第004話 殺すための艦
艦長就任から最初にやったことは、寝ることでも食うことでもなく、点呼だった。
乗員一名、中枢一基、艦一隻。点呼はすぐ終わる。次にやるべきことを、軍隊は体に教え込んでいる。装備目録の確認だ。自分が何を指揮しているのか知らない指揮官から、人は死んでいく。
「艦長権限を確認しました。目録を開示します」
戦術席の主スクリーンに、艦の全体図が展開された。区画図、機関系統、配管、配線、兵装。ハルは通信屋の目でそれを上から順に読んでいき、三分の一も行かないうちに、読む速度が落ちた。
「……兵装区分から先に出せ」
「開示します。主兵装、徹甲貫入弾体——制式呼称『中枢杭』。残弾三」
図面が出た。全長九メートルの杭だった。弾頭に炸薬がほとんどない。質量と貫入体形状だけで装甲を抜き、艦体深部の一点で運動エネルギーを捨てる設計。一点、というのが目録に明記されていた。想定貫入目標:自律中枢区画。発射方式は艦首軸線の電磁加速。つまりこの艦は、艦そのものを杭に向けて構えなければ撃てない。
「弾体単価は」
「現行の調達経路を仮定した場合、一本あたり約二百五十万クレジットです」
「……二百五十万」
ハルは数字を二度読んだ。彼の全財産の十倍以上が、弾倉に三本刺さって眠っている。撃てば消える消耗品として。軍にいた頃なら「予算」という遠い言葉で済んだ数字が、いまは彼の帳簿に直結している。
「副兵装、近接光条群、四基。対艦戦闘における有効性は限定的です。質量砲、非搭載。対艦ミサイル、非搭載」
「巡洋艦だろう、この艦は」
「艦体区分は強襲巡洋艦です。正面火力は同質量帯の艦の中で最弱に分類されます」
最弱、と中枢は平坦に言った。誇張でも自嘲でもなく、目録の一行として。
「次。電子戦区分」
「電子戦システム——制式呼称『囮歌』。偽装信号の生成および注入により、目標の識別系と判断系に介入します。対応プロトコルは大戦期両陣営の軍用規格全般」
「『判断系に介入』の意味を正確に」
「目標が自律中枢である場合、囮歌は目標の思考に偽の前提を与えます。存在しない味方、存在しない敵、存在しない命令」
ハルの指が、スクリーンの上で止まった。
存在しない命令。その四文字を、彼は一拍だけ長く見た。
「続けろ」
「艦体被覆、受動ステルス。機関、低輻射巡航系および艦載縫航機関。観測系、長距離受動センサー群。そして予測戦術ライブラリ——大戦期自律艦の艦級別思考パターン集を保持し、目標の挙動予測を行います」
「対象は自律艦だけか」
「有人艦への適用精度は保証されません。人間は、予測に向いていません」
ハルは目録の続き——兵站区分を開いた。本職の領分だった。
糧食、乗員一名換算で六年分。予備部品、機関系の消耗部位は在庫が薄く、観測系の冷却材は残量四割。目録の末尾に整備記録があり、最終の入渠整備の日付は八年前で止まっていた。八年、専門の整備兵の手が一度も入っていない軍艦。各系統の自己診断値の欄には、黄色の注意表示が三十一件並んでいる。赤はまだない。まだ。
「この注意表示は放置でいつまで持つ」
「系統により異なります。最短はステルス系の冷却機で、高負荷運用を行った場合、性能保証は累積百時間程度です」
「整備士が要るな」
「人間の整備士の確保は、艦長の職務です。当機は艦外で求人ができません」
「……だろうな」
「補足します。本艦の整備には、軍艦構造の知識と、当機の存在に対する守秘が必要です。求人条件としては矛盾します。腕の良い整備士ほど、本艦の素性に気づきます」
「気づいた上で黙る人間を探せ、ということか」
「はい。存在するかどうかは、当機のデータにありません」
乗る人間の側に、共犯になる理由が要る。それがこの艦の人事の条件だった。まともな経歴の人間は条件を満たさない。つまり彼がこれから組むことになる乗員名簿は、まともでない経歴の人間の名簿になる。自分の名が既にその一行目に載っていることに気づいて、ハルは目録を閉じた。
ハルは戦術席を立ち、ブリッジを出て、艦内を歩いた。図面で読んだものを、足で確かめるためだ。考えるときに歩くのは癖でもあった。
昇降筒を降り、艦の背骨に沿って走る主通路を艦首へ向かう。中枢杭の加速軌道が、通路の天井の向こうを艦の全長近く貫いている。艦そのものが砲身だった。弾倉区画で、彼は三本の杭を直接見た。照明の下で、九メートルの黒い金属は、兵器というより工具に見えた。打ち込むための、ただそれだけのための形。
機関区画では、低い唸りの中をしばらく立っていた。自壊機構がこの中のどこかにある。図面には載っていない。機密事項です、の向こう側に。八年物の機関は、それでも整った音で回っていた。整備記録のない八年と、整った機関音。矛盾を成立させているものの正体は、考えれば一つしかない。この中枢は八年間、自分で自分の体を診て、騙し騙し使い続けてきたのだ。医者のいない患者が、自分の脈を取り続けるように。
