第031話 はぐれ斥候
準指定業者になって最初に届いたのは、賞金案件ではなく、奇妙な異常報告だった。
保安機構の共有端末に並んだ警報記録を、ハルは三度読み直した。
斥候型還らず艦、識別符号RV-771。十一日間で三つの星系を横断。第五星系の縁で警報網を作動させ、第四星系の旧会戦宙域に四十時間滞在し、いまは第三星系の外縁へ向かっている。攻撃は、一切なし。ただ移動し、旧戦場の残骸帯を走査しては、消える。
「賞金、三百六十万cr」と、回線の向こうでカンプが言った。「安いと思うか」
「思う。三星系をまたぐ追跡案件の相場じゃない」
「だろうな。だがあれは誰も殺していない。賞金の原資は被害額の保険料率だ。殺さない還らず艦には、値がつかん」
「なら、なぜ起案した」
「警報網がな」カンプの声に、疲労が一段乗った。「あれが星系境界を越えるたび、外縁全域の警報が立つ。避難勧告、航路封鎖、定期便の遅延。十一日で累積損害が四千万を超えた。殺さない幽霊が、座っているだけの幽霊より高くつくと、上の連中がやっと気づいた」
殺さないのに、一番高い。経済の帳簿は時々、命の帳簿と逆さに回る。
「受ける」
「直接契約だ。手数料は要らん。──それと、アマノ」
カンプは一拍置いた。
「観測記録を全部送る。先に言っておくが、読むと気味が悪いぞ」
受注の前日、ナナオはヴェインの最後の診察を済ませていた。
「骨、ついた。固定帯は外してええ。禁酒も──もう十分じゃ」
ヴェインは頷き、その夜、酒保で何も買わなかった。誰も何も言わなかった。翌朝の操舵訓練の数字が、わずかに良くなっていた。それが答えなのか、ただの偶然なのかを、確かめる流儀はこの艦にはない。
気味の悪さの正体は、ブリーフィングで形になった。
「RV-771の走査対象を、航跡から逆算しました」
ツクモが星図を展開した。三つの星系をまたぐ航跡の上に、停留点が十七箇所。
「十七箇所すべてが、自律艦の残骸の所在地と一致します。撃破された還らず艦。力尽きて漂流する無人艦。大戦中の自律艦同士の交戦域。──すべて、死んだ同類の場所です」
ブリッジが静かになった。
操舵席のヴェインが、固定帯の残る胸をかばいながら身体ごと振り返った。
「……斥候は、単独じゃ動かん」
低い声だった。
「RV-771の艦籍は」と、ハルは資料を繰った。「……連合製か。偵察艇ベースの自律改修型。こっち側の艦だ」
「はい。一方、走査されている残骸は、同盟製と連合製が混在しています。比率はほぼ半々です」
「敵も味方も、区別なしか」
「区別の痕跡は、観測される限り、ありません」
七年前まで殺し合っていた両軍の残骸を、同じ手つきで数えて回る。陣営という概念が、この斥候の手順のどこにも残っていない。残っていないことが、後にどういう意味を持つのかを、このときのブリッジはまだ知らなかった。
「同盟でも連合でも、斥候の運用は必ず指揮個体とつがいだ。集めた情報は、届ける先があって初めて意味を持つ。単独で七年も飛び回る斥候なんてものは──」
「存在しません」とツクモが引き取った。「単独で行動する斥候は、斥候ではありません。先触れです」
「……何の」
「不明です。本艦の予測範囲の外です」
予測戦術の塊のような艦が、予測の外、と言った。その言葉の据わりの悪さが、ブリッジの温度を確実に二度下げた。
七年間、還らず艦には共通の文法があった。最後の命令を、一隻で、その場で守り続ける。護衛艦は船団を守り、哨戒艦は線を守り、それぞれの墓の上に立ち続ける。動かない。集めない。届けない。
RV-771は、その文法の外にいた。
移動し、収集し──そして走査するのは、死んだ同類の現在地だ。
「残骸の何を走査している」
「停留点の観測データを解析しました。走査波形は損傷判定用です。艦体の破損状況、機関の残存、そして──中枢の生死判定」
