第089話 合法の海賊
最初の獲物は、免状の発効から四日目に網に掛かった。
分離派系の中型輸送船。シネレオ港の出港記録と荷役量の不一致から、ハルが机の上で見つけた船だった。海賊は海図で獲物を探す。元・通信下士官は、書類で探した。
待ち伏せの理屈は、艦隊戦よりずっと単純だった。
「輸送船の航路は、幹線を避けて旧戦場の縁を通る。縫航の中継点は三箇所。どこで跳んでも、跳ぶ前に必ず充填がいる」ハルは戦術図に三つの点を打った。「充填中の船は、跳べない。機関出力の七割が縫航系に食われて、機動も鈍る。砲があっても旋回が追いつかない。——つまり、充填中の船は、船じゃない。浮かんでる荷物だ」
「第二中継点を推奨します」とツクモ。「デブリ濃度が高く、本艦の遮蔽に最適です。充填所要は当該船型で五十五分。捕捉猶予として十分です」
「停船命令は俺が出す。撃つのは、向こうが撃った場合だけだ。免状の条文どおりにやる。条文どおり、が今回の仕事の全部だ」
十九時間の待ち伏せは、狩りというより事務に似ていた。ヴェインは操舵席で仮眠と覚醒を三時間刻みで繰り返し、ナナオは医務室の棚卸しを進め、ヨルは監視席で「とおくのうた」の数を数えていた。ふえてる、と彼女は二度言った。二度とも、ツクモが時刻つきで記録した。
ハルは免状の条文を、さらに二度読み返した。停船命令の書式、武器使用の制限、押収品の検認手順。合法の海賊の「合法」の部分は、全部書類でできている。書類でできているものを運用する技術なら、この艦長には七年分の蓄えがあった。
輸送船は、予測の誤差四十分で現れた。充填開始から十二分後、《送り火》はデブリの陰から滑り出て、相対距離八百キロで照準波を当て、正規の書式で停船命令を送った。連合通商監理局発行・私掠免状第〇一一号の権限において、停船し、臨検を受けよ。
輸送船の機関が、抵抗の出力を一瞬だけ上げ、すぐに諦めて落ちた。充填中の船にできるのは、その一瞬が全部だった。発砲はゼロ。死者もゼロ。無血、という言葉が報告書の上では使える拿捕だった。
移乗には、ハルとヴェインの二人で渡った。五人の艦で臨検をやる、ということの危うさは数字のとおりで、担保は《送り火》の照準だけだった。輸送船の乗員十一名は手順どおり食堂区画に集まり、抵抗はなかった。抵抗しても得るものがないことを、輸送船の乗りは正確に計算する。彼らは兵士ではなく、勘定で生きる船乗りだった。
臨検には三時間かかった。
積荷の第一区画は、申告どおりの戦場サルベージ品——砲の駆動部、火器管制の基板、装甲材。第二区画には申告のない食糧十一トンと医薬品が積まれ、送り先は分離派支配域の入植地だった。
武器と、飯と、薬が、同じ船倉に並んでいる。それがこの内戦の輸送の現実だった。武器だけ運ぶ船も、飯だけ運ぶ船も、この星系にはもう存在しない。
船長は五十年配の女で、移乗してきたハルの顔を見ると、名乗りより先に言った。
「葬儀屋が、今度は生きた船を狩るのか」
ハルは反論しなかった。反論の在庫が、なかった。封鎖されて飢えた港を開けるために戦った男が、ひと月後、別の港へ向かう食糧を差し押さえている。その間に正義が入れ替わったのではない。仕事が入れ替わっただけだ——という説明は、説明になっていないことを、自分が一番よく知っていた。
「武器部品は押収する。免状の条文どおりだ」と、彼は事務の声で言った。「食糧と医薬品の扱いは、検認のあとで決める。船と乗員は、臨検記録に署名すれば解放する」
「……話の分かる海賊ってわけだ。余計に質が悪いよ」
署名を終えた船長は、ペンを返しながら、初めて事務の外の声で訊いた。
「ひとつ訊かせな。食糧の行き先、配給に回すってのは本当かい」
「検認が通れば」
「あたしの荷の届くはずだった入植地じゃ、子供が痩せてる。あんたの回す先の港でも、子供が痩せてる。どっちの子供が痩せるかを、あんたが決めるんだ」女は手袋を嵌め直した。「決める側に立った気分を、忘れずに覚えときな。葬儀屋」
