて検分し、翌朝の食卓で報告した。
「閲覧の最多は、百八十一件目。《晦》です。次が、KC-118。帰還命令の復元で誘い出した、通信中継艦」と彼女は言った。「……三番目が、空の頁でした。声のない五件の頁を、九百人が開いて、九百人が、何もないものを読みました」
「何もなくは、ない」とハルは言った。「空白の読み方を知ってる人間が、この回廊には大勢いる。それだけだ」
 受理番号〇〇一の閲覧者からは、ギルドの様式で短信が一通来た。読んだ。僚艦の名が、あった。手順書どおりのいい機関員だったと、ログで分かった。礼は言わん、こちとら正規の申請料を払っとる。——以上。差出人の氏名の欄は、今度も隅まで丁寧に書いてあった。
 同じ週、中央の紙面の隅に、二つの小さな記事が載った。
 一つは軍法会議の判決。グレアム・ホーク元大佐、懲役および官位剥奪。罪状は越権と公文書偽造と命令系統の僭称で、四千十二人も、九百人も、ヴェイン・コルサクも、判決文のどの行にもいなかった。もう一つは議会の動き。還らず艦被害遺族への国家賠償の特別法案が、戦没録の公開を受けて発議された、という三行の記事だった。成立の見込みについて、記事は何も書いていなかった。ミミナの言葉が、たぶんいちばん正確だった。紙は、相手の名前さえあれば、何年でも待てる。名前は、もう全部、墓地に揃っている。
 《送り火》の退役届に、ハルが署名したのは、公開から三日後だった。
 艦籍簿の抹消、武装解除の検認、係留墓地第三区への移動日程。書類は全部で十九枚あり、彼は十九枚全部の備考欄まで埋めた。最後の一枚は、艦歴の要約だった。建造、大戦末期。所属、葬送艦計画。戦後の航跡——撃破三十八、護衛と封鎖解除と特命討伐、損耗、操舵手一名。
 操舵手一名、と書いた行の上で、ペンが少しだけ止まり、それから動いた。
 書き終えた書類を港湾管理局に出しに行った帰り、埠頭で、見知らぬ老女に呼び止められた。喪服に近い色の外套を着た、小柄な人だった。
「——葬儀屋さん、だろう」
 ハルは足を止めた。その名で呼ばれて足を止めるのは、ずいぶん久しぶりだった。罵声でも、畏怖でもない声音で呼ばれたのは、たぶん、初めてだった。
「うちの人の漁船はね、五年前に、機械の艦にやられたんだよ」と老女は言った。「ずっと、何にやられたのかも分からなかった。役所は事故だと言うしね。……昨日、孫が端末で調べてくれた。載ってたよ。あんたが三年前に沈めた艦の頁に、うちの人の船の名前が、被害の欄に、ちゃんと」
 ハルは何も言えなかった。撃破十一号の頁だ、と頭の中の帳簿だけが正確に答えた。
「仇を討ってくれて、とは言わないよ。あれも誰かの船だったんだろ、読んだら分かったよ。ただね」と老女は言った。「うちの人がどこで死んだか、やっと墓に報告できた。それはあんたの作った墓地のおかげだ。だから、それだけ」
 老女は深くも浅くもない礼を一つして、雑踏に戻っていった。
 葬儀屋。八年かけて、畏怖になり、憎悪になり、信用になった名前が、いま、四つ目の通貨に両替された。その通貨の名前を、ハルはまだ知らなかった。知らないまま、懐の帳簿が、少しだけ軽くなった気がした。気のせいかもしれなかった。気のせいでない場合の意味を、今夜は考えてもいい気がした。
 夕方、港湾管理局から追伸の通知が来た。
 戦没者の壁の隣に、新しい壁の建立が議会で発議された、という一報だった。刻むのは、人の名ではなく、艦の名。可決の見込みは五分五分、予算の欄は空欄、とあった。カンプの分署からは同じ件で短信が一本。「予算外だ。だが、貸しにする相手をもう見つけた」。
 夜、艦橋でツクモが訊いた。
「艦長。本日の閲覧数の中に、一件、分類できないものがありました。深夜、外縁第七星系の中継局経由。閲覧箇所は、空の頁の五件のみ。滞在時間、四時間。申請者の欄は——空欄でした」
「……機械か、人間か」
「判別できません。判別できないものの欄を、私は持っています」と彼女は言った。「保留に、入れておきます」
 係留墓地への移動は、週明けと決まった。
 黒い艦の、最後の航海だった。