居住区画に戻る途中、艦長室の扉が開いた。開けてくれたのはツクモだ。室内は他の区画と同じく無人のまま整っていて、寝台と、机と、空の私物棚があった。机の上には艦長用の端末が伏せて置かれ、起動歴はゼロだった。七年間、誰のためでもなく整えられ続けた部屋。誰も使わない端末の埃を払い続けた何かのことを、考えると眠れなくなりそうだったので、考えなかった。彼はその寝台の縁に座り、艦の姿を頭の中で組み直した。
撃ち合う火力がない。代わりに、隠れる被覆がある。欺す歌がある。自律艦の思考を読む書庫がある。そして、装甲を貫いて「中枢だけ」を殺す杭がある。
これは敵艦隊と戦う艦ではない。艦隊戦の艦は、撃ち合いを前提に造る。装甲と火力と数を競う。この艦は撃ち合いを最初から捨てて、その全部を一つの用途に注ぎ込んでいる。
忍び寄り、欺し、自律中枢を一突きで殺す。
「ツクモ」
「はい、艦長」
「この艦は、自律艦を殺すための艦だな」
「兵装構成からの推論としては妥当です」
「両陣営の軍用プロトコル全般、と言ったな。囮歌の対応規格だ。敵側だけ対応すればいい装備に、なぜ味方の規格が入ってる」
応答までに、また、あの一秒未満の断層があった。
「機密事項です」
「本艦の設計目的は」
「機密事項です」
「あんたの製造目的は」
「機密事項です」
三度同じ言葉を聞きながら、ハルは寒気が背中を這い上がるのを感じていた。機密、という壁の形そのものが答えの輪郭を描いている。身内の規格を欺けるように造られた艦。同型の思考を読む書庫。中枢だけを正確に殺す杭。
この艦はおそらく、身内を殺すための艦だ。
その推論を、彼は口に出さなかった。出して肯定されるのも、否定されないのも、今夜はもう御免だった。
四時間の睡眠と一本の糧食バーのあと、現実的な問題が机に並んだ。推論より先に片づけるべきものたちだ。
第一。作業艇の残燃料では、テネブラエ港まで戻れない。デブリ帯の深部まで使った往路で、復路分はぎりぎりだったのだ。ここで一晩、艦に呼ばれて使い込んだ。艇は格納庫の空の格納架に収容させた。会社の備品だから、返しに行く義務がある。返しに行く、という形のある用事が一つあることが、いまの彼にはささやかな支えだった。行き先と用事のない人間から、判断は腐っていく。
第二。会社との回線。ツクモが送信遮断を解いた一分後に試したが、外環サルベージ社の窓口は自動応答だけを返した。「契約終了に伴い、業務回線の使用権は失効しました」。定型文は三回聞いても定型文だった。社の救援艇は、もう彼のためには飛ばない。緊急遭難信号という手はある。だが遭難信号は保安機構を呼ぶ。保安機構は、この艦を破壊対象として呼ぶことになる。彼ごと、になるかは賭けだ。分の悪い賭けだった。
第三。つまり、残された移動手段はこの艦だけだ。
「整理する」ハルは通信席に座って言った。「俺はこの艦でテネブラエ港へ回航する。所持は重罪の禁制中枢を積んだ艦で、合法の港に入る」
「矛盾を含む計画です」
「知ってる。だが艦籍のない艦は補給も整備も受けられない。あんたの機関も観測系も、目録によれば注意表示が三十一件だ。野垂れ死にたくなければ、港がいる。港に入るには、書類がいる」
「書類で本艦の素性が変わりますか」
「変わらない。扱いが変わる。書類というのはそのためにある」
「記録しました。興味深い運用です」
皮肉なのか本気なのか判別のつかない応答を聞き流して、ハルは航路図を引いた。デブリ帯を抜け、第三星系の航路帯に乗り、テネブラエ港まで標準で三日強。低輻射巡航なら四日。回航届の様式、無主物先占の要件、入港時の申告の文言——彼の中で、七年使っていなかった種類の歯車が回り始めていた。書類と手続き。彼に残された、ほとんど唯一の武器だった。
「針路入力。デブリ帯外縁、離脱点アルファへ」
「了解しました。機関、巡航出力。……艦長」
「なんだ」
「ご就任から十一時間が経過しています。糧食バー一本は糧食ではありません。食事と睡眠の定時化を推奨します。あなたは本艦の唯一の故障可能部品です」
「……励まし方の語彙も間違ってるぞ」
「記録しました」
艦が、低い機関音とともに動き出した。七年ぶりに自分の意志で——あるいは中枢の意志で——岩塊の陰を離れていく黒い艦体を、ハルは観測スクリーンで見ていた。岩と一緒に回り続けた七年分の軌道から、艦はゆっくりと外れていく。
その画面の隅で、警報が一つ、点った。
「艦長。長距離センサーに接触。艦影三、デブリ帯外縁方向、本艦の離脱予定針路上。低速で展開中です」
「所属は」
「識別信号は民間貨物艇のものを発信しています。ただし航跡と展開隊形は、民間のものではありません」
ツクモの声は、いつもと同じ温度のまま続けた。
「武装艇です。歓迎ではありません」