第063話 拿捕の流儀
縫航三十八時間の最後の一時間、ハルは船団の全船長を通信会議に呼び、戦う前に規則を共有した。規則を知らずに戦うのは、戦いではなくただの事故だからだ。
「まず、敵の目的を間違えないでもらいたい。海賊は諸君の船を沈めに来ない。獲りに来る」
画面の向こうで、何人かの船長が怪訝な顔をした。一番年嵩の輸送船長が、遠慮のない声で言った。
「沈めに来ないなら、ありがたい話に聞こえるがね、護衛屋さん」
「ありがたくはない。理屈を言う。拿捕した船体と積荷は、闇市で船価のおよそ三割になる。乗員は身代金になる。沈めれば、その全部がただの灰だ。海賊にとって諸君は標的じゃない。商品だ。だから連中は撃たない。正確には、機関と舵を狙う寸止めの射撃しかしない。脅して、止めて、移乗してくる。それが拿捕の流儀だ」
「……商品扱いされて喜べと?」
「喜ぶ必要はない。利用する」ハルは応戦規定の表を画面に出した。「重要なのはこちら側だ。こちらも撃てない。応戦して海賊側に死人が出れば、連中は次から流儀を捨てる。沈める海賊に変わる。この均衡は、双方が欲をかかない限りで成立している。だから応戦の判断は俺が一本で握る。各船は許可なく撃たないこと。撃ちたくなったら、撃つ代わりに増速しろ。諸君の仕事は戦うことじゃない。荷物と一緒に、生きて港に着くことだ」
「拿捕されかけたら、どうなる」
「させないのが俺の仕事だ」ハルは言った。「させてしまったら——移乗されたら抵抗するな。積荷は商会の損で、命は諸君のものだ。順番を間違えないでくれ」
通信会議は静かに終わった。納得の静けさというより、他に頼るものがない者の静けさだった。
◇
封鎖線の手前で縫航を解除した。第六星系外縁、ゲートから百二十万キロの空域に、海賊の哨戒網が見えた——正確には、ツクモの受動センサーが描き出した熱源の分布図として。
「哨戒艇、三隻一組。四個組を確認。間隔はおよそ二十万キロ、等間隔です」
ツクモの報告に、ハルは図を見つめた。きれいすぎる配置だった。海賊の哨戒というのは普通、儲かる航路に偏って濃く、退屈な空域で薄くなる。人間の欲と怠けがそのまま地図になる。だがこの網は、欲の形をしていなかった。教範の形をしていた。
「ルールを確認する」ハルはブリッジで言った。「《送り火》の正面火力は、向こうの武装商船にも劣る。三隻一組と撃ち合えば負ける。四個組を相手にすれば確実に沈む。だから撃ち合わない。一発も使わずに、十二隻を網の向こうへ通す」
「最適解を提示します」ツクモが言った。「囮歌により、封鎖線の南側に大型船団の偽装反応を生成します。輸送量換算で本船団の三倍規模。哨戒網は獲物の大きい側へ寄ります。海賊は給料制ではなく分け前制です。大きい獲物を無視する規律は、彼らにはありません」
「偽装の持続時間は」
「九十分。それを超えると、機関波と通信波の整合が崩れ、実体のない船団だと看破されます。一度看破された歌は、二度と同じ相手に効きません。使いどころは一度きりと考えてください」
「九十分で十二隻を通す」ハルはヴェインを見た。「窓が開いたら、針路は任せる」
「……了解」
囮歌が始まった。《送り火》の電子戦系が、存在しない大型船団の機関波と通信波を編んで、封鎖線の南へ流す。船団間の事務連絡、操舵員同士の私語の断片、古い民間暗号の癖まで織り込んだ、精巧な嘘の合唱だった。歌、と呼ぶには無機質な、しかし確かに艦が声色を作る作業だった。
三十分後、哨戒網の南端の一組が動いた。続いて隣の組が間隔を詰める。網の北側に、幅およそ四十万キロの薄い領域ができた。
「窓、開きました」
「全船、増速。針路はヴェインに追従。無線封止」
