第082話 灰色の港

 縫航ゲートを二つ越えて四日。第五星系の中継ステーション、シネレオ港が観測窓に育ってきたとき、最初に見えたのは港ではなく、港の外で待たされている船の列だった。
 検疫線、燃料の配給線、そして検問。入港許可が下りるまで七時間。その七時間のあいだ、《送り火》の周りを避難民を満載した老朽貨物船が三隻、同じ許可を待って漂っていた。
 ゲートを跳ぶたび、すれ違う船の数は減っていた。最後のゲートを抜けたあとは、行き合う船はみな避難民か、軍か、その両方を兼ねた船だけになった。星系の戦争というものは、入る前から、航路の人通りで分かる。

 シネレオ港は、灰色の港だった。
 戦災で焼けたのではない。塗り直す塗料がないのだ。停泊区画の照明は三本に一本が消え、難民区画の通路には配給の列が朝から伸びていた。列の長さで時刻が分かる、と検問の職員は言った。短ければ朝、長ければ昼、列が二重に折れたら配給が尽きかけている。
 そして桟橋の七番と八番に、この港の異様さの全部があった。
 桟橋一本を挟んで、統治府の旧式コルベットと、分離派の武装改装船が係留されている。砲は互いに俯角を切り、見張りは互いの煙草の銘柄まで見える距離で睨み合い、それでいて撃たない。港は双方にとって唯一の補給点であり、ここで撃てば双方が干上がる。憎悪より兵站が先に立つ——その一点だけで保たれた、誰も平和とは呼ばない均衡だった。
 港務の周波数では、統治府の管制官と分離派の管制官が、別々のチャンネルで同じ桟橋の交通を捌いていた。一本の桟橋に管制が二つある港を、ハルは初めて見た。二重に捌かれた交通は、二重に滞った。
「双方とも、新品が一つもないな」とハルは言った。
「ああ」ヴェインが係留作業の手を止めずに答えた。「統治府のあれは連合の払い下げ、塗装の下に前の艦名が透けてる。分離派のは同盟の中古だ。……大戦の残骸同士が、残骸を拾った金で撃ち合ってる。貧乏な戦争だ。貧乏な戦争ほど、長くなる」

 介入部隊の顔合わせは、その日の夕方にあった。
 フリゲート六隻、武装商船八隻。書類の上では十四隻の戦隊だが、桟橋に並んだ実物は寄せ集めという言葉の見本だった。フリゲートは三つの分署から出た三つの型で、データリンクの規格すら揃っていない。武装商船の乗員の半分は先月まで荷役だった顔をしている。先任指揮官は保安機構の老警備士官で、訓示は一分で終わった——死ぬな、金は出ん、以上。
 訓示のあと、老警備士官はハルだけを呼び止めた。
「保安機構の準指定、葬儀屋のところだな。分署の評価書は読んだ。単独行動の裁量は最大限つける。そのかわり、頼みは一つだ」皺の中の目が、桟橋の方を向いた。「うちの商船連中を、戦力に数えんでくれ。あれは兵隊じゃない。先月まで荷下ろしをしていた連中だ。数に入れた作戦は、あいつらの墓の図面になる」
「数えない。元々、単独で数える流儀だ」
「なら、話が早い」
 士官は敬礼の代わりに頷いて、寄せ集めの戦隊の方へ戻っていった。
 会議室を出るとき、廊下の先で人垣が割れた。
 悪名は、艦より先に入港していた。葬儀屋。黒い艦。九隻沈めた、いや十九だ、賞金で人の骨を数える男。囁きは正確さを欠いたまま膨らみ、人々は挨拶も投石もせず、ただ距離を取った。距離、というのが辺境の敬意と恐怖の共通の文法だった。
 子供だけが、距離を詰めてきた。桟橋の柵から身を乗り出して艦体の黒を眺め、連れの大人に袖を引かれて戻っていく。怖いものを見る目と、珍しいものを見る目の区別は、まだついていない年頃だった。

 艦に戻ると、ギルド経由の定期通信が届いていた。ミミナの転送印つきの、事務文書が一通。
 ——外縁司法管区、第五星系戒厳布告に伴い、係争中の審査手続きを一括凍結。
 浄火教団が《送り火》の「禁制中枢の疑い」について申し立てた審査請求は、九十日の期限がちょうど今日で満ちるはずだった。その導火線が、燃え尽きる当日に、戦争の戒厳で水をかけられた。凍結であって消火ではない。戦争が一つ始まったおかげで火種が一つ保留される——この帳尻の悪さを、ハルは誰にも言わずに既読の箱へ入れた。添えられたミミナの私信は一行きりだった。導火線が伸びただけよ、火は消えてない。

