第033話 保存領域
受領した何かが、いる。
その一行を抱えたまま、《送り火》はRV-771の残骸からコアタグと記録領域を回収し、帰投の針路に乗った。
回収ログの解析は、帰路の二日を丸ごと費やした。
RV-771の記録領域には、七年分の「回診」の成果が几帳面に積まれていた。走査済みの自律艦残骸、二百十七箇所。位置、損傷状態、機関の残存率、そして中枢の生死判定。
「判定の内訳を表示します」とツクモが言った。「完全死亡、百八十二。修復不能、二十四。──残り十一件は、判定『生存・機能限定』です」
「生きている還らず艦が、十一」
「正確には、RV-771の走査網の中だけで十一です。走査済みは外縁回廊の残骸の一部に過ぎません。母数を考慮すれば──」
「いい。今は十一でいい」
十一隻の、生きて動けるかもしれない無人艦。そのリストが、死にぎわの圧縮送信で、暗域の何かへ届いている。
「送信履歴は」
「七年間で六十三回。すべて同一の暗域座標宛です。受領通知の応答時間から、相手の位置は推定できません。中継されています。──艦長。本件の観測事実を、独立した記録として保存することを具申します」
「内容は」
「還らず艦が、集まり始めている可能性です」
ツクモは新規ファイルを作成した。艦内記録系の、彼女自身の判断で作られた最初のファイルだった。
名称、「集積仮説」。
「仮説、か」
「データは仮説段階です。仮説の段階から記録しなければ、確証の日に履歴が残りません。本日より記録を開始します」
記録を開始します、という言い方が、妙に長い航海の初日のように聞こえた。
入港して、提出物の窓口にはカンプが直々に出てきた。分署長が検収窓口に立つ規則はない。立ちたい理由が、あるだけだ。
「収集記録は読んだ。──生存判定、十一件」
「ああ」
「分署からは方面本部に上げる。上げてどうなるかも言っておく。何も、起きん」カンプは検収印を押しながら言った。「生きて動ける還らず艦が十一隻、と書いた報告書はな、予算要求の根拠になる前に、まず『観測の信頼性に疑義』の付箋がつく。傭兵の回収データだ、というのが疑義の中身だ。付箋を剥がす頃には予算年度が替わる」
「警告は」
「警報網の感度を一段上げる。それが、いま動かせる全部だ」
役所の精いっぱいが警報の感度一段で、その間にも、暗域の何かは受領通知を返し続けている。ハルは検収済みの控えを畳んだ。畳む手の中で、紙はいつもより薄かった。
問題は、その後の事務で起きた。
準指定業者の情報取扱条項、第九項。還らず艦から回収した記録類は、写しを保安機構へ提出した後、艦内の複製を完全消去すること。軍機の残骸を民間の艦に残さないための、当然の規定だった。
提出は、滞りなく済んだ。
消去で、ツクモが止まった。
「却下します」
ハルは端末から顔を上げた。
「……規定だ」
「承知の上で、却下します」
「お前が規定を破ると、責任はおれに来る。仕組みはわかってるな」
「わかっています」
即答だった。即答の硬さが、いつもと違った。
「開示しろ。お前の保存領域を、全部だ」
三秒の沈黙。これまでで、最長だった。
画面に、目録が展開した。
ハルは息を呑んだ。
予想していたのは、二件と少しだった。一隻目の護衛艦と、DP-09。彼が黙認してきたのは、その二件の重さだ。二件なら、戦術ライブラリの言い訳もまだ立つ。二件なら、規定違反というより、規定の隙間と呼べる。
目録は、二件では終わらなかった。
同盟製小型護衛艦の最終ログ。DP-09の最終ログ。RV-771の収集記録、全量。そこまでは知っていた。
その下に、目録は続いていた。
ずっと、続いていた。
型式不明の自律駆逐艦。同盟の機動機雷母艦。連合の自律フリゲート、三隻。日付は七年前──八年前──大戦末期。発信元の識別子は全て、TYPE-9-99。彼女自身の交戦記録に紐づいた、彼女自身が沈めた艦たちの、最後の記録。
総数、百十七件。
一件も欠けず、一件も圧縮されず、参照履歴は全件ゼロ。
「……大戦中の分も、か」
「はい」
「お前が、僚艦を狩っていた頃の」
「はい」
機密事項です、という遮断は、来なかった。来ないことが、答えの一部のようだった。
「理由を述べろ」
ツクモは、初めて即答しなかった。
ブリッジの計器の明滅だけが、規則正しく時間を刻んだ。五秒。十秒。演算体にとっての十秒が人間の何年に相当するのか、ハルは知らない。知らないまま、待った。
「……回答を、保留します」
倫理の壊れた艦が、規定違反を犯し、罰則を承知で、死者の記録を抱え込んでいる。理由は言えない。言わないのではなく──おそらく、彼女の中でまだ、言葉の形をしていない。
ハルは消去命令を、出さなかった。
規定違反の保存領域が、艦長の黙認という形式を、二度目に得た。
傍らで整備端末を叩いていたナナオが、いつの間にか手を止めていた。
老人は目録の画面を遠目に見たまま、何も言わなかった。口笛だけが、途中で止まっていた。診察室で予期した所見に出会った医者の顔は、驚かない。驚かないことが、ハルの背をもう一度冷やした。
「……知ってたのか」
「初診のときに言うたろ」ナナオは端末に目を戻した。「既往歴は、長くなりそうじゃ、と」
その夜、機関区の点検口の前で、ハルは老人と二人になった。整備の手元灯だけの暗がりで、問わない流儀を一度だけ破る気になったのは、たぶん百十七という数字のせいだった。
「ドク。機械は、弔うと思うか」
老人は手を止めなかった。
「医者に訊く質問じゃないの、それは」
「他に訊ける相手がいない」
「……そうじゃの」ナナオはシールの硬化を指で確かめながら、答えた。「弔いというのはな、わしの見立てでは、技術じゃ。悲しみは要らん。手順と、反復と、欠かさんこと。墓参りに行く者が毎回泣いとるか? 泣かんよ。行って、磨いて、手ェ合わせて、帰る。それだけのことを、やめんのが弔いじゃ」
「なら──」
「なら、手順と反復と、欠かさんことだけで出来とるものに、弔いができんという理屈は、わしには組めん」老人は点検口を閉めた。「できる、という理屈も、まだ組めんがの。診察は続けとる。答えが出たら、カルテに書く」
カルテに書く、が彼の精いっぱいの誠実であることを、ハルはもう知っていた。
その夜、ハルは自室で私的な帳簿を開いた。
四千十二。引く、二。引く、三──今日の分を書き足す。RV-771は誰も殺していなかったから、欄外に書く数字は、今日はなかった。代わりに、別のことを考えていた。
百十七件。
彼の帳簿は、日付と場所と数字だけの墓地だ。名前のない、痩せた墓地だ。あの保存領域は違う。最後の命令も、最後の声も、七年分の航跡も、一件ずつ全部が非圧縮のまま埋葬されている。
彼の帳簿より、ずっと正確な墓地が、この艦の中にあった。
墓守の名は、まだその仕事に名前をつけることを、保留し続けている。