覚えている、とは言わなかった。第六星系の封鎖以来、忘れた日の方が少ない。
署名の手は震えていなかった。慣れている、ということだった。何に慣れているのかは、考えると夜が長くなる種類の事実だった。
検認の途中で、ヨルが固まった。
第一区画の奥、防振梱包の木箱の前だった。送り状には「機関制御部品」とあり、宛先は会社名のない座標符号、経由は匿名のブローカー登録番号だけ。
「ハル。……これ」
彼女は箱に伸ばしかけた手を、自分で引っ込めた。
「これ、まだ、すこし、歌ってる」
開梱すると、出てきたのは機関部品ではなかった。自律中枢の周辺機材——演算節の筐体、管制索の束、そして撃破された還らず艦のものとしか考えられない、損傷した中枢区画の部分構造体。死んだ機械のはずだった。死んだ機械の残骸が、ヨルの耳にだけ届く弱さで、まだ何かを発し続けていた。
ナナオが手袋をして、構造体を検めた。検め終わると、老軍医の顔から飄々が抜けていた。
「……自律中枢の演算節じゃ。型は古いが、無傷なら今でも禁制品の部類でな。損傷品なら、法の網の目をくぐる」と、彼はハルにだけ聞こえる声で言った。「こういう部材を相場の三倍で買う用途を、わしは仕事柄いくつか思いつくが——どれも、口に出すと夜が短くなる」
「買値の記録があります」ツクモが船の取引記録を読み上げた。「当該貨物、三百八十万cr。同種部材の市場相場の、約三倍です。買い手はブローカー経由で匿名。支払いは前金、即金。——艦長。杭を一本四百万で買い集める金と、同じ匂いの金です」
相場の三倍で、死んだ中枢の欠片を買う者がいる。修理のためか、研究のためか、それとも——使うためか。受け渡しの指定座標を、ハルは航路図に重ねた。
内戦の主戦場跡。残骸の海のただなかだった。
帰投後の事務は、二日かかった。
武器部品の検認額、四百六十万cr。免状の規定で七割が《送り火》に帰属する。これが拿捕という仕事の値段だった。
食糧と医薬品については、ハルは条文を三晩かけて読み、使える行を見つけた。押収品のうち軍需性の認められない物資は、免状保持者の裁量により戦災地域の人道配分に充当できる——大戦中、私掠の悪評を薄めるために書き足された、誰も使ったことのない条項だった。十一トンの食糧と医薬品、検認額にして三百十万cr相当は、その条項を根拠に、シネレオ港の配給所へ正規の伝票つきで回された。
行き先の入植地から奪った飯を、こちらの港の配給に積む。帳尻、と呼ぶにはあまりに不揃いな帳尻だった。それでも捨てるよりも、競売で軍納業者に流れるよりも、列の先に届く方がましだ——その程度の算術しか、この仕事には残されていなかった。
移送の箱は、二百十六個になった。貼り替える伝票は《送り火》の格納庫で、ヨルも手伝って一枚ずつ貼られた。二百十六枚のうち何枚かは、元の輸送票の上に重ねただけになった。剥がす糊の溶剤が、途中で切れたからだ。完璧な事務というものは、戦時にはどこにもない。
配給所への引き渡しは、保安機構の検認官立ち会いで行われ、受領印は配給所の職員の名で押された。職員は積み荷の出どころを訊かず、ハルも言わなかった。列の先に届くものに、出自の説明は要らない。
帳簿には、二つの数字を並べて書いた。拿捕収入、四百六十万。配給に消えた額、三百十万相当。どちらの数字も、署名した女船長の顔をしていた。
受け渡し座標の解析結果が、その夜、戦術図に表示された。
主戦場跡。半径三百万キロにわたって大戦の残骸が漂う、第五星系で最も死者の密度の高い海。航路もなく、信号もなく、サルベージ業者すら奥へは入らない。
匿名の買い手は、そこで荷を受け取ることになっていた。残骸の海のただなかで、死んだ中枢の欠片を、相場の三倍の即金で。
「……数えに来てた何かと、買いに来る何かが、同じ海にいる」
ハルは呟き、戦術図の暗い領域を、長いこと見ていた。