 最初の任務は、翌々日に下りた。
 避難船団十二隻の、回廊外への護衛。老朽貨物船と改装客船、足の遅い順に数珠を作って、機雷も海賊も還らず艦も出る幹線を四日かけて抜ける。
 出航までの二日で、ハルは戦争の中の日常の値段を覚えた。出港許可の正規手数料は一隻八千cr。それとは別に、検問所の「臨時整理料」が一隻三万cr——払わなければ書類は正しく、永遠に、審査中になる。避難民の身分証の三割は偽造で、偽造の相場は一通一万二千cr。検問官はそれを見抜いた上で通す。本物の証明書を発行する役場が、もう焼けてないからだ。
 偽造の列の中に、教科書を抱えた子供連れの母親がいた。身分証の写真は母親のもので、名前は他人のものだった。検問官は写真と顔を三秒見比べ、判を押し、次、と言った。列の全員が、同じ三秒で流れていく。三秒が、この港の司法の長さだった。
 賄賂と偽造で回る検問を、誰も悪と呼ばなかった。呼ぶ余裕のある者から先に、この星系を出ていった。

 出航前夜、ヨルが舷窓の前から動かなくなった。
 窓の外は港の灯りと、その向こうの暗さだけだ。だが彼女の見ているものが視覚ではないことを、この艦の全員が知っている。
「ヨル」
「……とおくで、たくさん、歌ってる」
 彼女は窓から目を離さずに言った。
「いっせきや、にせきじゃ、ない。もっと。かぞえようと、すると、かさなって、わからなくなる」
「方位は」
「ふかいほう。こうろの、そとがわ。……ハル、あのね」ヨルは初めて振り向いた。「ばらばらの歌なのに、ときどき、そろう。へんなの。歌は、そろわないものなのに」
 ナナオが解析を進言した。距離と数の概算だけでも取れれば、と。ハルは少し考えて、首を振った。
「やらない。索敵は艦の計器で足りてる範囲だ。ヨル、聞こえたことの報告だけでいい。聴きに行くな」
「……うん。やくそく、した」
「制限には賛成じゃ」とナナオは引き下がった。「ただし艦長、覚えとくんじゃ。聞こえとるものに蓋はできん。制限できるのは『聴きに行く』方だけで、『聞こえてくる』方は、この宙域におる限り止まらん。熱が出たら、わしは航海より診察を優先するでな」
「それでいい」
 揃う歌、という言葉だけが、消灯後もブリッジの計器の間に残った。ツクモは何も論評せず、ただその証言を航海記録に一字ずつ正確に書き取った。

 護衛は、定刻に始まった。
 十二隻の数珠は時速にして歩くような速度で港を離れ、《送り火》は列の斜め後方、誰の目にも入らない位置についた。検問を二つ抜け、機雷原の啓開水路を抜け、二日目までは何も起きなかった。戦争の中の航海は退屈と紙一重で、退屈こそが護衛の成功の形だった。
 二日目の定時連絡で、船団の三番船から短い通信が入った。乗客の老人が一人、航海中に病死した。葬送の手配は回廊の外でする。それまで遺体は冷凍庫に——という事務的な報告だった。許可を求められる筋の話ではなかったが、船団は護衛艦に何でも報告する。報告した相手が黒い艦、葬儀屋であることの符合に、向こうが気づいていたかどうかは分からない。ハルは「了解」とだけ返した。
 戦争の中の航海では、戦闘以外の死も、平時より一割増しで多い。統計の上の話だ。統計の上の話であることが、唯一の救いだった。
 三日目の朝、ヨルが監視席で「ちかいうたが、ひとつ、ある」と報告した。遠くの重なる歌とは別の、単独の、規則正しい声。ツクモの受動探知が同じ方位に微弱な熱源を捉えるまで、それから二時間かかった。耳の方が、計器より早かった。
 そして三日目の昼、デブリ帯の縁で、それは来た。
「艦長」ツクモの声。「船団前方四万キロ、デブリ帯内縁に熱源。識別信号を傍受——照合します」
 一拍。
「七年前の、連合軍友軍識別コードです。現在も有効な書式で、定時発信を続けています。……律儀に」
 律儀に、という副詞を、機械は皮肉ではなく事実として言った。