第114話 置き餌

 死者の艦隊は、奪いに来るのではない。回収しに来る。
 過去三件の襲撃記録を卓に並べると、判で押した型が浮かんだ。
 一件目、五月前、第三星系の廃艦係留地。係留中の旧式艦四隻が、警備艇の交代の隙に曳き去られた。死者ゼロ。二件目、三月前、第六星系の資材集積基地。艦体構造材八千トンと推進剤が消え、抵抗した警備員が二名死んだ。三件目、先月、無人の中継廃站。持ち去られたのは、七年前に沈黙したまま漂着していた還らず艦の機体そのものだった。
 狙われたのは弾薬庫でも有人港でもなく、廃棄艦の係留地と資材の集積場ばかり。死者は出ているが、殺害が目的だった例は一件もない——退避の遅れた人間が、回収作業の経路上で死んでいるだけだ。それは慈悲ではない。優先順位だ。
「回収対象の価値序列を逆算しました」とツクモが言った。「最上位は同型中枢。次いで縫航機関部材、艦体構造材。この序列で外縁の地図を塗ると、次の目標は三箇所に絞れます。うち、防御が最も薄く、密度が最も高いのは——」
 第二星系外縁、旧鉱業公社のカザン精錬廠。廃棄指定から二年、解体予算がつかないまま浮いている、全長三キロの鉄の骸だった。戦時の係留地だった名残で、廃棄艦材一万一千トンと旧式艦三隻が、帳簿ごと忘れられて繋がれている。
「餌としては、上物です」
 支度は九日の予定で組まれた。
 初日に、ハルは官給杭の補充請求を出した。残数五本、請求四本。前進基地の補給課は今度は書式に文句をつけず、三日で四本を回してきた。受領印を捺しながら、ハルは杭の勘定が軽くなっていく感覚を、もう一度だけ確かめた。一本三〇〇万の季節には、杭は一本ごとに撃つ理由を問うてきた。官給の杭は問わない。問わない道具は、便利で、便利さの分だけ信用ならない。
 方面軍の支援戦隊四隻は、外周の取り零し役として作戦に付く。指揮系統の擦り合わせに丸一日かかり、最後は「送り火隊の網の内側には入らない」という一線だけを文書にして終わった。網の内側は、撃ち合わない者たちの領分だ。撃ち合う艦が入れば、網ごと破れる。

 計画会議で、一点だけ卓が割れた。
 精錬廠には、解体準備の民間作業員が二十六名、常駐している。方面軍の参謀は残置を主張した。
「全員退避させれば、生活反応が消える。敵は学習する群れだと、嘱託、あなたが言ったのでしょう。空になった餌は、餌と見抜かれる」
「退避させます」とハルは言った。
「では、網が成立しない」
「人は退避させて、生活反応は残します」
 声が低くなっていた。低くなったことに、卓の半分は気づかなかった。気づいたのは、ヴェインと、回線の向こうのツクモと、議事録を取っていた若い士官くらいだった。
「幽霊シフトを組みます。居住区の熱源と電力消費を、二十六名分の勤務サイクルで揺らす。通信応答は自動化し、定時連絡には人間の癖を入れる——応答の遅れ方、復唱の省略、当直明けの符号の乱れ。勤務記録も偽装で流します。軍用プロトコルの監査に通る水準で、私が書く」
「そこまでやりますか」
「やります」
 なぜ、と理由を訊く者はいなかった。訊かれても、ハルは答えなかっただろう。人の残った網が沈黙する音を、回線の端で聴いたことがある——それは、会議で口にする種類の理由ではなかった。
 作業員二十六名の退避は、解体前環境調査の名目で行われた。調査期間中は基地の宿舎に移ってもらう、手当は日額八千cr、期間未定。書類を作ったのはハルで、名目の薄さに気づいた班長が一人、移送艇の前で振り返って訊いた。
「……うちの職場、囮になるんですかね」
「職場は、戻ってくるときもそのままだ」とハルは答えた。戻ってこられる、とは言わなかった。嘘は書類に書くだけで足りる。声に出す分まで嘘にすると、あとで名簿を読むときに堪える。
 二十六名の名簿は、移送の完了報告と一緒に届いた。ハルは全員の名を一度読んでから、綴りを閉じた。読まずに済ませた名前は、あとで必ず別の書類で読むことになる。今回は、読む書類が退避完了報告で終わるように、九日分の手間をかける。それだけのことだった。
 偽装の仕込みには六日かけた。
 ツクモが熱と電力の楽譜を書き、ハルが通信の癖を書いた。七年前まで毎晩聴いていた、当直通信の生きた乱れ。定時の三十秒前に来る几帳面な奴、二分遅れて悪びれない奴、復唱を半分喰う癖のある奴。二十六人分の架空の癖を書き分けながら、自分がいま何の供養をしているのかは、考えないことにした。
 仕上がった幽霊シフトを、ヨルに聴かせた。彼女は十秒で眉を寄せた。
「……からっぽ、なのに、いきてる、ふり。へん」
「変か」
「へん。でも、とおくからなら、わからない。ちかくで、きいたら、わかる。いきの、おとが、ない」
「敵はどこで聴く」
「とおく」と彼女は言った。それから、少し首を傾げた。「ふしぎ。にんげんの、いない、こえなのに——つくったひとの、こえが、する」
 ハルは手を止めた。止めたことには、誰も触れなかった。
 出発の前夜、戦隊の最終打ち合わせが回線で行われた。確認事項を消化し終えたあと、ガロが一拍置いて言った。
「一点、私事を申告しておく。この海域は——俺の古い海域だ。七年前の暮れに、ここで二十六人置いてきた」
「聞いている」
「なら話が早い。俺は冷静なつもりで居る。冷静なつもりの人間がいちばん危ないことも、知っとるつもりで居る」少佐の声は平坦だった。「癖が出たら、止めてくれ。命令で、だ。司令の命令なら、俺は止まる」
「了解した」とハルは言った。止まる、と先に言質を置いていく男の用心深さが、止まれなかった経験の数を物語っていた。


