第056話 聖騎士

 出航手続きは、何食わぬ顔で進めることになっていた。書類を出し、補給を済ませ、予定どおりの顔で予定より早く出る。慌てない逃げ方の教科書どおりに。
 教科書に載っていなかったのは、桟橋の真ん中に立つ白だった。

 白い騎士装束。携行型の対AI戦装具——電子戦機材と切断槍を兼ねた、教団式の得物——を背に負い、女は《送り火》の係留バースへの通路を、一人で塞いでいた。歳はハルより若い。二十代の半ば。目は、若くなかった。
「アマノ・ハル。テネブラエ港所属、賞金業者。通称——葬儀屋」
 女の声は、桟橋の喧噪を切って通った。
「浄火教団、聖騎士セルマ・ヴィオ。異端審問の権能において、問う」
「ここは連合の港だ。教団の権能の外だと思うが」
「魂の問題に、管轄はない」
 女は一歩、踏み出した。
「異端者。貴様の艦は、禁制の中枢で動いている」
 単刀直入だった。回りくどさで時間を稼がせない、訓練された直球だった。ハルは表情を消す技術で受けた。
「うちの艦は仮艦籍持ちの民間艦だ。艦籍審査は保安機構を通ってる。疑義があるなら、書面で」
「書面」
 セルマは、その単語を口の中で転がした。軽蔑ではなかった。むしろ、敵の装甲の厚みを測る指の動きに近かった。
「九百メートル級を単艦で沈める民間艦。中枢の残骸を一欠片も残さない徹甲杭。検波しても尻尾を出さない、綺麗すぎる偽装信号。——書面の下で、それだけのことが起きている。書面は、貴様の艦のいちばん厚い装甲だな」
 正確な評価だった。正確であるだけに、肌が冷えた。この女は酒場の噂で動いていない。数字と記録を読んで、読んだ上で確信に至っている。証拠だけが、まだない。
「一つ訊く、賞金業者」
 セルマは間合いを詰めずに、声だけを詰めた。
「貴様は何のために沈める。金か」
「仕事だ」
「仕事。……私は十一隻を焼いた。一隻ごとに祈り、一隻ごとに理由を確かめた。あれは魂を喰った機械で、焼くことが死者への務めだからだ。貴様はどうだ。理由もなく沈め、残骸を売り、死者の艦で帳簿をつける。——それは異端ですらない。ただの墓荒らしだ」
「墓荒らしと葬儀屋の区別は、墓の中身に訊いてくれ」
「死者は答えん」
「ああ。答えない。——だから、最後の言葉だけは全部読むことにしてる。あんたの言う『焼くこと』と、どっちが務めかは知らないが」
 セルマの目が、僅かに細くなった。最後の言葉を読む、という言い回しの意味を測る目だった。測り終える前に、彼女は議論を切った。議論しに来たのではないのだ。
「立入を要求する」
「令状は」
「要らぬ。疑いがある」
「要る。ここは港湾規則の中だ。民間艦への立入には、保安機構の令状が要る。……あんたの確信が何で出来てるのかは知らないが、確信は令状の様式じゃない」
 セルマの手が、背の得物の柄に触れた。触れただけだった。触れただけで、桟橋の野次馬が三歩下がった。

「——うちの管轄で、何の騒ぎだ」
 割って入った声は、疲れた役人のものだった。
 カンプが、保安員を二人連れて通路の向こうから歩いてきた。歩き方に急ぐ様子はなく、急がないこと自体が計算の歩き方だった。
「保安機構テネブラエ分署長、エルデ・カンプだ。聖騎士殿。教団の巡察はいつでも歓迎するが、立入と臨検はうちの仕事でな。港湾規則第三章。読まれたことは?」
「規則が異端を匿うなら、規則ごと焼かれる日が来る」
「かもしれん。だが今日ではない」
 カンプは決裁端末を掲げてみせた。
「当該艦は保安機構の準指定業者だ。定期検査は四半期ごとにうちが実施し、直近の検査は通っている。疑義があるなら審査請求の様式を出せ。受理して、規定の日数で処理する。——規定の日数は、九十日だ」
 九十日。役所の時間が、盾の厚みに変わった。
 セルマはカンプを見、ハルを見、それから黒い艦体を見上げた。確信は一ミリも揺らいでいない目だった。だが彼女は、無理押しが何も生まないことを知る程度には、組織の人間だった。
「……保安機構が、何を飼っているのか知った上で守っているのか、知らずに守っているのか。いずれ分かる」
 彼女は踵を返しかけ、止まり、振り返らずに言った。
「機械に魂を売った男の顔を、覚えた」
 白い背中が、桟橋の人混みに消えていった。

 カンプは野次馬が散るのを待ってから、低い声で言った。
「礼は要らん。あれはお前を守ったんじゃない。うちの管轄と、うちの駒を守っただけだ」
「分かってる」
「分かってるなら、もう一つ分かれ。教団は令状を諦めん。連合に正式の照会をかけるルートもある。九十日は猶予じゃなくて、導火線の長さだ」
 分署長は艦体を見上げ、それから初めて、声の調子を半音だけ落とした。
「……葬儀屋。お前の艦に何が積んであるか、俺は知らん。知らんままでいる努力を、こっちは随分してるんだ。その努力が割に合ううちに、手を打て」
 それだけ言って、役人は役人の歩幅で戻っていった。

 艦に戻ると、通路の角に、小さな影が立っていた。
 ヨルだった。遮蔽区画にいるはずの時間に、エアロックの見える位置まで出てきていた。桟橋の騒ぎを——白い聖騎士の声を——壁越しに聴いていたのだ。
「部屋にいろと——」
 言いかけたハルの袖を、小さな手が掴んだ。
 無言だった。説明する語彙を、彼女はまだ持っていない。ただ、袖を掴む指の力だけが、彼女の中に生まれた新しいものの形をしていた。命令でも、待機でもないもの。失う、という概念を覚えた者だけが知る、あの掴み方だった。
「……大丈夫だ」
 ハルは、自分の言葉が保証になっていないことを知りながら言った。保証のない言葉をかける技術は、まだ習得していなかった。それでも、袖の指は、少しだけ緩んだ。
 不安——その感情の名を、彼女はまだ知らない。知らないまま、最初の形だけが、先に手に宿った。

 深夜、ツクモが報告した。
「教団艦、出港しました。——ただし、針路が不自然です。港外〇・一光秒、外縁航路の合流点付近で停留。位置取りは、本艦が出航した場合の必須通過宙域を扼しています」
 待ち伏せだった。港の中では規則が守る。港の外は、規則の外だ。
「囲まれたか」
「包囲というには一隻です。ですが、必要な場所に一隻です。——艦長。彼女は本艦の出航を待っています。出れば、港の外で接触を強行する構えです」
 九十日の導火線と、港の外の白い船。
 ハルは星図を呼び出し、長いこと黙っていた。