第037話 初めての静寂
撃破の後の手順は、四隻目にして手馴れた仕事になっていた。手馴れたことを、誰も誇らなかった。
コアタグの回収には、ハルが渡った。KC-118の艦内は、これまでのどの還らず艦より配線が多かった。通信艦の内臓は神経ばかりで出来ている。中継機器の区画を抜けるとき、ヘッドランプの光の中で、増設された記録装置の列が眠っていた。死んだ船団の声を七年保持し続けた装置だ。もう、何も流していない。
コアタグを封緘袋に収め、戦時ログのストレージを外し、彼は増設記録装置の列の前で一度足を止めた。
二十六隻の最終通信の、保全原本。持ち帰れば、遺族への開示資料になる。持ち帰らなければ、サルベージの解体場で素材ごと溶ける。
「ツクモ。この装置の中身は」
「回収済みです。最終ログと同時に、全量を」
「……保安機構への提出分には」
「船団各船の最終通信は、遺族開示推奨の区分で写しを添付済みです。原本格納先は、本艦保存領域」
先回りされていた。先回りの内容が、毎回少しずつ、規定の外へ踏み出している。ハルは何も言わず、装置の列を後にした。言わないことが承認になる仕組みを、もう二人とも──一人と一隻とも──理解した上で運用していた。
艦を出る前に、通信区画の主卓に一度だけ手を置いた。誰に説明できる動作でもなかった。説明を求める者も、ここにはいなかった。
事務は、滞りなく流れた。
ギルドの窓口には、義理で報告だけ入れた。直接契約の賞金はギルドの帳面を通らない。ミミナは等級記録に撃破数4を書き込みながら言った。
「一千百五十万が、窓口を素通り。うちの手数料百七十二万が、消えたわけね」
「制度の話だ」
「ええ、制度の話。──いい制度よ」彼女は判を置いた。「手数料の分、あんたが死ににくくなるなら。窓口はね、手数料より、線を引かない方を取るの。これも制度の話」
それから彼女は、何でもない事務の声で付け足した。
「KC-118。第二星系の、声のする宙域でしょう。……うちの人の船が出た港の、隣の航路よ。あの声、聞いた人を何人か知ってる。みんな、しばらく駄目になった」
「もう、しない」
「そう」ミミナは次の書類に手を伸ばした。「なら、いい仕事だったのね。事務的に言うけど」
賞金一千百五十万cr、直接契約のため手数料控除なし。サルベージ権は、中継艦の大型アンテナ素材に通信会社系の買い手がつき、二百二十万cr。入金計、一千三百七十万cr。
出ていく方も、いつも通りに並んだ。中枢杭の補充一本、二百五十万cr。燃料・反応材、八十万cr。ナナオの部品調達と入渠なしでやれる範囲の外殻補修、百万cr。給与と保険と係留費。
それでも、残った。
残高、約一千二百万cr。
帳簿が、初めて大きく黒字に振れていた。月の固定費の一年分が、口座の中にある。デブリ拾いの契約社員だった男の全財産が二十三万crだったのは、ひと月半前のことだ。
「財務状況の改善を確認しました」とツクモが言った。「本艦の運用開始以来、初めて、翌月の支払いに関する演算を省略できます」
「省略するのか」
「しません。習慣です」
習慣、という言葉を機械が使うことについて、ハルはもう何も言わなかった。
黒字の使い道は、夕食の卓で議題になった。
「冷却機じゃ」とナナオが言った。「三番ユニットの中古品が解体市場に出とる。同型艦のもんじゃないが、改修で載る。二百八十万。載れば秘匿時間は十一分が、まあ十五、六分には戻る」
「全快はせんのか」
「全快はドック入りと新品が要る。新品はもう、この宇宙で作っとらん」
「……買え。次の入港で載せ替えだ」
「貯めろ」と、ヴェインが短く言った。卓で彼が金の話をするのは初めてだった。「……艦の貯えは、艦の装甲だ。薄いと、無理な仕事を受ける羽目になる。無理な仕事は、人から死ぬ」
経験者の声だった。誰の経験かは、誰も訊かなかった。結論は折衷になった──冷却機を買い、残りは貯える。杭の備蓄は三本を維持。帳簿に初めて「予備費」の欄ができた。欄を作りながら、ハルは奇妙な感慨に気づいた。この艦の帳簿が、少しずつ、沈まない艦の帳簿の形になっていく。
数字の隣に書くべきものは、最終ログの中にあった。
KC-118の最後の命令は、単純だった。──船団の通信を中継せよ。
発令は七年前、船団が襲撃される四時間前。以後のログをツクモが時系列に並べ、ハルが読んだ。船団二十六隻の最終通信を、一隻分ずつ受領し、中継した記録。船団全滅後、中継すべき通信が消滅したことへの、KC-118なりの対処の記録。
解釈変更履歴、と装置はそれを呼んでいた。
中継すべき現行通信が存在しない場合、保存済みの最終通信を反復送信することで任務を継続する──論理の繋ぎ目が、ログの中に淡々と残っていた。追悼ではない。追悼という概念は、あの艦のどこにも積まれていない。ただの命令遂行だ。命令を絶やさないための、機械の苦肉の策だ。
そう知っていて、なお。
ハルの手は、読みかけのログの上で止まった。死んだ二十六隻の声を、七年間、誰にも届かない宙域で流し続けた艦。それを「ただの命令遂行」と呼び切る語彙を、彼は持っていたが、使う気になれなかった。
「全件、保存しました」とツクモが言った。「百十八件目です」
「理由は」
「保留を継続します」
保留の継続を、ハルは黙認の継続で返した。この艦の中で、それはもう一つの取り決めになりつつあった。
帰路は、静かだった。
初めて、急ぐ理由のない航海だった。ヴェインは操舵席で珍しく音楽を流した──同盟の古い舟歌で、歌詞はなく、三十秒で消した。ナナオは医務室の棚卸しをし、期限切れの薬を半分捨てた。捨てられる身分になった、ということだった。
その静けさを、保安機構の緊急要請が割った。
「直接出動要請です」ツクモが文面を読み上げた。「第二星系内縁航路、穀物輸送船団が襲撃下。襲撃側は武装艇三、緋蓮団の分隊旗を確認。最寄りの保安戦力は四十一時間後着。当該宙域の準指定業者は本艦のみ。出動料一百五十万cr」
「緋蓮団……」
「本艦と緋蓮団の接触は三度目です。先方の帳面には、本艦の名が載っています」
ハルは座標を呼び出した。第二星系内縁、航路の南側、座標は──
顔色が、変わった。
端末の私的領域から、彼は一つのファイルを開いた。ひと月半前に保存した、誰に頼まれたわけでもない計算。《アルカ》の漂流予測針路。三十日後、六十日後、九十日後の予測位置。
五十日後の予測円と、襲撃地点が、重なっていた。
「ヴェイン」
ハルは言った。声が、自分の知らない速さで出た。
「最大戦速。──急げ」
葬儀屋の艦が、初めて、誰かの生きているうちに間に合うために走り出した。