 同じ六日の間に、ナナオ・ジンは一通の私信を出していた。
 宛先は旧軍病院時代の同僚で、いまは第二星系の軍補給廠で医療物資の検収をやっている男だった。文面は世間話に紛らせた一行だけ。——特務局差回の一二〇七便に医療枠の積載があると聞いたが、検収はそっちを通るのかね。
 返事は四日後に来た。世間話の返礼はなく、一行だけだった。
 ——その質問は、どこで聞いた。
 ナナオは返信しなかった。端末を閉じ、酒を注ぎ、注いだ酒を飲まずに長いこと眺めた。質問に質問で返ってくるのは、答えが在る場所の作法だ。三十年医者をやって、家族への告知の席で覚えた作法と、同じものだった。
 便名を控えたのは、好奇心のつもりだった。医療枠、という言葉を埠頭の積荷表示で見たときから、好奇心という言い訳は薄くなり続けている。機密処分の輸送便に、医療枠。死んだ機械の脳を運ぶ便に、医者の荷物。組み合わせの意味を考えられる人間は、この回廊に何人もいない。考えたくない人間なら、ここに一人いる。
 老医は結局、酒を流しに捨てた。捨ててから、捨てた理由を考えないことにした。

 第三七一日、送り火隊は配置についた。
 《送り火》は精錬廠の構造材の陰、《迎え火》は警戒線の端、《燈籠》は廠の裏手。方面軍の支援戦隊四隻は外周の取り零し役として、明朝までに展開を終える手筈だった。会敵予測は、回収周期の計算から第三七三日の〇四〇〇前後。網を張り終えるまで、まだ丸一日の余裕がある——はずだった。
 配置完了の点呼が終わったあと、精錬廠の幽霊シフトが初めての夜勤を始めた。誰もいない居住区の灯りが規定どおりに半分落ち、誰も飲まない給湯器が湯を沸かし、当直の定時連絡が、二分遅れて悪びれずに入る。ハルは自分の書いた癖が電波に乗って戻ってくるのを、奇妙な静けさの中で聞いた。七年前の夜も、回線の向こうにはこういう生活の音があった。あの音が全部、いまも自分の帳簿のどこかに載っている。
 第三七二日、一九〇〇。
 聴音席のヨルが、顔を上げた。
「きた」
「予測会敵は明朝〇四〇〇です」とツクモが言い、半拍置いて続けた。「——観測修正。集積地外縁に機関波形、複数。会敵、予測より九時間早い」
 外周の網は、まだ無い。あるのは三隻と、二十六人分の幽霊の寝息だけだった。