「生死判定」
「はい。死んだ艦と、死にきっていない艦を、選り分けています」
ハルは星図を見た。十七の停留点が、急に墓標の列に見えた。墓地を回って、墓石を一つずつ叩いて、中で誰かまだ息をしていないか確かめて歩く何かがいる。
「……数えているのか」
「表現としては、正確です」
死んだ同類を、数えて回っている。
誰の帳簿のためにかは、わからない。わからないことが、この案件の本当の値段だった。
観測記録には、もう一つ、据わりの悪い数字があった。
「停留時間の分布を見ろ」とハルは言った。「十七箇所の停留時間が、揃っていない。短いところは四分。長いところは──四十時間だ」
「走査対象の規模差では説明できません」とツクモが応じた。「最長滞在の三箇所を照合します。第四星系の旧会戦宙域、第五星系の機雷母艦残骸、第二星系の駆逐艦集積墓域。──三箇所とも、中枢の生死判定が『生存・機能限定』の艦を含む宙域です」
「死んだ艦の前は素通りで、生きてる艦の前では足を止める」
「はい。そして滞在中、RV-771は当該艦に対し、損傷判定とは別系統の信号を継続送信しています。波形は──通信プロトコルの、接続要求に類似します」
ブリッジが、また一段静かになった。
墓石を叩いて回るだけではない。中で息をしている者を見つけると、枕元に四十時間座り込んで、話しかけている。
「……応答した艦は」
「観測範囲では、ゼロです。ただし観測範囲は、限定的です」
ゼロです、の後の限定が、妙に長く耳に残った。
ナナオは機関区から上がってきて、星図を一瞥し、口笛を短く吹いた。
「ほう。──回診じゃな」
「回診?」
「死にかけの病室を順に見て回る。生きとる奴がおれば、報告する。わしらの業界では回診と呼ぶんじゃ」
「報告する先は、医者と決まってる」
「そうじゃの」老人は星図から目を離さずに言った。「で、その医者は、生きとる奴を見つけて、どうする気かの」
誰も答えなかった。答えの選択肢が、どれも口に出したくない形をしていた。
追跡計画は、ツクモが組んだ。
「RV-771の航跡は不規則に見えますが、走査対象のリストが先にあると仮定すれば、説明できます。残骸の位置は既知です。未走査の残骸帯のうち、現針路から最も合理的な次の目標は──第三星系外縁、旧第九護衛戦隊の全滅宙域です」
「先回りできるか」
「縫航一回で可能です。先着して、残骸に紛れて待ちます。本艦の最も得意とする猟法です」
デブリのふりをして、墓地で待つ。得意とする、という言い方に皮肉の意図はないのだろうが、皮肉として完成していた。
「燃料と弾薬の見積もりは」
「燃料、往復で約七十万cr。弾薬は──」ツクモはそこで、珍しく注釈をつけた。「中枢杭の使用を推奨しません。標的は小型で、賞金は三百六十万です。杭一本二百五十万を使えば、利益が消えます。光条と質量砲で対処します」
「殺し方まで値段で決まるか」
「決まります。それがこの稼業です」
反論はなかった。反論できない正確さで、彼女はいつも嫌なことを言う。
出港の前夜、ハルは私的な帳簿を開かなかった。代わりに、カンプの送ってきた観測記録の最後の頁をもう一度開いた。
RV-771の直近の停留点。第四星系の旧会戦宙域。四十時間の滞在記録の末尾に、観測員の手書きの注記が一行だけあった。
──当該艦は離脱前、残骸帯に向けて短い信号を発信した模様。意味、不明。弔砲に似ていなくもない。
観測員の感傷だ、とハルは思った。機械は弔わない。弔うのは、観測する側の人間だけだ。
そう思ってから、自分の艦が規定に背いて抱え込んでいる二件の最終ログのことを、思った。参照履歴ゼロ。非圧縮。誰のためでもないと言い張る保存。
機械は弔わない。その文法も、本当はもう、どこかで破れているのかもしれなかった。
《送り火》は翌朝、墓地の先回りへ出港した。