十二隻が、薄くなった網の隙間へ滑り込んでいく。ハルは管制席で、燃料計と熱源図を交互に見続けた。戦闘はない。砲声もない。あるのは、偽の歌が見破られるまでの残り時間と、輸送船の鈍足と、哨戒艇が気まぐれに首を振らないことを祈る六十分だけだった。
四十分が過ぎたところで、最初の綻びが出た。船団の三番船——一番古い輸送船の機関が過負荷の熱を噴き、船足が落ちた。隊列に穴が開く。封止中の通信灯が、慌ただしく明滅した。
「三番船より発光信号。機関温度限界。減速の許可を求めています」
「許可。ただし針路維持」ハルは即答し、それから付け加えた。「四番船を三番船の外側に並走させろ。熱源を重ねる。哨戒から見れば一隻に見える」
「……古い手だ」ヴェインが舵を当てながら低く言った。「補給艦隊の手か」
「鈍足の船を守る商売だった」
残り時間は数字で削れていった。三十分。偽装船団に向かった哨戒組の一隻が、ふいに針路を変えた——疑い始めている。二十分。三番船がじりじりと網の線に近づく。十一分で最後の輸送船が線を越え、九分で、囮歌の偽装が南の空域でほどけて消えた。
哨戒艇は追ってこなかった。実体のない獲物に九十分を浪費した連中が、いまさら鈍足の船団を追っても採算が合わない。それを計算できる程度には、向こうも数字が読めるということだった。
「交戦、ゼロ。被弾、ゼロ」ツクモが集計を読み上げた。「消耗は燃料と、電子戦系の稼働時間と——乗員の集中力のみです。最後の項目は計測外ですが」
誰も歓声を上げなかった。ブリッジにあるのは安堵ですらなく、削れた神経の薄い疲労だけだった。撃ち合いのない勝利は、帳簿の上では最良で、体の中では奇妙に重い。撃たれなかった、という事実は、撃たれ得た、という事実と同じ形をしている。
◇
船団が第六星系の内側へ向かう巡航に入ってから、ヴェインが操舵席でモニタの記録を巻き戻し始めた。哨戒網の移動の軌跡を、何度も、同じ箇所で止めては再生する。
「どうした」
「……これを見ろ」
画面には、囮歌に釣られて移動する哨戒組の航跡が描かれていた。ヴェインは三隻の艇の相対位置を指でなぞった。
「移動中も、三隻の射界が重なるように位置を直してる。一隻が加速すれば、二隻が遅れて追従して、扇の形が崩れない。獲物に欲をかいた動きじゃない。当直士官が艦隊運動の手順書どおりに動かしてる。それに、見ろ——疑って針路を変えた一隻も、単独では出ん。僚艇の支援距離の中で止まっとる。欲より規律が勝っとる」
「……軍隊式か」
「あの哨戒の組み方。軍隊式だ」ヴェインは画面から目を離さなかった。「それも見様見真似じゃない。骨に入ってる動きだ。封鎖線の設計をやった人間は、艦隊の幕僚勤務か——でなければ、駆逐艦乗りの実戦を知っとる」
海賊の多くが敗残兵であることは、回廊の常識だった。だが食い詰めた水兵の群れと、艦隊運用を設計できる頭脳とは、別の話だ。後者が海賊の側にいるなら、この封鎖は欲の産物ではない。誰かが図面を引いた、構造物だ。
「ツクモ。封鎖線周辺の通信、傍受記録を出せ」
「出します。暗号化された狭域通信が主体ですが、平文の符丁が複数残っています」
ハルは傍受記録の一覧を流し読み、軍用の通信規約で書かれた符丁の癖を拾っていった。元通信下士官の目には、暗号より符丁の癖のほうが多くを語る。点呼の間隔、当直交代の時刻、復唱の省略形。どれも軍隊の生活の匂いがした。海賊の旗の下で、軍隊の一日が営まれている。
そして一覧の中ほどで、手が止まった。
各哨戒組への指令通信の発信元識別。繰り返し現れる呼出名は、飾り気のない一語だった。
——緋蓮団(ひばすだん)。
回廊最大の海賊団の名が、この封鎖の指令系の中心に、初めてはっきりと載っていた。